漫画の思い出
萩尾望都『トーマの心臓』(1)
小学館文庫の帯には「歴史的傑作」と謳ってある。この作品が傑作と思われていたのは歴史的事実だろう。だが、本当に傑作だろうか。
萩尾は、平凡なことを非凡なように描くことのできる非凡な才能の持ち主だ。そのことを処女たちは察知して、安心して萩尾漫画に身を委ねる。
萩尾は男性同性愛という設定について、〈女性同性愛では生々しすぎるから〉と弁解していた。嘘だ。この作品は、男女いずれかの同性愛を描いたものではない。少女の成長を描いたものだ。主題は『半神』と同じ。
同性愛は〈困難な異性愛〉の隠喩だ。
トーマは自殺したことになっている。しかし、遺書があったから自殺したとは決められない。トーマは死んだのではなく、生まれかわったのだ。そして、女になった。
処女は〈危険な思春期を安全に通過する〉という夢を見る。処女はシンデレラのように王子様を待つ。死にそうに退屈で不安な時間。彼女は待合室に自分を閉じ込める。同じような処女たちとべちゃべちゃおしゃべりをしながら、お迎えを待つ。だが、やって来るのは、優しい王子様とは限らない。女たらしかもしれない。どうやって判別しよう。
良い考えがある。男のふりをして男たちに接近し、男の本性を暴くのだ。
『どろろ』(手塚治虫)を思い出そう。どろろと百鬼丸の友情が成立すると、どろろは自分が女であることを明かす。
『トーマの心臓』では、〈男女の友情が恋愛に発展する〉という夢を、リアルにではなく、隠喩として、しかも、悲劇的に描いている。
(続)