ヒルネボウ

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漫画の思い出 萩尾望都『トーマの心臓』(6)

2023-07-23 23:58:38 | 評論

   漫画の思い出

     萩尾望都『トーマの心臓』(6)

サイフリートはユーリに何をしたことになるのか。不明。作者は読者に謎を掛けているのではない。作者自身、自分がどんなことを表現したつもりでいるのか、反省できなくなっている。

 あの残酷な、退屈な劇の最中、「彼の妹が熱を出して入院したので、家にはだれもいない」という状況だった。「熱」は産褥熱だ。「妹」は母親だ。彼女は自分自身を出産した。「家」は無名で無性の自分だ。また、「熱」は女学生言葉の〈お熱〉の暗示でもある。つまり、〈誰かに恋をすることによって女が誕生する〉という物語の暗示だ。

 「家にはだれもいなかった」というのは〈恋する少女は理性を失っていた〉という物語の暗示だ。このときのサイフリートは〈君は理性と母親を捨てろ〉と口説く色男だ。処女が彼を恐れるのは、凌辱を空想するからでなく、母親による束縛の反復を予想するからだ。サイフリートは、独占欲の強い母親が性転換した姿だ。

 エーリクが、去勢されたような養父と同居するのは、母親の死を確認するためだ。オスカーも同様だろう。彼らは母親を美化する儀式によって葬る。

 結論。『トーマの心臓』は、普通の意味で傑作ではない。しかし、冷笑的な意味では傑作かもしれない。夢のように出鱈目なのだ。出鱈目とわかって楽しむのは結構。しかし、出鱈目に深遠な意味を付与するのは誤読だ。

(終)


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漫画の思い出 萩尾望都『トーマの心臓』(5)

2023-07-23 00:05:35 | 評論

   漫画の思い出  

     萩尾望都『トーマの心臓』(5)

断乳後のユーリは、悪魔的なサイフリートに再会する。イヤイヤ期の再開。

ユーリの実家に向かうエーリクの脳裏にサイフリートの姿が浮かぶ。

「へんなやつだったな 髪の長い …なに者だったんだろう」

この台詞のあるコマには、鋳込まれたように眼鏡の顔が描かれている。それは、次のコマでユーリの祖母の顔になる。サイフリートと祖母の共通点は何か。強烈な被愛願望らしい。愛してくれる人を苦しめても愛されたいのだ。その願望はトーマのものでもあったろう。

ここで、ヒッチコックみたいに作者が登場する。もう限界ってことね。

作者はユーリの妹を演じる。彼女は病弱だ。〈男装の少女が女になりかけているが、未熟〉という隠喩だろう。

妹は洗礼を受けるキリストの絵を見ながら、エーリクとユーリの本質を暴露する。

「これがマ…」と言いかけて咳き込む。ママ? マリア? マリエ? 

作者は三人の女を区別できない。区別したら、少女読者の不評を買いそうだからだ。祖母の原型は萩尾の母親だろう。そのことを身勝手に表出して、作者に余裕が生まれる。そして、物語は徐々に通俗的になる。エーリクとマリエの婚約指輪が外れる。外したのではない。外れてしまったのだ。

男装の少女は主体的に母親と決別したのではない。少年が母親を嫌うように、まるで指輪が外れるように、ヒロインは母親の支配から逃れた。この狡い展開を見て、少女読者は〈私は無罪だ〉と錯覚して喜ぶ。誰も悪くないんだよね。

この後、オスカーは、ユーリを「おやじ」と重ねていたことを告白する。二人の関係は、同性愛ではなかったのだ。父子関係の反復でしかない。これは思い出したくない母子関係の暗示だ。

トーマの謎めいた意味不明の遺書にあるように、この作品が描いているのは「性もなく正体もわからない」誰かとの愛なのだ。その誰かは母子分離以前の母親だ。自分を客体とする無条件の愛の主体は、自分自身と区別しがたい理想の母親だ。

エーリクがトーマの母親に迎えられる。エーリクは、母親の一方的で暑苦しい愛情に耐える義務はない。だから、主体的に母性愛を穏やかに受け入れることができる。

こうして母と娘の和解の物語が終わる、少女読者の頭の中で。

『トーマの心臓』の隠蔽された主題は〈母親探し〉だろう。ただし、ヒロインが誰なのか、判然としない。だから、彼女は母親と出会っても気づかない。『傾城阿波の鳴門』のお鶴のようなものだ。

不定のヒロインと作者を区別することは難しい。彼女はマザコンだ。母親を探すのは、母親から自立の許可を得るためだ。離脱するための再会。作者は、この矛盾めいた企みを反省できず、さまよう。

目隠し鬼のようだ。あちこちから声が掛かる。鬼さん、こちら、手の鳴る方へ。処女は、仲間たちに翻弄されて遊ぶ。作者は読者に翻弄されて仕事をする。

(続)


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