今日の花は「十二単」
ジュウニヒトエとヒメツルソバと同じ場所で毎年咲きます。
どちらも丈夫で手間要らず多少踏み込んでも翌年は立派に咲きます。
わが国の本州から四国に分布しています。
高さは10~25センチになります。
全体に長くて白い毛に被われます。
茎葉は倒披針形で対生し、波状の鋸歯があります。
上唇が非常に短いのが特徴です。
和名は、花が幾重にも重なって咲く様子を、女官の十二単に
喩えたもの。
シソ科キランソウ属の多年草で、学名は Ajuga nipponensis。
英名はありません。
今日は何の日(皇紀二千六百八十年五月一日(金) )
記念日・行事・お祭り
●日本赤十字社創立記念日(日本赤十字社)
●メーデー
歴史上の出来事
▼藤原泰衡に攻められた源義経が高館の持仏堂にこもり妻と
子供を殺して自殺する。31歳(1189)
▼ロンドンで世界初の万博開催(1851)
▼枢密院が設置、初代議長に伊藤博文が就任(1888)
▼わが国初のトラピスト女子修道院が函館・湯の川に設立。
カトリック系のベネディクト教団の流れを継ぐ一派で、
厳格な戒律でつとに有名(1898)
▼図書館法が公布(1950)
▼ソニー、世界初のトランジスタテレビ発売(1960)
▼天皇陛下が即位。「令和」に改元(2019)
今日の誕生日
▼ガウス(数学者・1777)
▼レハール(作曲家・1870)
クローズアップ!
メーデー
「May Day」のルーツは、ヨーロッパに古くから伝わる五月祭といわれ、初夏の若草の出ずる野に集い、花を摘み、歌い踊る楽しい祝日だったという。現在のメーデーは、1886年5月1日、米国の労働者が「8時間の労働、8時間の休息、8時間の教育」を叫びストライキ、デモを行ったことに始まる。3年後の第二インターナショナル創立大会で、この日を<万国労働者団結の日>と定め、労働者の祝日とした。翌年に第1回メーデーを開催。日本でのメーデー初集会は、1905年(明治38)に平民社で開催された「メーデー茶話会」だが、労働組合主催で公然と行われたのは、1920年(大正9)5月2日の上野公園でのメーデーが最初である。戦後の1952年のメーデーは、デモ隊と武装警官が衝突する流血事件となった。
ーー-----お知らせ&メモ------ー
こちらは、次の更新までのメモ&日記、ぼやき
□令和2年5月4日(月)
今日のヤフーニュース・デジタル毎日版から。
#アベノマスク
政府が全国に配布を進めており、妊婦向けのものを中心に不良品が相次いで発覚した布マスク。
福島市の燃料輸入販売業者「ユースビオ」と、
千葉県富里市の切り花輸入商社「シマトレーディング」の2社だ。
厚生労働省と2社が結んだ契約書を入手し、ツイッター上で2日公開した。大規模な「国策」の随意契約で、なぜこの2社が選ばれたのか。
契約書を見てもなぞが深まるばかりだ。
政府は妊婦向けマスクの納入業者は4社あり、うち3社は、医薬品などの専門商社・興和(名古屋市)▽大手総合商社・伊藤忠商事(東京都)▽総合アパレルメーカー・マツオカコーポレーション(広島県福山市)--と発表したが、残り1社は当初明らかにしていなかった。菅義偉官房長官が4月27日になり、ようやくユースビオだと公表し、他3社に比べて事業規模が小さく無名の会社であることから注目された
さらに28日には、加藤勝信厚生労働相が衆院予算委員会で、ユースビオに加え、関連の輸入業務についてシマトレーディングとも契約しているとした。
契約額は両社合わせて合計5億2000万円としていたが、枚数や単価、契約時期は明らかにしなかった
厚労省が福島議員に示した契約書は2通あり、契約日はいずれも3月16日。ユースビオとは「生産原料調達一式」の契約を結び、「ベトナム産 抗菌布マスク原料」を「単価55円、350万枚」で発注。シマトレーディングとは「輸入業務一式」について契約し、「ベトナム産 抗菌布マスク」を「単価80円、350万枚」で発注するとしている。いずれも「履行期限又(また)は契約期間」は3月31日で、契約保証金は「免除」となっている。
#随契
当社(零細企業)で商いをしてた頃、官公庁の調達部門で随時契約は思わず笑みがこぼれる程嬉しい契約だった。
要求課と詳細な仕様書を作り稟議書を出して貰い調達課員が出来る範囲は当時10万円以内で総額の単位が一桁上がると主任・係長・課長と徐々に階級が上がり最高は議会決済と成ってたようです。
当然。詳細な仕様書と原価計算書が必要。 他社では出来ない・納期限に間に合わない。
当社の契約は「契約保証金は「免除」となっていた」
稟議書が回った。と、聞かされたらOKと同意語ヤッタでした。降りる迄時間が掛かり他社では納品不可能な状態に成る。
根回しが上手く行ったときは拍手ですが失敗は一度有り三ヶ月の見積もり入札不可の書類を貰った。
でも、粋な計らい?で出入りは禁止とは書いて無かった。
今回の不透明な随契は政治家と仲良し?な業者・商社が存在したのでは、と感じた。
□令和2年5月5日(火)