日々に緩急をつけて♡ まい進👍

趣味中心の私の備忘録です!!

あおによし ならの・・ 2日目②

2010年08月12日 | 旅行
奈良旅行2日目

大仏殿の中門の東側を登っていくと、鐘楼、念仏堂、開山堂、二月堂、三月堂、があります。これも東大寺の一部です。

二月堂:修仁会(しゅうにえ)といって、年に1回仏教的な厄払いの儀式が行われます。


三月堂:法華堂とも呼ばれます。
国宝、重要文化財を拝観しました。


東大寺を後に、金・朱・緑・白・そして瓦の黒灰と配色の鮮やかな薬師寺へ向かいます。

薬師寺:法相宗の本山。法相宗とは唐の時代に玄奘の学問をもとにおこった宗派です。
天武天皇が皇后の病気回復を祈って建てた寺で、金堂、大講堂、東塔、西塔、東院堂、玄奘三蔵院があります。

薬師寺金堂:本尊は薬師如来(心身の病気を救う仏)


東塔:奈良時代の建物。内部の壁画を下に鏡で映して、特別拝観できます。 


西塔:金堂を中心に東塔と左右対に建ってます。昭和56年に復興され、金堂同様の鮮やかな姿をみせてます。


玄奘三蔵院:
玄奘塔と平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」を拝観しました。
この門の奥に見える金色の卒塔の建物が玄奘塔です。


奈良時代の寺院は、巨大で鮮やかな伽藍造りの境内が特徴です。信仰の中心にあった支配者層が、神社や寺院を建てて神や仏をまつることが、自分たちの繁栄につながるとみていたからです。

今回は修学旅行のやり直しヨ!と息子を誘って行きました。平城宮跡はがっかりでしたが、2日目の行程には満足しました


あおによし ならの・・ 2日目①

2010年08月11日 | 旅行
奈良旅行2日目

興福寺へ:法相宗の大本山で、藤原鎌足の病気回復を願って建てられた藤原氏のための寺。
境内には五重塔、東金堂、南円堂、北円堂があります。

興福寺国宝館に入館
奈良時代の阿修羅像をはじめ、奈良時代から鎌倉時代の木造彫刻を多数展示してます。


興福寺東金堂:本殿です。


興福寺五重塔:高さ50mで、日本で2番目に高い木造の塔(京都の東寺五重塔は55m)


春日大社へ:平城京の守護神社、ということで、藤原氏の氏神です。山の斜面に社殿が建ってます。


社殿で:七夕節句祭の舞でしょうか?今日は1か月遅れの七夕です。


奈良公園へ:鹿は神の遣いです。、、で大事にされています。


東大寺へ:華厳宗の大本山で国分寺です。世界最大の木造建築、天下泰平を祈願する道場で学僧も養成していました。東大のような位置づけですネ。

東大寺南大門:


東大寺大仏殿:


東大寺の本尊:盧舎那仏(太陽のようにあまねく恵みをふりまく仏)。聖武天皇745年に始まり、752年に開眼、789年完成。完成時の大仏は全身金箔で覆われてました。座高14.98m


病気が蔓延し、権勢を誇っていた藤原4兄弟も次々亡くなっていきました。祈願する本尊が大きければ、金箔を塗り輝くようにすれば、願いが届くという思いが伝わってきます。奈良時代の仏教は支配者の仏教でもありました。市井の人々が頼るのは仏教ではなく、おまじないであったと思います。市井の人々の大きな犠牲のもとに大仏はできました。

つづく

あおによし ならの・・ 1日目

2010年08月10日 | 旅行
青丹よし 奈良の都は 咲く花の 薫うがごとく 今盛りなり
 ( 青丹=あおに  薫=にお)

万葉集に収められている歌
小野老(おののおゆ)という役人が、728年に九州大宰府へ赴任し、奈良を思って詠んだ歌です。

先週末に奈良へ旅行しました。
平城遷都1300年祭のイベントを、11月7日までやってます。若草山の紅葉とともに秋に出かけるのが一番と思いますよ。

1日目は平城宮の跡地へ。
710年に平城京へ遷都: 藤原不比等が律令国家の完成を目指して行った。

朱雀門:大極殿から見て南に位置する。1997年に復元。


第一大極殿:朱雀門からまっすぐ北へ800m。2010年に復元。
天皇が儀式や政治を行った場所。 


大極殿の内壁には四神が描かれている。


遣唐使船の復元も。全長30m、積載量150t、2本の平帆柱。
大陸へ渡るのはいかに命がけであったことか!!


復元されたものが、端っこにあるので、そこまで行く距離が遠くて疲れました。
朱雀門と大極殿の間を近鉄線がとおっていて、しばし踏切で立ち往生もあります。
遺跡の見つかった位置に復元しているのですが、、、これからも内裏や第二大極殿など復元する予定でしょうか?広大なスペースに箱ものを造ってまで、未来に伝える必要があるのでしょうか?映像で残すことで充分ではないかと思いました。

話題になったせんとくんです。お土産売り場で。


大阪に宿泊。難波にでてカラオケで本日の〆です。