相変わらず、春まじかの富士山は霞がかかったり、雲に覆われて姿はあまり見ることはできない。観光客や卒業旅行などで富士山を見たいと思ってもなかなか、ニーズに応えてくれないのが山である富士山。そんな意味でも、富士山を眺めることができることは、幸せなのかもしれない。
嫌いな飛行機で、「左手(右手)に富士山が良くご覧になれます」といったアナウンスが流れることがある。すると反対側の席の方たちは残念がり、見える方向の窓側から歓声が上がる。もちろん、飛行機が嫌いでいつも通路側の私は目を閉じているので見ることはない。
確かに、こんな高い位置から富士山を眺められるのは人間しかいないだろう。見なくては損なのかもしれないが、航空機の窓を通し、透明度の低い特殊な素材越しの富士山。想像しても仕方ない。知人で航空機からの写真を送ってくれる方がいる。鮮明にいい写真だ。それはありがたく、楽しみだ。だから、空からの撮影が専門の人にこれからもお願いする。
今日の午後には、私も空の上。揺れないことを願うが、目を閉じて音楽を聴き、二時間ほど向かい風の空を飛べは南国。まあ、我慢の一言。
Katia Guerreiroという歌手を紹介したが、実はこの歌手を知ったのは、JALの飛行機の中だった。機内誌を見ていると「正統派のFado歌手」として小さな記事があった。ANAとは違い、国際線を生業にしていた機内誌は当時センスがあった。音楽の選曲はJALはいい。反対にANAは比較にならないほどひどい。子供向けやヤング向け、クラッシックと幅広く選曲しているようだが、実にセンスがない。近頃都合でJALに乗ることは少ないが、今でもそれは変わらないだろう。
JALは、あわよくば国内線でも国際線の機内誌を頼むと貰えることがあった。もう少しがんばって昔のようなJALになってほしい。もうひとつ、今回のANAのCAの制服は本当にセンスがない。あのストライプはなんなのだろうか。
話を戻して、Katiaのことを書いてみよう。彼女は1976年生まれ。リスボン大学の医学部を卒業した才女。生まれは南アフリカだが、その後ポルトガル領のアゾーレス諸島に移り住んだ。当時はファドが本国では批判されていたが、離れたこの島ではファドが息づいていた。そして彼女の一大転機は、アマリアの一周忌コンサートでその歌声を披露し、一躍ファドの女王の再来となった訳だ。あれ以来彼女の音源は全て収集した。実に哀愁を漂わす声と、夕暮れの雨に濡れた路地の石畳みを歩いていると、バールから歌声が聞こえてくるような風景を思い出させてくれる。
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