東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

HPからブログに移行し、ちょっと明るい雰囲気です。仏事、納骨、永代供養のご相談、どうぞお申し出ください。

諸天善神。境内外宮など

2016-12-31 20:00:17 | 妙政寺の紹介
こんばんは。
平成28年も残すところあと数時間となりました。
もう新年の準備は整いました。
年内ブログの最終更新です。



妙政寺は「加納妙見さん」と古くから親しまれてまいりました。
これは150年以上も前からです。
妙見大菩薩像はいつのものかはわかりません。厨子は大正3年に寄進されたものです。



いつ頃に奉安されたのか誰も知らないし、その存在さえ知られていなかった安立行菩薩さま。
ふるい祠を改めて、平成27年に外宮を新調していただきました。




今年の夏に境内の古井戸脇に奉安させていただいた七面大天女。

妙見大菩薩は「天」
安立行菩薩は「地」
七面大天女は「人」

妙政寺は大きなお寺ではありません。むしろこじんまりとした小さなお寺です。
が、「天・地・人」を祀る壮大なお寺でもあります。



鬼子母神さまはかなり大きな御尊像です。


数年前、初めて妙政寺を訪れたお寺さんが「なんか落ち着くなぁ。こじんまりしてるけどええ雰囲気のお寺やわ」と言ってくださいました。
「心が落ち着く空間」。
お寺としては褒め言葉です。嬉しかったです。


嬉しいといえば・・・
住職のメインPCはMacintoshなのですが、一時期Windowsだったことがあります。
春先に不動になってしまったので倉庫に保管してました。
暮れになって年賀状の宛名住所録を復旧していないことに気づいたのです。
いや、知ってたけどあえて触れなかったんです。

倉庫から引っ張り出してきて、そっと電源を入れたら起動します。しかしディスプレイはダメなようです。
それで新しいディスプレイを繋いだら、かなり不安定ですがなんとか稼働しました。
動くうちにデータ保存します。

おかげで今日、こんな時間にもう何もすることがなくなってます。
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河内の民話「維新と武士」

2016-12-24 20:56:16 | 河内國の昔話
こんばんは。
ちょっと更新が滞りがちです。

今日は「世界大冬至祭」ですね。
まぁ、年中行事ですから、難いことなしで。

またまた昔話シリーズです。

「維新と武士」

 千年以上むかし、祭神を奉じて加納の地に住みついた人びとの子孫が、宮座を組織して代々神社を守ってきました。その宮座の一つ、西組の座の長老・源兵衛やんの離れ座敷に、幕末より倉富という武士が住んでおりました。
 嘉永6(1853)年に米使ペリーが浦賀に来てから、開国か攘夷かと日本中が騒然となり、京都では天皇に政権を奪いかえそうと、公家たちが長州や薩摩藩を味方に策動し、京都守護職の会津藩士や新撰組と日夜激しく争いました。その争いの渦中に柳川藩の剣の指南役だった、この倉富さんもいたのです。
 ある春の宵、王政復古を願うための会合で清水の坂を下って来た所で、倉富さんらは新撰組の隊士と争う羽目になりました。その激戦でいっしょにいた無二の親友が命を落としてしまいました。
 友のあだ討ちとばかり、しゃにむに切りつけていたその時の倉富さんは、鬼と化してしまったのでしょう。松の木の陰にかくれている男を見つけると、勢いに乗じ、手を合わせて命ごいをしているその男を斬ってしまいました。その男とは、目の不自由な老僧だったのです。その翌日、倉富さんは悪夢のような昨晩の出来ごと、自分の振る舞いをどんなに悔やんだかしれません。
 やがて明治維新を迎え、日本中がようやく静かになりました。
 倉富さんは、世の中のための主義主張とはいえ日本人同士が殺し合う馬鹿らしさ、武士道の名のもとに縛られてきた自由。何もかもが空しく感じられ、静かに人生を送ろうと知己であった源兵衛宅へ身を寄せたのです。
 その間に、お世話になるお礼にと源兵衛やんの一人息子に、読み書きとともに剣の道と柔(やわら)を教えました。教える方は真剣そのもの、習う方ももとより利発もので熱心な少年です。めきめき腕をあげ、いずれも免許皆伝の腕前となりました。そのような時、倉富さんの目が日に日に悪くなってきたのです。
「これも、盲目の老僧を斬ったむくい」と、かつての所業を深く悔いる毎日でした。
 そんな時でした。盲目となる前に一度故郷の地へ帰りたいとの思いがつのってきたのは…。ある日、旅を案ずる源兵衛やんの止めるのも振り切って、故郷をさして旅立ちました。それっきり、倉富さんの消息は途絶えてしまったということです。源兵衛やんに残されている一巻の巻物のみが、倉富さんの心を今に伝えているように思えます。
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河内國の昔話「預かった赤ん坊」

2016-12-16 13:45:14 | 河内國の昔話
こんにちは。

さむ〜〜い。
寒いです。あきません。
気管支疾病のため、寒暖の差が激しいと厳しいです。

年末です。皆様もご自愛ください。

さて、河内國の昔話です。
今回は「預かった赤ん坊」というお話です。


〜預かった赤ん坊〜


 めっきり冷える秋の夜でした。加納村の源太さんは、妹のお里さんが産気づいたとの知らせで、お見舞いに行こうと夜道を急いでいました。おかげ灯ろうの横を曲がろうとしたとき、宇波神社の方から近づいてくる人影をみました。
 灯ろうのあかりに照らし出されたその影は、見たこともない美しい女の人でした。「ついそこまで、急いで行かんなりまへん。この子を、ちょっとの間お願いもうしま」女の人の言葉には、断ることのできない強い響きがあります。源太さんは、思わず両手を出して受け取りました。女の人はせかせかと急ぎ足で南のやみに消えていきました。
 源太さんは、とんでもないものを預かったと思ったのですが、かわいい赤ん坊の寝顔には見とれてしまいました。どれだけ時間が過ぎたのでしょう。赤ん坊が急に重たくなってきたのです。びっくりして赤ん坊を見ましたが、寝顔はかわりません。その間にも、赤ん坊は石のように重くなってきます。あまりの重さに放り出したくなるほどで額には油汗がにじんできました。
 もうこれ以上は耐えられないと思ったそのとき、すうっと一度に軽くなったのです。やれやれと思って赤ん坊を見ました。赤ん坊は相も変わらず、気持ちよさそうに眠っています。まもなく女の人が疲れた様子で帰ってきました。そして丁重に礼を言い、赤ん坊を受け取ると神社の方へ帰っていきました。
 ほっと息をついた源太さんは、「えらいおくれてしもうた……」と、お里さんの家へ急ぎました。お里さんは、無事に男の子を産みおとしていました。「やれやれそれはめでたい」と喜んで赤ん坊の顔をのぞきこんだ源太さんは、声も出せず息をのみました。赤ん坊は石のように重くなった先ほどの赤ん坊の顔にそっくりなのです。
 その上、お産の様子を聞いて、またまたびっくりしてしまいました。ひどい難産だったのです。母子ともに死ぬのではないかと思うほどにお里さんの苦しんだその時刻には、源太さんが預かった赤ん坊が石のように重くなったときです。やっと生まれたときは、腕が急に軽くなった時刻でした。あの女は、いったいだれだったのでしょう。
 加納の村人が五穀豊穣を願う氏神さまは、孝元天皇の妃(きさき)で河内青玉繋(かけ)のむすめ埴安媛(はにやすひめ)さまだといわれています。その女神さまが、赤ん坊を源太さんに預けた女(ひと)で、あの夜氏子であるお里さんの難産を救って下さったに違いないと、村人たちは今でも信じています。
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納骨供養碑

2016-12-10 21:36:44 | 納骨や永代供養のこと
こんばんは。

昨日の東京での会合は久しぶりに全く実りのない会合でした。
労力の無駄、お金の無駄、時間の無駄。
会議の体をなしていない、酷いものでした。

ただ、夕食を何人かと一緒にさせていただいたのですが、こっちは会話も弾み有意義な時間となりました。

さて庭の造作ですが、実質3日間で終わりました。
妙政寺の駐車場ですが、まぁそんなに狭いわけではないのですが、2tトラックが2台、仏具屋さんの営業車、その他普通車が2台。この日はちゃんと収まりました。



巻き石設置作業です。
普通なら石材店で用意してもらうのですが、庭にある石を利用してもらいました。



ユンボで穴を掘り、筺を納めます。
とにかくユンボが大活躍しました。



最終日に一気に仕上げていきます。
この日は作業ふたり。
またまたユンボが活躍します。



碑銘は「慈」。
法華経序品第一に「以慈修身 善入佛慧 通達大智 到於彼岸」とあります。



もう少しで完成。
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庭の造作

2016-12-08 22:52:54 | 妙政寺の紹介
こんばんは。

今週はハードスケジュールです。
月曜日からずっと会合やらが続いてます。年末だからですかねぇ。

世間様はそんなに毎日はないと思いますけど。。。

昨日は教区の所長会議。今日は門下懇話会の研修会でした。

さてお庭の造作です。




ユンボが庭に入ってきました。
トラックの荷台で見ると大きくは見えないのですが、実際に近くで見ると「超ミニサイズ」でもユンボはそれなりに大きいです。




かつて夏蜜柑や棕櫚、椿が植わっていた場所です。
土曜日に始まった造作作業です。


プランターを並べて野菜を作っていたスペースにユンボが迫ります。


なんかあっという間にこんな感じになっちゃいました。

もはや跡形もありません。



さて、明日は早朝から東京に向かいます。
今年はあと2回、東京出向があります。





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