国際的に有名な指揮者の登竜門と言われるコンクールのドキュメントを見た。
ドイツの放送局が制作した。
500人からの応募者の中からコンクールの行われる現地には20名くらいしか呼ばれない。
その中から一次、二次そして最終審査と進む。
今回の優勝者は日系二世の男性だ。
通常、指揮者がもついわゆる指揮棒を持たない。
手の動きだけで指揮する。
それが良くて優勝したわけではないが。
いろんな国や地域から世界的な指揮者を目指してコンクールに参加する。
もちろんオーケストラは名の通ったオーケストラだ。
楽器奏者もそれぞれに年季の入った奏者だ。
だから、一度その指揮を見るだけで技量を判断できる。
無論彼らは審査員ではない。指揮者の言う通り演奏する。
が、コンサートマスターだけは終了後遠慮なく審査を終えた指揮者にどこが良くてどこが悪かったか
かなり辛辣な評価をする。
こうして選ばれたものがその後世界的な指揮者になるかどうかは分からない。
あくまでもコンクールだから。
ウズベキスタンから来た若者は最終選考の一つ前で落選だ。
審査員から特別賞にする、二年後に呼ぶのでぜひ来てほしいと。
だが、彼は今回優勝できなければ意味がない。
二年後には来るものか、と。
最後にコンサートマスターと話す中で彼の中で変化が。
次に呼ばれたら来ると。
この日系人がコンクールで優勝したと報じられた記憶はない。
審査委員長曰く。
指揮するということは楽譜に忠実に演奏させることではない。
作曲家の人生。この曲に何を込めたのか。どういう風に演奏してほしいのか。
深く掘り下げる中で自分の曲を作る。
それを演奏者に確実に伝えその通りに演奏させる。
どれほどの演奏キャリアがあってもそれは関係ない。
むしろ、キャリアがあるからこそ指揮者の思いが理解できた時に忠実に演奏する。
例えば16分音符の連続をどう演奏させるのがこの曲のテーマを存分に表現できるか、などだ。