【源太郎】登場人物や設定は全て架空です。
一義の院長就任は、理事会で反対されることなく、思いのほかあっけなく無事承認され、その後、篤と共に婦長など全ての職員の辞令発令を終えて院長室に戻った。源太郎は、戻った一義に明日富山に出向くことを伝えにきた。一義は「外国に行くわけでもなし、何時でも会える。だから送別会でなく壮行会を今日したい」と言った。源太郎は、篤から既にこのことを聞いていたので、快く一義の申し出を受けた。
今日は、「男だけだぞ」と篤が言うと、源太郎は寂しいとおどけたが、篤の根回しと配慮にはいつもながらに感謝した。一人を呼べば、必ず一人増え、一人増えれば又一人増える。それよりも、源太郎が全てを託す男たちの飲み会が何よりの餞別だった。
それでも、男たちだけの飲み会は時が過ぎると寂しい。それは篤も解っている。篤は二次会用に小さなクラブを予約していた。見付駅の路地裏の店は元芸能人のママと女優の卵たちがいた。源太郎と篤はカウンターが好きだが、一義が話しやすいようにボックスに座った。ここのママは従業員の躾けが厳しい。勝手にお客の隣りに座ることはなかった。
篤とママが小声で話し、ママの目配せで二人の女の子が席についた。篤は最も離れた位置に座り、一義と源太郎が話しやすいように位置した。飲み物は篤が既に手配し、それぞれの前に、二人が好きな酒が置かれた。篤が、院長就任と源太郎の副社長の就任の音頭を発しグラスを少し持ち上げ、二人もそれに従った。
「一義、富山は近いがお腹の大きい玲子は今連れていけない。といって俺のお袋は当てにはならない。結局、お前と香さんに面倒かけるかもしれないが、頼むよ」と言うと、一義は任せろといい、源太郎は頭を下げた。そして、吹き切れたように、篤と共にいつもの遊び人に戻った。「篤さん。こんなに若い娘がいる店を知っていたとは。しかも赤坂だよ。篤さんは一度も僕を連れて来なかったじゃないの。ママ、いつから」篤はたまたま入った店で、ママと気があっただけと答えたが、明らかに違うことは、源太郎はすぐに理解した。
十一時を過ぎ、源太郎は玲子に電話をいれた。一義は先に帰るが、篤さんと飲みに行くので、朝帰るから先に休むように話し、明日夕方の便で富山に行くので、午前中に一度自宅に戻るといった。玲子は信頼している篤が一緒なので安心し、篤によろしく伝えて欲しいと頼み電話を切った。源太郎は、一義を店の前まで見送り店に戻った。すると、席は好きなカウンターに移動しており、篤の隣に座った。「やっぱり。カウンターが落ち着く」と源太郎が言うと、篤もそうだと答えた。
「富山の店は明日から使えるから大丈夫。桜木町の大通り側だから、心配ないし、彼女のマンションも市電で一駅と掛からない。お前のマンションも近くだから安心だろ。先のことだが小児科も近いから、玲子ちゃん来ても大丈夫さ」と篤は鍵を渡した。
「ありがとう。何から何まで世話になりました。本当に感謝しています」「こっちこそ、弟のことをよろしく頼むよ。無理言って申し訳ない」
しばらくすると、篤が「早く行ってやれよ。俺はここで飲んでいく。セレナには言ってあるから」と源太郎の予定をさしはかって言った。「じゃ。お先に失礼します。ご馳走になっなりました」と挨拶すると「早く行ってやれよ。気をつけてな」と篤は急き立てた。源太郎は、残りの酒を飲み干し、もう一度頭を下げ店をでた。
絵里香はマンションを既に引き払っているので、東京の最後の夜は小高い丘の上のホテルに泊まるように手配していた。彼女の荷物は既に送っているので、小さい旅行バック一つだった。それを入口側の荷物テーブルに置き、絵里香は窓脇のソファーに腰掛けて夜景を見ていた。「早かったわね」と玲子が立ち上がった。源太郎は何も言わずに絵里香を抱きしめた。煙草の匂いと酒の匂いが絵里香を包んだが、優しい源太郎の匂いは思い出多い東京を離れる絵里香にとって、最高の贈り物の安心感だった。
夕方、羽田空港の搭乗待合室に朝別れた絵里香が源太郎を待っていた。源太郎は保安検査場で病院関係者に出会い、話し込んだため、ギリギリに搭乗待合室に来て、右手を軽く上げた。絵里香はそれを見て安心し、先に機内に入った。富山便は離陸すると、すみ慣れた街が眼下に広がり、すぐに後方に流れていった。飛行機は一気に高度を上げ、北アルプスを過ぎると、着陸のために高度を下げ、富山湾を旋回して河川敷の空港に進入していった。搭乗時間は一時間足らずだが、陸路で移動すると、最も東京から離れた位置にある街が富山である。
空港に降り立つと、絵里香は源太郎のやや後ろを歩き「近いわね」と言った。
「ああ。この時間なら東京は恋しくないだろ」
「そうね」と言った彼女を振り返ってみると、源太郎は少し安心した。
いく度なくこの地を訪れた源太郎は、空港からバスで市内に向かうため並んでいる乗客を横に見て、タクシー乗り場に行き、絵里香の荷物と自分の荷物をトランクに入れて乗り込んだ。タクシーは直線だが信号の多い道を進み、大きな郊外の店舗を左右に見て市内に入った。彼女の荷物は明日届くので、源太郎は絵里香を彼女のマンションの場所に案内し、そしてすぐに駅前のホテルに向かった。チェックインし、荷物を部屋に入れ、夕食に出かけることにした。そして絵里香の新しい店の場所を案内し、いきいき亭の暖簾をくぐったが、魚を食べないことに気づき、近くの和食屋に入り直した。
「すまん。ダメだったよな。富山は魚が美味しいからつい入ってしまった」
「気にしないでいいのに。これからは、食べれるように努力します」と言って見たものの、源太郎は無理するなと諭した。
翌朝から、二人はそれぞれ、片付けや手続きに追われあっと言う間に時が過ぎた。それでも、知人が居ない彼女のために夕食は必ず一緒に食べ、その日出来事を報告し合った。まるで、あの頃の様な時が戻った思いだった。
週末に源太郎は東京に戻り、再び日曜日の最終便で富山に戻った。絵里香も店が忙しくなり、淋しさはなく日曜日の源太郎の帰りを楽しみに働いた。店は綺麗で長いカウンターが絵里香は気に入っていた。「少し広いわ。私だけでは無理ね。若い子もう一人雇おうかしら」と帰って来た源太郎にいうと、嬉しそうに「そうだな」と答える。その反応に「ダメ」と絵里香は口を尖らせた。笑いながら大通りを歩く二人の横を、市電がきしみながらゆっくり走って行った。