いくつになっても支配をしたがる人がいる。
「ふん、お前がそうじゃないかよ」と誹られると頭をかくしかないが、自分ではそうではないと思っている。少なくとも、そうあってはならないと戒め、そうならないように努めてはいる。
先日、支配者たらんとするお年寄りにあった。
わたしが「お年寄り」というのだから、もちろんわたしよりは年配だ。そしてその実績と人望は、辺境のいち土木屋兼しろうと太鼓打ちのわたしなぞとは比べるべくもない立派なものだ。優秀な人をたくさん育ててもいる。だからなおさら、なのだろう。わたしがこう思ったのは。
そろそろ「支配」から卒業しないか?
「支配からの卒業」といえば、尾崎豊『卒業』のキメのフレーズだ。尾崎豊には格別の思い入れもなければ、好きでもキライでもないわたしだが、このフレーズだけは特別だ。はじめて聴いたその瞬間から、ずっとアタマの隅っこに住み着いたままなのである。
「支配」からの卒業。
それは尾崎が歌った「される」ほうにだけ当てはまるものではない。
「する」ほうにもまた該当する。
齢を重ねれば重ねるほど、彼我の関係の強弱あるいは大小に差がつけばつくほど、よりそのことを深く考えなければならないのは「する」ほうだ。
そうでなければ、アナタを信じてついてきた人たちが浮かばれないではないか。
眼前にいる、「いくつになっても支配をしたがる人」を見ながら、そう思った。
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