一応、最終回です。
決戦
真夏の日差しがじりじりと灼きついてきた。
「あの時に尊氏を」
「討ち取っていれば帝はますます専横を極めたでしょう。まともな戦ひとつできぬ新田小太郎が武士の沙汰をするのです。そんな国など。そうでしょう兄上」
追い詰めた尊氏を見逃した。正季の言う通りだろう。
「見たくもない、な。錦旗がふたつだ。この国に天がふたつもあると言うのか。まだまだこの国は乱れる。そして無辜の民の苦しみは救われぬ」
「この国のために尊氏を殺してはならない。戦いの空しさ。民への思い。そして何よりも尊氏に好意をもたれている、兄上は」
この弟がいればこその楠木正成だったのだ。何度も挫けそうになっても、この弟がいたから自分は楠木正成でいることができた。自分には過ぎた弟だとも思った。
「正季、わしは」
「兄上が兄上で良かった、と心から思っています、俺は。それは朝氏も左近も、みな同じ思いなのです」
楠木党。それは父正遠が河内國玉櫛荘を地盤として、辰砂の採掘と大和川の水運を握ることで勢力を伸ばしてきた「悪党」なのだ。だからこそ、ここからの戦は河内の「悪党」楠木だけで戦うのだ。
「武士でないものが武士を倒した。誰も出来なかったことをなされたのです、兄上は。みな兄上が河内、和泉の大名に成り下がらなかったことを喜んでいるのですよ」
正季は一礼すると部署に戻っていった。
「殿」
志貴朝氏だった。
「奥方や、多聞丸さま、次郎さま、虎夜叉丸さまはじめ、一族のおんな子どもは、みな観心寺に入らせてございます」
「そうか」
短い答えだが、朝氏にはそれで十分に通じている。恩智左近を河内に残してきた。後顧の憂いはない。
「楽しゅうございました。常人ならば何代かかっても経験できないことを、わずか数年で経験いたしましたからな」
「朝氏には随分無理を言ったな」
「無理だなどと、殿の口から出る言葉とも思えませんな。わしは良いが、左近など、今ごろ河内で拗ねておりましょう。なんせ我らはいつも殿の無理に付き合わされておったのですからな」
「そうか。では最後の無理も聞いてくれるな」
「何を申されます、殿。主従は三世と申すではありませぬか。これが最後ではありますまい。来世も、その次も、我らはまた殿に仕えさせていただくつもりでございます。さ、楠木の700騎はいつでも進発できますぞ」
「よし、今日は思う存分に暴れまわろう。河内の悪党の力を武士とやらに思い知らせてやろう」
伊賀の服部元成に嫁いだ妹が産んだ観世丸は幼いのに舞をよくする。まるで見るものの魂を引きつけるようだ。民の唯一の楽しみは芸能なのだ。観世丸は民の心を慰める人間になるのかもしれない。楠木の血は民の中で生き続けるのだろう。
「たやすく天下を取れると思うなよ。この楠木正成が相手だ、尊氏。全軍進発。直義を討ちとるぞ」
朱夏の日差しの中、爽やかな風が正成の頬をかすめていった。
決戦
真夏の日差しがじりじりと灼きついてきた。
「あの時に尊氏を」
「討ち取っていれば帝はますます専横を極めたでしょう。まともな戦ひとつできぬ新田小太郎が武士の沙汰をするのです。そんな国など。そうでしょう兄上」
追い詰めた尊氏を見逃した。正季の言う通りだろう。
「見たくもない、な。錦旗がふたつだ。この国に天がふたつもあると言うのか。まだまだこの国は乱れる。そして無辜の民の苦しみは救われぬ」
「この国のために尊氏を殺してはならない。戦いの空しさ。民への思い。そして何よりも尊氏に好意をもたれている、兄上は」
この弟がいればこその楠木正成だったのだ。何度も挫けそうになっても、この弟がいたから自分は楠木正成でいることができた。自分には過ぎた弟だとも思った。
「正季、わしは」
「兄上が兄上で良かった、と心から思っています、俺は。それは朝氏も左近も、みな同じ思いなのです」
楠木党。それは父正遠が河内國玉櫛荘を地盤として、辰砂の採掘と大和川の水運を握ることで勢力を伸ばしてきた「悪党」なのだ。だからこそ、ここからの戦は河内の「悪党」楠木だけで戦うのだ。
「武士でないものが武士を倒した。誰も出来なかったことをなされたのです、兄上は。みな兄上が河内、和泉の大名に成り下がらなかったことを喜んでいるのですよ」
正季は一礼すると部署に戻っていった。
「殿」
志貴朝氏だった。
「奥方や、多聞丸さま、次郎さま、虎夜叉丸さまはじめ、一族のおんな子どもは、みな観心寺に入らせてございます」
「そうか」
短い答えだが、朝氏にはそれで十分に通じている。恩智左近を河内に残してきた。後顧の憂いはない。
「楽しゅうございました。常人ならば何代かかっても経験できないことを、わずか数年で経験いたしましたからな」
「朝氏には随分無理を言ったな」
「無理だなどと、殿の口から出る言葉とも思えませんな。わしは良いが、左近など、今ごろ河内で拗ねておりましょう。なんせ我らはいつも殿の無理に付き合わされておったのですからな」
「そうか。では最後の無理も聞いてくれるな」
「何を申されます、殿。主従は三世と申すではありませぬか。これが最後ではありますまい。来世も、その次も、我らはまた殿に仕えさせていただくつもりでございます。さ、楠木の700騎はいつでも進発できますぞ」
「よし、今日は思う存分に暴れまわろう。河内の悪党の力を武士とやらに思い知らせてやろう」
伊賀の服部元成に嫁いだ妹が産んだ観世丸は幼いのに舞をよくする。まるで見るものの魂を引きつけるようだ。民の唯一の楽しみは芸能なのだ。観世丸は民の心を慰める人間になるのかもしれない。楠木の血は民の中で生き続けるのだろう。
「たやすく天下を取れると思うなよ。この楠木正成が相手だ、尊氏。全軍進発。直義を討ちとるぞ」
朱夏の日差しの中、爽やかな風が正成の頬をかすめていった。