小学生の時右打ちだった私はスイッチヒッター(左右両打)に憧れていた。左右どちらでの打席も打てるなんて、ホント、カッコいいなぁ~と心底思っていた。多くの子どもが試したように私も憧れから左でも打つようなった。その後、少年野球レベルではあるが、なんとなく左でもいけそうな手応えをガキながらも感じ、それ以降は遊びではなく本格的に左打ちの練習を始め、夢のスイッチヒッターを目指した。
当時の名スイッチヒッターの一人、広島東洋カープの高橋慶彦選手を育て上げた山本一義氏曰く、スイッチヒッターを成就するには「人の2倍以上の練習では足りない、3倍、いや4倍以上練習せんと一人前になれん!」とおっしゃっていた。が、私は人の2倍も練習をするはずもなく(爆)左打席の練習ばかり重点を置いた結果、右打席が全く打てなくなり(苦笑)最終的には右投左打で妥協することになるwww
私の体験談では、まったく説得力はないが、川相昌弘(巨人)、和田豊(阪神)、高木豊(横浜大洋)さらには先日2000本安打を達成した荒木雅博(中日)等々、かってはスイッチヒッターに挑戦するも最終的には右打席ないしは左打席に専念したNPBプレーヤーは多い。それだけ、ハイレベルな両打というのは難しいのだろう。
野球少年だった私のもう一つの憧れはスイッチピッチャー(左右両投)!
しかし、打つのと違って利き腕ではない腕で投げるなんて、後から練習してできるもんじゃない!キャッチボールレベルなら私でも左で投げれるが、本格的に投手で両投げなんてありえん!と、すぐに悟った。挑戦しようとした選手なんて聞いたこともないし…
が、そんなマンガの世界のような事をMLBで実践している選手がいる!
パット・ベンディット(両投両打)
2015 OAK(#29)、2016 TOR(#44),SEA(#61)
2015年6月5日のボストン・レッドソックス戦で7回裏より救援投手としてメジャー初登板。1995年の下記に記載したグレッグ・ハリス以来、20年ぶりのスイッチピッチャーの登板となった。この試合では2回を投げ、無失点。8回裏には、スイッチヒッターのブレイク・スワイハートと対戦。MLBにおいて、投手が先にどちらで投げるか示さなければいけない「パット・ベンディット・ルール」が初めて適用された。ベンディットは、右投げを選択しスワイハートからメジャー初奪三振を挙げた。
当時の報道記事
両投用特殊グラブ
左右両方の手にはめられるような特殊な構造(親指を入れる部分が両側にある6本指の形状)
過去にMLBの公式戦で両投を披露したのは19世紀に4人、20世紀以降は上記のパット・ベンディットとグレッグ・ハリスのみ。
グレッグ・ハリス(当時MTL #29)
1995年9月28日、対シンシナティ・レッズ戦でモントリオール・エクスポズ所属のグレッグ・ハリスが、近代MLB公式記録上初めてマウンド上で投球に使う腕を変えた。3対9のビハインドで迎えた9回に右ピッチャーとして登板。最初の右打者のレジー・サンダースをショートゴロに打ち取った。そして投球を左腕に変えて続く左打者、ハル・モリスとエディ・トーベンシーと対面。ハル・モリスに対してはフォアボール、エド・トーベンシーはキャッチャーゴロに打ち取り、最後は再び右腕に戻してブレット・ブーンをピッチャーゴロに打ち取り、ゲームを締めた。
グレッグ・ハリスの偉業にイチャモンをつける気は一切ないが、彼のあくまでも「右投両打」登録。左で投げたのも引退直前の1試合のみ。対してパット・ベンディットは登録が「両投両打」。つまり、グレッグ・ハリスとは異なり1試合のみのスポット両投ではなく、常時左右投という非常に稀有な選手である。っていうか、20世紀以降ではMLB唯一の投手である。
NPBでも、過去に一人だけ両投の投手が登録されていた。
近田豊年(南海・福岡ダイエー/阪神)
但し、公式戦では1試合のみの登板にとどまり、投球は左のみ。「左右投げ」を披露する機会はなかった。
※外野手の小久保浩樹(西武:1989~1992)が「両投左打」で登録されたことはあるが一軍公式戦出場はなし
現在、注目のスイッチピッチャーとして注目なのが東京六大学野球・立教大学2年生の
赤塚瑞樹 投手
2015年の岐阜県大会で麗沢瑞浪(れいたくみずなみ)高校の赤塚瑞樹投手が話題になった!
しかも、彼はパット・ベンディット同様、両投両打!!!
早く彼が神宮のマウンドに立つ姿を見てみたいものである!数年後にはNPB初のスイッチピッチャーとしてマウンドに登っている…なんて、ついつい期待してしまいたくなる選手である。
また、赤塚瑞樹投手よりひと足早く両投登録の武沢龍矢投手(東海大北海道)が神宮のマウンドに上がった!まだ、利き腕である右での投球のみの披露だが、近々、左腕からの快投も拝見したいものだ!
北海道日本ハムの大谷翔平投手は投打二刀流、そして、パット・ベンディットや赤塚瑞樹投手、武沢龍矢投手は左右二投流、どちらも興味が尽きない!!!
当時の名スイッチヒッターの一人、広島東洋カープの高橋慶彦選手を育て上げた山本一義氏曰く、スイッチヒッターを成就するには「人の2倍以上の練習では足りない、3倍、いや4倍以上練習せんと一人前になれん!」とおっしゃっていた。が、私は人の2倍も練習をするはずもなく(爆)左打席の練習ばかり重点を置いた結果、右打席が全く打てなくなり(苦笑)最終的には右投左打で妥協することになるwww
私の体験談では、まったく説得力はないが、川相昌弘(巨人)、和田豊(阪神)、高木豊(横浜大洋)さらには先日2000本安打を達成した荒木雅博(中日)等々、かってはスイッチヒッターに挑戦するも最終的には右打席ないしは左打席に専念したNPBプレーヤーは多い。それだけ、ハイレベルな両打というのは難しいのだろう。
野球少年だった私のもう一つの憧れはスイッチピッチャー(左右両投)!
しかし、打つのと違って利き腕ではない腕で投げるなんて、後から練習してできるもんじゃない!キャッチボールレベルなら私でも左で投げれるが、本格的に投手で両投げなんてありえん!と、すぐに悟った。挑戦しようとした選手なんて聞いたこともないし…
が、そんなマンガの世界のような事をMLBで実践している選手がいる!
パット・ベンディット(両投両打)
2015 OAK(#29)、2016 TOR(#44),SEA(#61)
2015年6月5日のボストン・レッドソックス戦で7回裏より救援投手としてメジャー初登板。1995年の下記に記載したグレッグ・ハリス以来、20年ぶりのスイッチピッチャーの登板となった。この試合では2回を投げ、無失点。8回裏には、スイッチヒッターのブレイク・スワイハートと対戦。MLBにおいて、投手が先にどちらで投げるか示さなければいけない「パット・ベンディット・ルール」が初めて適用された。ベンディットは、右投げを選択しスワイハートからメジャー初奪三振を挙げた。
当時の報道記事
両投用特殊グラブ
左右両方の手にはめられるような特殊な構造(親指を入れる部分が両側にある6本指の形状)
過去にMLBの公式戦で両投を披露したのは19世紀に4人、20世紀以降は上記のパット・ベンディットとグレッグ・ハリスのみ。
グレッグ・ハリス(当時MTL #29)
1995年9月28日、対シンシナティ・レッズ戦でモントリオール・エクスポズ所属のグレッグ・ハリスが、近代MLB公式記録上初めてマウンド上で投球に使う腕を変えた。3対9のビハインドで迎えた9回に右ピッチャーとして登板。最初の右打者のレジー・サンダースをショートゴロに打ち取った。そして投球を左腕に変えて続く左打者、ハル・モリスとエディ・トーベンシーと対面。ハル・モリスに対してはフォアボール、エド・トーベンシーはキャッチャーゴロに打ち取り、最後は再び右腕に戻してブレット・ブーンをピッチャーゴロに打ち取り、ゲームを締めた。
グレッグ・ハリスの偉業にイチャモンをつける気は一切ないが、彼のあくまでも「右投両打」登録。左で投げたのも引退直前の1試合のみ。対してパット・ベンディットは登録が「両投両打」。つまり、グレッグ・ハリスとは異なり1試合のみのスポット両投ではなく、常時左右投という非常に稀有な選手である。っていうか、20世紀以降ではMLB唯一の投手である。
NPBでも、過去に一人だけ両投の投手が登録されていた。
近田豊年(南海・福岡ダイエー/阪神)
但し、公式戦では1試合のみの登板にとどまり、投球は左のみ。「左右投げ」を披露する機会はなかった。
※外野手の小久保浩樹(西武:1989~1992)が「両投左打」で登録されたことはあるが一軍公式戦出場はなし
現在、注目のスイッチピッチャーとして注目なのが東京六大学野球・立教大学2年生の
赤塚瑞樹 投手
2015年の岐阜県大会で麗沢瑞浪(れいたくみずなみ)高校の赤塚瑞樹投手が話題になった!
しかも、彼はパット・ベンディット同様、両投両打!!!
早く彼が神宮のマウンドに立つ姿を見てみたいものである!数年後にはNPB初のスイッチピッチャーとしてマウンドに登っている…なんて、ついつい期待してしまいたくなる選手である。
また、赤塚瑞樹投手よりひと足早く両投登録の武沢龍矢投手(東海大北海道)が神宮のマウンドに上がった!まだ、利き腕である右での投球のみの披露だが、近々、左腕からの快投も拝見したいものだ!
北海道日本ハムの大谷翔平投手は投打二刀流、そして、パット・ベンディットや赤塚瑞樹投手、武沢龍矢投手は左右二投流、どちらも興味が尽きない!!!