東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

HPからブログに移行し、ちょっと明るい雰囲気です。仏事、納骨、永代供養のご相談、どうぞお申し出ください。

小説 楠木正成 書いてみた3

2019-12-14 09:34:05 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
一応、最終回です。

             
決戦

真夏の日差しがじりじりと灼きついてきた。
「あの時に尊氏を」
「討ち取っていれば帝はますます専横を極めたでしょう。まともな戦ひとつできぬ新田小太郎が武士の沙汰をするのです。そんな国など。そうでしょう兄上」
追い詰めた尊氏を見逃した。正季の言う通りだろう。
「見たくもない、な。錦旗がふたつだ。この国に天がふたつもあると言うのか。まだまだこの国は乱れる。そして無辜の民の苦しみは救われぬ」
「この国のために尊氏を殺してはならない。戦いの空しさ。民への思い。そして何よりも尊氏に好意をもたれている、兄上は」
この弟がいればこその楠木正成だったのだ。何度も挫けそうになっても、この弟がいたから自分は楠木正成でいることができた。自分には過ぎた弟だとも思った。
「正季、わしは」
「兄上が兄上で良かった、と心から思っています、俺は。それは朝氏も左近も、みな同じ思いなのです」
楠木党。それは父正遠が河内國玉櫛荘を地盤として、辰砂の採掘と大和川の水運を握ることで勢力を伸ばしてきた「悪党」なのだ。だからこそ、ここからの戦は河内の「悪党」楠木だけで戦うのだ。
「武士でないものが武士を倒した。誰も出来なかったことをなされたのです、兄上は。みな兄上が河内、和泉の大名に成り下がらなかったことを喜んでいるのですよ」
正季は一礼すると部署に戻っていった。
「殿」
志貴朝氏だった。
「奥方や、多聞丸さま、次郎さま、虎夜叉丸さまはじめ、一族のおんな子どもは、みな観心寺に入らせてございます」
「そうか」
短い答えだが、朝氏にはそれで十分に通じている。恩智左近を河内に残してきた。後顧の憂いはない。
「楽しゅうございました。常人ならば何代かかっても経験できないことを、わずか数年で経験いたしましたからな」
「朝氏には随分無理を言ったな」
「無理だなどと、殿の口から出る言葉とも思えませんな。わしは良いが、左近など、今ごろ河内で拗ねておりましょう。なんせ我らはいつも殿の無理に付き合わされておったのですからな」
「そうか。では最後の無理も聞いてくれるな」
「何を申されます、殿。主従は三世と申すではありませぬか。これが最後ではありますまい。来世も、その次も、我らはまた殿に仕えさせていただくつもりでございます。さ、楠木の700騎はいつでも進発できますぞ」
「よし、今日は思う存分に暴れまわろう。河内の悪党の力を武士とやらに思い知らせてやろう」
伊賀の服部元成に嫁いだ妹が産んだ観世丸は幼いのに舞をよくする。まるで見るものの魂を引きつけるようだ。民の唯一の楽しみは芸能なのだ。観世丸は民の心を慰める人間になるのかもしれない。楠木の血は民の中で生き続けるのだろう。

「たやすく天下を取れると思うなよ。この楠木正成が相手だ、尊氏。全軍進発。直義を討ちとるぞ」

朱夏の日差しの中、爽やかな風が正成の頬をかすめていった。
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小説 楠木正成 書いてみた。2

2019-12-08 20:10:14 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
楠木正成 2

高氏

奇妙な光景だった。
湊川を挟んで向き合っているのは足利直義が率いる軍勢だった。
無数の旗印の中に、錦旗がはためいている。
「兄上」
正季が話しかけてきた。
「わずか数ヶ月で見事に立て直しましたな、尊氏は」

ほんの三月前、尊氏は新田、北畠、楠木の連合軍によって完膚なきまでに叩きのめされ、九州に落ち延びたのだ。
瞳をつぶった。大塔宮を救えなかった。本当は全てがその時に終わっていたのだ。

鎌倉をたった尊氏を北畠顕家が奥州5万の軍勢で追い、そしてその尻尾に食らいついたのだ。
鬼神も哭くようなこの進撃によって、後醍醐帝の新政は再び息を吹き返したかに見えた。

顕家は若かった。哀しいほどに若かった。まだ20歳にも至っていない。
「正成殿とこうして一緒に戦えることを嬉しく思う」
「わたしもです。顕家殿」
似ている、と思った。大塔宮に、である。そのことがまた正成を悲しくした。だからこそこの行軍に報いるために再び軍を率いようと思ったのだ。

「足利本隊の正面を新田殿、北畠殿に。楠木隊3千は遊軍です」
正成の提案に義貞はわずかに顔をしかめた。顕家は正成の策を支持し、帝がそれを認めた。
戦線が膠着した時、正成率いる遊軍が足利軍の側面を衝いた。
崩れた陣形を立て直した足利軍に再び痛撃を加え、そして今度は完全に崩した。退却する足利軍を何処までも追い続けた。追って追って追い続けねば負けなのだ。義貞や帝をはじめ廷臣にはそれが分からない。
「尊氏の首だ。それで終わる。追え!」
正成は50騎で駆け、正季が30騎で続く。尊氏の逃れる先は丹波国篠村しかない、そういう確信があった。
花一揆。尊氏自慢の小姓たちが何度か行く手を阻もうとしたが、数で押しつぶした。

篠村まであと半里。ついに尊氏を捉えた。峠に差し掛かる坂道に馬上の将を囲むように十数人の徒士がいた。
正成が手をあげて全軍を止めると、尊氏もひとり、進み出てきた。
長い時間をかけて見つめ合う。無言のままだった。尊氏が目を閉じた。
「返すぞ」
正成はそういうと馬首を翻し、静かに風のように去っていった。

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小説 楠木正成 書いてみた。1

2019-11-23 12:38:25 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
ちょこっと考えてたんですが、千早赤坂村に行ったので、帰りの車の中で構想を練りました。
超短編です。
3回に分けます。超短編といっても1回では長すぎます。


挙 兵

城に籠って幾日過ぎたか覚えていない。
赤坂城の弱点は水だった。井戸を掘ってもほとんど水が出なかった。先年の戦ではその弱点に気づかれる前に城を焼き捨てた。それと同時に大塔宮と自分が死んだという噂も流させた。さすがに六波羅は信じ切ってはいなかったろう。それでも7万の軍勢を引きつけてよく戦ったとい評価が流れただけで良かったのだ。
  しかし今回は違う。北条幕府は再び7万の軍勢を関東から押し出して来た。赤坂城は密かに節をくり抜いた竹を地中に埋めて川からの水を送り込めるようにしている。水源が発見されない限り赤坂は落ちない。しかし言い換えれば水源が見つかれば、赤坂は10日も持たないということだった。
 水源が発見され、赤坂が落ちた。城将の平野将監は幕府側に投降したが、六条河原で斬られた。勢いに乗った幕府は征討軍をさらに増強させ、その数はついに10万を超えた。
 千早城に10万を超える幕府軍が押し迫って来た。攻城戦は苦手とはいえ、目の前にする坂東武者の布陣は見事なものだった。谷を埋めた軍勢に思わず息を呑んだ。
 都にはなった間者からの報告では、播磨の赤松円心が都を攻める様子を見せているという。さらに隠岐にいる帝が名和長高によって伯耆に入ったという報せも受けた。
包囲陣の後方が撹乱されている。大塔宮率いる軍勢が河内に進出して来たようだ。
あと少しだった。帝と悪党が組んで鎌倉にある武士政権を倒し、そして新しい国のカタチを創り出す。まもなくその夢の曙光が見えてくるはずだった。
「兄上」
正季が都にはなった間者と共に近づいて来た。長い籠城戦で頬はこけ、体力も精神力も限界のはずだが、眼光だけは鋭いままだった。
視線があった。みるみるその力が失われていった。
「まさか」
片膝をついた正季の肩が激しく揺れた。
「足利にございます。兄上、六波羅が高氏に落とされました」
(どういうことだ)
正成は破れるほど強く唇をかんだ。血が口中に広がっていく。
六波羅は赤松円心によって落とされなければならなかった。そして円心もそれをよくわかっていたはずだった。
武士が武士の政権を倒しても、結局違う武士の政権ができるだけだ。民の苦しみは救われることはない。正成が、大塔宮が見た夢の曙光が遠く霞んで行った。

坂東武者は10万も候へ、漢はひとりもなく候。
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小説 小松原法難 ④(最終回)

2017-11-25 08:29:33 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
おはようございます。
昨日は大阪日蓮聖人門下懇話会恒例バスツアーの下見でした。
初めて妙傳寺さんに伺いました。

本堂、さすがに大きくて立派です。

さてさて小松原法難、最終回です。
お付き合いくださった方、ありがとうございます。





この文章は最終回にこそ意味があるのかな。
再度掲載します。


天津領主・工藤吉隆、祖師に教えを請い、景信宿年の怨みを雪がんと松原に潜む。殺気四面を蓋い、森々と剣槍を排ぶ。鏡忍房笑いて松枝を振るい、冷箭五矢その身に在り。祖師の御前に仁王立ちすること、かの弁慶が義経を護らんが如し。景信の一念祖師を襲うも法華行者の守護神これを護らんと欲して神力を現じ給う。吉隆急を聞きて駆け、景信不利をさとりて北る。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。一乗受持の決意なお篤し。我が名は工藤吉隆。釈尊を尊び、聖人を敬う。その想い主人(あるじ)よりも、朋輩(とも)よりも強し。



小説 小松原法難 ④

 日蓮は手鉾を構えながら姿勢を崩していない。眉間が割れ、おびただしい血が流れている。景信にしてみれば、決して太刀筋が狂ったわけでなかった。振り下ろした太刀は確かに日蓮の頭上に見舞ったはずだった。そして日蓮の眉間深く傷を負わせることは出来た。ただし致命傷ではない。

 背後の騒ぎ。工藤吉隆を誘い出せた。すべて予定通りにことが進んでいる。三の太刀。これで息の根を止める。激しい戦闘の声が聞こえてきたが吉隆の主従はわずかである、何があってもここまで辿りつけはしない。
「南無妙法蓮華経!」
一際大きな日蓮の唱題の声。
「な、何と」
突如日蓮の背後、槇の木に一条の光が発し、その中に鬼子母神の姿が現れた。馬のいななき。必死に手綱を引いたが馬はきかない。どうっと景信は振り落とされた。慌ててかけよる景信の郎党たち。しかし日蓮は弟子達と共に一時的に間合いを遠ざけることが出来た。
   
 工藤吉隆の手勢はここぞとばかりに勢いを得、押しに押しまくったが、衆寡敵せず、やがて反撃を食らうこととなった。しかし落馬した景信も軽傷ではなかった。工藤館から出撃した新手を迎えると一戦も交えずに退却していったのである。
 小松原は凄惨だった。鏡忍房は討ち死に、戦場に誘導した工藤吉隆の郎党の与次郎も死亡。退却する東条景信を追った工藤吉隆は行方不明であった。工藤館の郎等達が負傷者の収容をはじめた。
 馬の嘶き。松原より吉隆の愛馬が現れた。日蓮は鏡忍房の菩提を弔ったあと、すぐさま吉隆の愛馬のもとに走った。傷がうずく。血は止まらなかった。むしろ太刀が脳まで届かなかったことは奇跡に違いない。全てがタイミングだった。あのとき工藤吉隆の手勢が到着していなければ、間違いなく命を落としただろう。




 松原のはずれに吉隆がうずくまっていた。身体には無数の刀傷があった。死んではいない。三本の矢が身体に突き刺さっていた。下腹部深く突き刺さった矢がすべてだった。
「吉隆殿!」
日蓮は吉隆の身体を抱え起こした。吉隆は意識を戻して静かに口を開いた。
「おお、聖人。日蓮聖人。御無事で御座いましたか」
「御佛が鏡忍房や吉隆殿に姿を変えて、わたしを護ってくだされたようじゃ」
「御無事で何よりで御座います」
「吉隆殿……」
「よ、吉隆、聖人にお願いがございます」
「何なりと申されよ」
「我が妻は、ただいま懐妊してござる。も、もし生まれくる子が男児であったなら、是非とも聖人のお弟子の末席に加えていただきたいのです」
「安心されよ。確かにお約束いたしましたぞ」
吉隆は最後の力を振り絞ると体を起こし、合掌すると安らかな表情でお題目を唱えはじめた。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経………」
十数編。やがて唱題の声が止まったとき吉隆の目は再び開くことはなかった。

 日蓮は工藤吉隆を僧禮の儀でおくった。出家者つまり僧侶としての扱いであった。妙隆院日玉聖人。吉隆の奥方はやがて男児を出産する。10年後、あの日の約束通り日蓮の弟子となり、長栄房日隆上人と号し、法難より17年後の弘安4年(1281)3月15日、当地において一寺を建立し教線拡大につとめた。今日の小松原山・鏡忍寺である。開祖日蓮大聖人。二祖鏡忍房日暁聖人。第三祖妙隆院日玉聖人。そして第四祖が長栄房日隆上人。

 また落馬した東条景信はその場を逃れたが、その後体調が芳しくないままだったという。
鏡忍寺は法難の地に建つ宗門霊跡寺院であり、境内には大聖人が東条景信に斬りつけられた折、奇瑞を発したと言われる降神槇の巨木が今も偉観を呈している。




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小説 小松原法難 ③

2017-11-23 00:00:18 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
こんばんは。
今夜は雨です。明日は上がると良いですね。
喘息の咳き込みが、まだ治らないので、ちょっと苦しんでます。

風邪はひきはじめが肝心です。
お気をつけください



小説 小松原法難 3



目がかすむ。肺腑がのどから飛び出しそうだった。包囲の陣は段々縮まってきている。受けた傷は大したことはない。ただ体力はすでに限界を超えていた。
(師の御坊は?)
鏡忍房は日蓮を見やった。合掌の姿のままじっと東条景信と対峙している。何とか師の近くに辿り着きたいが後方の新手が次々に押し出してくる。どこかに隙を見いだしたかった。数を頼む連中には必ず驕りと油断が出てくるものだ。

 左。申し分ない位置が弱い。ここを崩せば日蓮の側に辿り着く。躊躇はなかった。松の太枝はとうに折れてしまっている。倒した敵の槍を奪いとった。走る。影が割れた。そこに向かって一気につっこんだ。弦のきしむ音。左肩に冷たい衝撃が走った。右大腿部に同じ衝撃。渾身の力を込めて弓手に突き進んだ。
「いかん。鏡忍房、そこは罠じゃ!」
鏡忍房が搦め手と判断し突き進んだと同時に日蓮は大声で叫んだ。景信がゆがんだ笑みを浮かべたのが目に映った。次の瞬間太刀が振り下ろされてきた。

この時代の太刀は古太刀と言って兜を叩き割るか、或いは騎馬武者を倒すために馬の足を払うために作られている。現在のわれわれが想像する太刀とは少々違いがある。
一太刀。かわした。
「景信殿、念仏を捨てよ。一乗法華経に帰依するのじゃ」
「くそ坊主が、この期に及んで何を言う」
「弥陀にすがるのではない。己の心に佛の姿を見よ。景信」
「問答無用。今日の景信は景信ではない。閻魔の使いじゃ!」
景信の二の太刀が振り下ろされてきた。かわせない。思わず手鉾でうける。

 
立っているのがやっとだった。弓手のはなった矢の大方はうち払ったが深手を負った。意識が遠のく。景信の二の太刀が聖人を襲うのが見えた。
「師の御坊!」
声にならない声をあげ、鏡忍房は景信に槍を投げつけようとした。背後にわずかな気配を感じた。衝撃。何が起こったのか瞬時には分からなかった。ただ槍の穂先が胸から突き出ていたのが見えた。
「ま、まだ、まだ」
倒れるわけにはいかない、そんな思いと大聖人との出会いから今に至るまでの思い出が駆けめぐった。
(吉隆公は、左近殿はまだ来ぬか)
初めて弱気がはしったその瞬間だった。
声が聞こえる。
「聖人、聖人はいずこぞ」
賊の背後で騒ぎが起こった。工藤左近吉隆だった。地面が急に迫ってきた。薄れゆく意識の中で師の御坊は必ず助かる、鏡忍房はそう確信した。
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