2016/04/25 春日井市の下街道『内津』すみれ塚を訪ねる。
●見性寺と横井也有
江戸時代の尾張藩士で国文学者の也有は安永二(1773)年72歳の時に滞在した也有は住職と漢詩(七言絶句)を唱和して楽しんだ。
◇漢詩
入口 説明板 也有像 漢詩の石碑
◇見性寺境内に四基の句碑
①あたたかな 家あり山は 秋ながら
見性寺は万松寺(名古屋の大須)の網国和尚が隠居していた。也有と顔み知りで、久しぶりに交友を温めて、友に語り合った時の一句と云われています。
②さりながら 人事いはず 行々子
③すす掃や そろう火箸(ひばし)の 久しぶり
④夢もみじ 鹿きくまでは 臂(ひじ)まくら 蘿隠(らいん)(也有の別号)
① ②と③ ④後日撮影です。
●鵜飼史郎邸
当家は「舎(やまきち)」という屋号の商家で代々「源六」と名乗り、幕末から大正初期まで「金勢丸(腹薬)」「正生丸(かぜ薬)」などの薬を中心に、みそ、たまりを醸造していた。母屋は元治元年(1864)年の建物でもで木造二階建ての切り妻屋根で軒下には、唐破風屋根(銅版)と龍の彫刻があしらった看板があり、母屋の裏には土蔵が幾つもあり、その中に三階建ての珍しい土蔵がある。
母屋 金勢丸の看板 三階建ての土蔵の三階部分
●内々神社と妙見寺
内々(うつつ)神社庭園の右手、鶉衣「内津草」の小道に也有の句碑と登り終えると小さな丘に「すみれ塚」に出ます。
◇「内津草」の小道
安永二年(1773)也有は名古屋の前津から駕で勝川(春日井市)、内津に掛けて詠んだ句。
・勝川の太清寺にある句碑
かち人の 蹴あげや駕に 露時雨(つゆしぐれ)
太清寺十王堂 句碑
・勝川、夜明けで一句。
①麓から しらむ夜明けや 蕎麦畑
①
・鳥居松でよが明け、食事で一句。
②夜と昼の 目は色かへて 鳥居松
②
・大泉寺、徒歩から又駕で一句。
③山がらの 出て又籠に もどりけり
③
・尻冷やし地蔵の前で狂歌を残す。
④尻ひやし 地蔵はここにいつまでも しりやけ猿の 心ではなし
④
・坂下、明知、西尾(さいお)通り一句。
⑤駕たてる ところどころや 蓼の花
⑤
・内津に住む長谷川三止(善正)らの迎えの者に出会い一句。
⑥名もにたり 蔦の細道 うつつ山
⑥
《春日井の散歩道より》
◇「すみれ塚」
①鹿啼くや 山にうつふく 人心 (也有翁)
②山路来て 何やらゆかし すみれ草 (芭蕉翁)
この句は芭蕉が逢坂山あたりで吟じたものと伝えられる、筆は也有で、親しかった内津の俳人長谷川三止(善正)が建てたもの。
① ②
③雲日も 照日もぬれて 若葉かな (明之房あけのぼう)
④芝橋や 下行風に 冬の音 (桂坊)
⑤人の親の 焼野のきゝす うちにけり (暁台翁きょうだい)
③ ④ ⑤
《春日井の散歩道より》
以上
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