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イルジメ 一枝梅 、仁祖王

2009年08月05日 | 映画・ドラマ

イルジメ 一枝梅 の時代背景。
16代仁祖(インジョ)王 1623年即位。 ヨン(イ・ギョム)が生きた時代の王。

1623年、西人派の擁立で即位するも国内情勢は最悪。
1627-1636年と2回にわたり仁祖は清に攻められ、2回目の時は南漢山城に逃げるも孤立無援になり1637年降伏する。その時に2人の王子が清の人質となる。ドラマでもありましたが、8年後帰国した王子を2ヶ月後に毒殺してしまう。
長男の王子は清に友好的であり、北京で西洋の天文学や数学に接する機会にもめぐまれて帰国したが、朝廷の権力は明派で大義名分にやかましい西人派が掌握していたこともあり快く思わなく結果毒殺されてしまう。

清の建国
1616年、明の支配下にあった大陸北東部の女真族が後金を建国(首都は瀋陽)。1644年、明の首都北京に入城しついに明が滅亡し清国誕生。朝鮮王朝の権力者はなぜ清を嫌ったか。高麗末期の朱子学が、中国における元から明への交替期に、漢族の明を「中華」として支持し、モンゴル族の元を「夷狄(イテキ)」として反対する国論を主導したことに起因する。その国論が朝鮮王朝の国論でもあるからです。

1649年 仁祖王が亡くなる。

ドラマでは仁祖王が天友会(=西人会)の一員、イ・ウォノ(ギョムの父)に疑惑を抱き、謀反人に仕立て暗殺するところから始まる。暗殺に疑問を持つ一員のシム・ギウォンは、解明に乗り出すも刑死されてしまう。仁祖派はクーデターを恐れているからギョムを殺そうとする。(ギョムは仁祖の弟ウォノの子なので、王位継承権を持つ)

士林派の台頭から王朝の基本的な理念が、朱子学という大義名分に縛られた学問一辺倒であったこと。学問の解釈の違いで派閥を作り権力闘争に終始したこと。清をいつまでも夷狄(いてき)視したこと。などが対外情勢を見誤る結果になる。

ドラマに、朝廷につかえる者の理念を一言で表したセリフがあります。シフ「あなたの大義とは何ですか?」、サチョン「私の大義とは天(=王)である」と。それに対し、学問に接することの少ない庶民には「人を思いやり、親を大切にする。」という儒教本来の教えが実生活から引き継がれています。その一例に、ヨンの家族の親を思い子を思う行動には涙してしまうほどです。

朝鮮王朝の歴史は、王自身の嫡子・庶子を含め子供が多かったことや王妃・中宮・その親戚・臣下と巻き込み、内々の権力争いの歴史でもあるように感じます。だからドラマにすると面白いのかもしれない!! 衣装も宮殿も色使いが鮮やかでファッショナブル!!
(参考 歴史物語 朝鮮半島 朝日新聞社刊)

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