雨の図書館で拾った50年も前の記憶
いまは昔、とはこのこっちゃね!まったく!
きのう、かなり強い雨の中、急ぎの調べ物があって、図書館に車を走らせました。
千葉県ではまたまた豪雨の被害が出始めているとのカーラジオニュースに暗然として、思わず舌打ちが出てしまいました。ところがふと目をやると、荒れ模様の海岸では少数ながらサーファーが遊び戯れています。そういうおらも、太平楽に資料探しに行く途中なのです。人間社会というものはこういうものなんでしょうかねえ。
で、ぽつりぽつりとしか人がいない図書館に着き、めあての文芸誌を捜したのですが、貸し出し中とかで見当たりません。しょうがないので、館内をぶらついて、然る後にふと目に付いた文藝春秋のかなり前のバックナンバーを1冊借りて帰ってきました。靖国神社に伊勢神宮から行った新任の宮司が、部内の会議で「天皇陛下は靖国をつぶすつもりだ」などと正直な思いを述べたところ、それがたちまちバレてしまって辞職したという出来事がありましたよね、その宮司がなんか書いているのがこの号の目玉のようなので、ちょっと興味をひかれたからでした。
ところが、家に帰ってぺらぺらと眺めると、宮司の話はまあどうでもいいようなことが書かれていましたが、それとは別の、あっちこっちの町を訪ねてどうとかという続きものが載っていて、福生(ふっさ。東京の西、立川の先の米軍基地の街)のことが書かれていました。福生といえば、学生時代のフランス語クラスで、前に書いた小紋潤と並んで大きな存在感を示し、今でもおらの記憶に鮮明に残っているベ平連のエンドウクジラの活躍の地だったので、あれっと思って読み始めました。
読み進んでいくと、なんとそのエンドウクジラこと遠藤洋一について、かなりの紙幅を割いて、書き込まれているのです。
なんたる偶然! きのうだかおとといだか、このフランス語クラスでの□○派学生とのやりとりなどをこのブログに書いたのでしたが、その教室にいたエンドウクジラにおよそ50年ぶりに紙面で出遭ったのでした。故人になっていました。
遠藤は北海道の出身と聞いていましたが、当時、杉並区の阿佐ヶ谷駅北口近くのアパート2階に住んでいました。「クジラ」というのは、いったい何キロあったのか、とにかく大肥満というのか巨漢というのか、とても大きな男だったゆえの愛称でした。デモに行って、べ平連の隊列を見ると、隊列から少し離れて、おそらくああだこうだと指示していたのでありましょう、なんか怒鳴っている彼の大きな姿が目立ったものです。
おらも阿佐ヶ谷の南口方面に住んでいたので、なんの用か、どんな経緯かも忘れてしまいましたが、彼本人から自分のアパートに行って何かを持って来るよう部屋の鍵を渡されたことがありました。室内に入ると、少し呑んだだけのサントリーvsopが机の上にのっていて、中身が入っているところの上辺にマジックインキで印がついていました。おらと、確かもうひとり、のちに富国生命を勤め上げた山野がいたように思いますが、ふたりで、印を消して呑んでは印をつけなおすというのを2回ばかりやって帰ってきたことを思い出します。
エンドウクジラも長崎の小紋潤同様、途中で学校から姿を消し、以来、一度も会うことがありませんでした。ただ、おらが埼玉県警本部内の記者クラブに詰めていた時期、小沢遼子県議の関係で二回ほど電話をもらったことをいま思い出しました。