きままな旅

きままな旅ときままな日記

2022/05/10豊川稲荷、豊川進雄神社、徳城寺、三明寺を散策する。

2022-05-18 | 尾張文化の会

2022/05/10豊川稲荷、豊川進雄神社、徳城寺、三明寺を散策する。
 名鉄豊川稲荷駅を下車し、表参道を西に向かうと豊川稲荷の総門に出る。
 
  名鉄豊川稲荷駅   表参道

✿豊川進雄神社(すさのおじんじゃ)
 当神社は大宝元年(701)豊川の西岸に牛頭天王を祀って雨乞いの祭祀を行ったことが創始であると伝えられる。
 鎌倉時代、尾張東部の領主、大江一族が当地に入り、その後池田輝政の領地となり刀、鞍等を奉納した。江戸時代には領主の水野佐渡守、天領代官鈴木八右衛門、小笠原壱岐守、など多くの領主に保護され享保二十年(1735)大岡越前守忠相が当地を所領し刀、灯籠、本殿修理費などを奉納したと伝える。
 県指定無形文化財「進雄神社の奉納綱火」は昭和43年指定。拝殿から鳥居の間に麻綱を張り、麻綱に噴出煙火を仕掛けて走らせる。なお、綱火のほかには手筒花火も奉納される。
 
  入口の鳥居

  本殿
 
  拝殿前   擬宝珠(豊川進雄神社の刻印が良く見える)

✿徳城寺(とくじょうじ)
 当寺は弘仁13年(822)創立と言われる曹洞宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。そして本堂の裏手にお堂が有り中には弘法大師(空海)のお告げによって掘られた「錫杖井戸」がある。
 
  山門   本堂
 
 錫杖井戸の由来(縁起)   堂内の井戸(経台の奥)

✿薬師如来堂
 宇堂は2001年に再建170年祭を記念して再び開門、堂内には薬師如来像を中央に、左右に日光と月光菩薩その周りに十二神将が配置される。
 
  入口   参道

   お堂

✿豊川稲荷(妙厳寺)(みょうごんじ)曹洞宗
 豊川稲荷の本殿は妙厳寺(みょうごんじ)で嘉吉元年(1441)、永平寺御開山道元禅師の六代目、東海義易禅師により開創された。本尊は千手観音菩薩であり、鎮守として「豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)」祀る。
 通称の「豊川稲荷」は「豐川吒枳尼眞天」が稲穂を担いで、白い狐に跨っておられることから広まったと伝える。
 信長、秀吉、大岡越前、渡辺崋山など武人、文人の信仰を集めた。
〇総門は明暦2年(1656)に一度改築され、現存の門は明治17年(1884)に黙童禅師(29世)によって上棟改築された。
門扉及び両袖の扉は欅(けあき)一枚板で高さ4.5m、幅1.8m、厚さ15cmの重厚感がある、屋根は銅板鱗葺(うろこぶ)きである。
 
  総門  総門(境内より)
 
  鎮守堂   鳥居と後方は寺宝館


 
  豊楽殿   御輿殿(みこし殿)
    
 参道   本殿(妙厳寺) 

  万燈堂

  弘法堂

  大黒堂

  霊狐塚(入口)

  奥の院

  納付堂
 
  景雲門
 
  鐘楼堂
 参拝日は宝雲殿が工事中でした。

✿豊川海軍工廠戦没者供養塔
 昭和20年の空襲で犠牲となった工廠従業員の供養塔です。
 
  豊川海軍工廠戦没者供養塔

✿桜が丘ミュージアムは整備休館中でした。

✿延命地蔵菩薩
 お堂は約700年の昔この地に建立された。「吾妻鏡」に平維盛東征の頃の道で、その後、源頼朝が鎌倉街道を整備した。
 
  お堂   由緒版

✿三明寺(さんみょうじ)曹洞宗
 本寺は大宝二年(702)文武天皇が三河国に行幸の折、この地で病にかかったが、弁財天の霊験で全快したことから、大和の僧・覚淵に命じて堂宇を建立したのが始まりという。
 
  参道   山門

  本堂
        
  辨才天のお堂
 三重塔(国指定重要文化財)は解体修理の際に発見された墨書により享禄四年(1531)の建立と伝える。比較的小型の塔であるが、一層・二層を和様、三層を唐様とし、外観に変化を持たせている。
 
  三重塔
 
  説明図
  以上

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