昨年2年ぶりの独立リーググランドチャンピオンに輝いた我が故郷・群馬の誇り「群馬ダイヤモンドペガサス」。2年連続の日本一に向け4月6日の開幕を迎える1ヶ月ちょっと前に衝撃的なニュースが…。打撃の顔だったフランシスコ・カラバイヨ外野手が引退との報道…。
球団はその功績を称え第2次&3次群馬時代の背番号「42」を永久欠番と定めた。
今後はアメリカで自動車ディーラーの仕事をしながら少年野球のコーチをする。カラバイヨは「まだ野球をやりたかったが、アメリカで仕事を頂き、家族と一緒に過ごしたいこともあり決断した。またいつか群馬に戻りたい」とコメントした。
「フランキー」のニックネームで選手やファンに親しまれた。BCリーグ通算成績は368試合出場、497安打、151本塁打、420打点。打率は3割6分4厘。リーグシーズンMVPとベストナインをともに5度受賞している。
2010年に高知ファイティングドッグスから群馬へ移籍。
第1次群馬時代の背番号は15。ちょっと不思議な感じかも。
シーズン途中にNPBのオリックスへ移籍。
球団初のNPB入り選手となった。13年にペガサスに復帰、翌年はリーグ初の30本塁打を達成し三冠王に輝いた。
15年に再びオリックスに移籍。
16年にペガサスに戻ると「ミスターペガサス」井野口祐介(桐生商高出身)と超強力打線を形成。リーグトップの打点、本塁打数を稼ぎ、チームを初の独立リーグ日本一へ導いた。2度目のチーム日本一に輝いた昨シーズンも、ともにリーグトップの27本塁打、86打点を挙げた。
兼任コーチとしても貢献した。オフに若手とともにアメリカでトレーニングすることもあった。2度の日本一を一緒に経験した平野謙監督は「全力でプレーし、選手に手本を示してくれた。非常に大きい存在だった」と感謝した。
ありがとう、フランキー。キミが群馬に残してくれた数々の思い出、決して忘れない。
球団はその功績を称え第2次&3次群馬時代の背番号「42」を永久欠番と定めた。
今後はアメリカで自動車ディーラーの仕事をしながら少年野球のコーチをする。カラバイヨは「まだ野球をやりたかったが、アメリカで仕事を頂き、家族と一緒に過ごしたいこともあり決断した。またいつか群馬に戻りたい」とコメントした。
「フランキー」のニックネームで選手やファンに親しまれた。BCリーグ通算成績は368試合出場、497安打、151本塁打、420打点。打率は3割6分4厘。リーグシーズンMVPとベストナインをともに5度受賞している。
2010年に高知ファイティングドッグスから群馬へ移籍。
第1次群馬時代の背番号は15。ちょっと不思議な感じかも。
シーズン途中にNPBのオリックスへ移籍。
球団初のNPB入り選手となった。13年にペガサスに復帰、翌年はリーグ初の30本塁打を達成し三冠王に輝いた。
15年に再びオリックスに移籍。
16年にペガサスに戻ると「ミスターペガサス」井野口祐介(桐生商高出身)と超強力打線を形成。リーグトップの打点、本塁打数を稼ぎ、チームを初の独立リーグ日本一へ導いた。2度目のチーム日本一に輝いた昨シーズンも、ともにリーグトップの27本塁打、86打点を挙げた。
兼任コーチとしても貢献した。オフに若手とともにアメリカでトレーニングすることもあった。2度の日本一を一緒に経験した平野謙監督は「全力でプレーし、選手に手本を示してくれた。非常に大きい存在だった」と感謝した。
ありがとう、フランキー。キミが群馬に残してくれた数々の思い出、決して忘れない。