東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

HPからブログに移行し、ちょっと明るい雰囲気です。仏事、納骨、永代供養のご相談、どうぞお申し出ください。

小説 小松原法難 ⑵

2017-11-15 16:20:50 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
こんにちは。
小説の続きです。

気温の変化が大きいので呼吸器に障害のあるわたしには辛い季節です。
風邪が流行ってます。インフルエンザの予防もお早めに。



小説 小松原法難 2



工藤館では当主吉隆が日蓮の来着の遅れを気にしていた。領地の境界まで出迎えようと郎党からの報告を待ったが、遂に居ても立ってもいられなくなって日蓮を迎えに出かけることにした。身重の妻が門前まで出てきたのを気遣いながら、吉隆は振り返ると笑顔で声をかけた。
「奥よ、生まれくる子が男の子であったならば聖人のお弟子にしてもらおう」
「まぁ、お気の早いこと」
利発で慎ましやかな女性であった。一族郎党の誰もがこの妻を大切にしてくれる。馬上の吉隆は天を仰ぐと大きく息を吸い込み「参る」と言うと数名の郎党と共に走り出した。
(そう決めた。男児ならば必ず聖人のお弟子に加えてもらおう)
しばらく進むと先行していた郎党の熊十が血相を変えて駆けてきた。
「御屋形様、一大事。一大事にございまする」
「どうした。何があったのじゃ」
馬から下りた吉隆は倒れ込む熊十を抱き起こすと、腰に付けた水筒の水を与え事情を訊いた。
「と、東条景信、郎党や念仏信者を引き連れて聖人を襲撃とのこと聞き及び、急ぎ引き返して参りました。よ、与次郎は詳細を調べると言って東条屋敷に張り付いております」
天地が動転した。何が何でも日蓮を窮地から救わねばならない。
「与兵衛、与兵衛はおるか」
与兵衛と呼ばれた壮年の郎党が吉隆の側に駆け寄った。
「はっ、与兵衛にござる」
「うむ。そなたはこれより熊十を伴って館に戻れ」
「急を知らせよ、とのことですな」
「そうじゃ。館の守りはそなたの手の者と熊十で当たれ。残りは全て押し出せ。よいな」
「お断りいたしまする」
与兵衛はきっぱりと断った。
「な、何と申した」
吉隆は気色ばんだ。与兵衛は父の代から工藤家に仕える郎党であった。戦闘よりはむしろ家宰として家を取りまとめる役柄が向いていた。そんな与兵衛がこの一大事に首を縦に振らないのである。
「御屋形様、わしは自分の手柄が欲しいわけではありません。ただただ幼少の頃からお仕えいたしておりました御屋形様とお別れし、一人館に戻るなど……」
与兵衛はぼろぼろと泣き出してしまった。吉隆は与兵衛の方に手を置いて語りかけた。
「与兵衛。そなたの気持ちは有り難い。すまんとも思う。しかし今館に戻って指揮を執れるのはそなたしかおらぬのじゃ。わかってくれ。東条景信は老獪な男ゆえ、わしが駆けつけるを計算してすでに一手を館に差し向けて居るやもしれぬ。先陣するは部将の役目、館にて指揮するは都督の役目じゃ。ここは与兵衛、そなたでのうては務まらなぬ。よいか、これ以上無理を言うてはならぬ」
与兵衛は館に戻ることを了解した。吉隆は残りの数名の郎党に声高に宣言した。
「よいか、東条景信が日蓮聖人を襲撃した。日蓮聖人のお命はそのままこの工藤吉隆の命でもある。これより逆賊景信を討つ。皆の者われに続け!」
おう、と言う返事を残して駆けだした。
「与兵衛、奥にのう、聖人は必ずこの吉隆がお救いいたす故、心配いたすなと伝えてくれ」
吉隆は熊十を肩に担いでこちらを見送る与兵衛にそう叫ぶと一気に駆けていった。
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小説 小松原法難 ⑴

2017-11-13 16:35:36 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
妙政寺では毎年11月11日の午後8時から小松原法難会を厳修いたします。

小松原法難とは日蓮聖人御生涯での四つの大法難の一つです。
いまから17年前、日蓮宗大阪市宗務所の団体参拝旅行で小松原山鏡忍寺に参拝いたしました。
その折の旅のしおりを一人で作成しました。これを載せたいがために!です。
完全に団参私物化!あはははは。
ま、ちゃんと当時の宗務所長さまにはご了解を得ておりましたけどね。



天津領主・工藤吉隆、祖師に教えを請い、景信宿年の怨みを雪がんと松原に潜む。殺気四面を蓋い、森々と剣槍を排ぶ。鏡忍房笑いて松枝を振るい、冷箭五矢その身に在り。祖師の御前に仁王立ちすること、かの弁慶が義経を護らんが如し。景信の一念祖師を襲うも法華行者の守護神これを護らんと欲して神力を現じ給う。吉隆急を聞きて駆け、景信不利をさとりて北る。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。一乗受持の決意なお篤し。我が名は工藤吉隆。釈尊を尊び、聖人を敬う。その想い主人よりも、朋輩よりも強し。
 


小説・小松原法難

今年も十一月十一日、安房国東条松原と申す大路にして申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあふものはわづかに三、四人也。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなづまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ、打れ、結句にて候し程にいかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。
~南条兵衛七郎殿御書~


東条景信は鎌倉の問注所における所領問題の訴訟で領家の尼に敗れたことが腹立たしくてたまらなかった。何よりも領家の尼をバックアップしたのがあの日蓮であったことが、彼の怒りを更に大きなものにしていた。しかもあろうことか、その日蓮が今や景信の勢力圏で好き放題に布教活動を展開している。もはや景信にとって日蓮は仇敵であり、彼は隙あらば日蓮の命を狙おうと画策していた。
そんな折の文永元年(1264)11月11日、日蓮は天津の領主工藤吉隆の請いを受け、その館を訪れることとなった。この知らせは東条景信を歓喜させた。
「うわはははは。ついにあのくそ坊主も年貢の納め時じゃ」
景信は一族・郎党を呼び集めると、近隣の念仏信仰の者達にも大悪人日蓮を討つべし、と煽動して回った。
(いや待てよ。この際工藤一族も討ってしまうか)
景信は頃合いを見計らって天津の工藤吉隆に日蓮襲撃の報が届くように手配した。景信の所領近辺から、安房の国から、いやこの世から法華信者を抹消したい。熱心な法華信者である工藤左近吉隆は極めて目障りな存在だったのだ。
吉隆め、急を聞いて必ず押っ取り刀で駆けつけるに違いない………。

そんな陰謀を露知らず日蓮は弟子、警護の者あわせて10名ほどで小松原にさしかかってきた。時すでに申酉の時。すでに日も沈みかけて、あたりは薄暗い。
弟子の一人鏡忍房は風が動くのを鋭く感じた。影。殺気が四面を蓋う。彼は師の前に立ちふさがった。
「不覚。申し訳ありません。気づきませなんだ」
振り向きもせずこう言うと、鏡忍房は側に落ちていた松の木の太枝をつかみ取り大上段に構えた。油断。東条勢にすっかり取り囲まれている。何のために師のお供をしてきたのか。後悔の念が涌くより早く、影が割れ一際大きな騎馬武者が現れた。
「景信!」
全身の血が逆上してきた。
東条景信は鏡忍房には見向きもせずに日蓮に大喝した。
「日蓮。このくそ坊主め。今日こそ思い知らせてくれるわ」
言うが早いか景信は太刀を振り下ろしてきた。
「慮外者!」
鏡忍房がそれをうち払う。
「邪魔だ、木偶!」
しかし鏡忍房は一歩も退かない。松の太枝を自在に振り回しながら、巧みに取り囲む東条一党や念仏信者たちを威嚇する。
「師の御坊にはこの隙にお逃げ下され」
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