暗いブログ
 



私は、父親である。

しかし、私には、父親と暮らした記憶はない。

物心つく前に、両親は離婚している。

子供の頃、3ヶ月に1回くらい父親に会っていたのだろうか。

兄は、物心ついてから、離婚している。

つまり、父親を認識している。

父親が、好きだったのだと、思う。

私は、この人がお父さんなのだろう、とは理解している。

しかし、接し方がわからない。

兄は違う。

全力で、父親にぶつかる。

私が、多分父親なのだろうと思うおじさんに、

全力で戦いを挑む。

おじさんは、兄をぶんまわす。

兄は、何故だかとても楽しそうだ。

こんな兄は見たことがない。

いつもは私に暴力をふるい、残虐性すら感じる兄が、

自分の全てを、その人にさらけ出すように、心から笑っている。

あんな無邪気な兄を見たのは、初めてだ。

だから今でも記憶しているのだろう。

あの時、私はどうしていいのかわからなかった。

兄を手本に生きてきた。

今兄は、おじさんに全力でぶつかっている。

やられて、全力で笑っている。

私も兄に続かなければ。



でも、できない。

私はあのおじさんに、全力で立ち向かえない。

誰だかわからないおじさんに。

何故兄はあんなに楽しそうにしているのか、まるでわからない。

おじさんも、どうやら私には興味がないようだ。

私は子供ながらに、何か私の入る世界ではないのだろう、と感じた。

ここが、秩父であることは知っている。

わざわざ秩父まで来て、私はただ、2人のやりとりを茫然と見て、

帰っていくのである。



なにが言いたいかというと、私には父親がいない。

正確には、いるけど父親という存在を認識していない。

いざ自分が父親になるにあたり

目指すべき像がない。

ステレオタイプがない。

これはある意味、素晴らしい。

日本の父親像というものが、リセットされた。

父親の威厳だの、父親はこうあらねばならないだの

そんなものはない。

父親がいなくても私は真っ当に成長したからだ。

父親は必須ではない。

自分の存在を肯定するなら、そういうことになる。

だから、父親は威厳がとか、私にとっては無意味だ。

むしろ、そんなものなくて良かったと思う。

父親がいなかった私にとって、父親はいるだけでいいじゃないか

父親の存在自体が、ボーナスステージだ。

だからって、なにしてもいーわけじゃないけど、

父親は威厳がどうこう、なんて肩肘張る必要はないのだ。

ちゃんとそこにいる、それだけで十二分だ。

まあ男の私にとって、父親がいたほうがよかったなと思う点は何点かある。

でもね、そんな理想はどんな環境にもあるわけで

オプションにすぎない。

基本、父親はいなくても、子供の発達に対して影響しない。

ま、いまでも大人の男が少し苦手ですけどね。

信用できないから心を開けない。

弊害はそれくらいかな。

ま、ステレオタイプを持たない、

先入観にとらわれない私の思考の原点は、ここにあるのだとおもいます。

もし、子供への影響が原因で離婚をとどまっている方がいらっしゃるのであれば

無理して一緒にいるメリットは、そんなにないんじゃないかな、

と、わたしは思います。

あくまで、一意見として、取り扱いください。







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