東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

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小説 小松原法難 ④(最終回)

2017-11-25 08:29:33 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
おはようございます。
昨日は大阪日蓮聖人門下懇話会恒例バスツアーの下見でした。
初めて妙傳寺さんに伺いました。

本堂、さすがに大きくて立派です。

さてさて小松原法難、最終回です。
お付き合いくださった方、ありがとうございます。





この文章は最終回にこそ意味があるのかな。
再度掲載します。


天津領主・工藤吉隆、祖師に教えを請い、景信宿年の怨みを雪がんと松原に潜む。殺気四面を蓋い、森々と剣槍を排ぶ。鏡忍房笑いて松枝を振るい、冷箭五矢その身に在り。祖師の御前に仁王立ちすること、かの弁慶が義経を護らんが如し。景信の一念祖師を襲うも法華行者の守護神これを護らんと欲して神力を現じ給う。吉隆急を聞きて駆け、景信不利をさとりて北る。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。一乗受持の決意なお篤し。我が名は工藤吉隆。釈尊を尊び、聖人を敬う。その想い主人(あるじ)よりも、朋輩(とも)よりも強し。



小説 小松原法難 ④

 日蓮は手鉾を構えながら姿勢を崩していない。眉間が割れ、おびただしい血が流れている。景信にしてみれば、決して太刀筋が狂ったわけでなかった。振り下ろした太刀は確かに日蓮の頭上に見舞ったはずだった。そして日蓮の眉間深く傷を負わせることは出来た。ただし致命傷ではない。

 背後の騒ぎ。工藤吉隆を誘い出せた。すべて予定通りにことが進んでいる。三の太刀。これで息の根を止める。激しい戦闘の声が聞こえてきたが吉隆の主従はわずかである、何があってもここまで辿りつけはしない。
「南無妙法蓮華経!」
一際大きな日蓮の唱題の声。
「な、何と」
突如日蓮の背後、槇の木に一条の光が発し、その中に鬼子母神の姿が現れた。馬のいななき。必死に手綱を引いたが馬はきかない。どうっと景信は振り落とされた。慌ててかけよる景信の郎党たち。しかし日蓮は弟子達と共に一時的に間合いを遠ざけることが出来た。
   
 工藤吉隆の手勢はここぞとばかりに勢いを得、押しに押しまくったが、衆寡敵せず、やがて反撃を食らうこととなった。しかし落馬した景信も軽傷ではなかった。工藤館から出撃した新手を迎えると一戦も交えずに退却していったのである。
 小松原は凄惨だった。鏡忍房は討ち死に、戦場に誘導した工藤吉隆の郎党の与次郎も死亡。退却する東条景信を追った工藤吉隆は行方不明であった。工藤館の郎等達が負傷者の収容をはじめた。
 馬の嘶き。松原より吉隆の愛馬が現れた。日蓮は鏡忍房の菩提を弔ったあと、すぐさま吉隆の愛馬のもとに走った。傷がうずく。血は止まらなかった。むしろ太刀が脳まで届かなかったことは奇跡に違いない。全てがタイミングだった。あのとき工藤吉隆の手勢が到着していなければ、間違いなく命を落としただろう。




 松原のはずれに吉隆がうずくまっていた。身体には無数の刀傷があった。死んではいない。三本の矢が身体に突き刺さっていた。下腹部深く突き刺さった矢がすべてだった。
「吉隆殿!」
日蓮は吉隆の身体を抱え起こした。吉隆は意識を戻して静かに口を開いた。
「おお、聖人。日蓮聖人。御無事で御座いましたか」
「御佛が鏡忍房や吉隆殿に姿を変えて、わたしを護ってくだされたようじゃ」
「御無事で何よりで御座います」
「吉隆殿……」
「よ、吉隆、聖人にお願いがございます」
「何なりと申されよ」
「我が妻は、ただいま懐妊してござる。も、もし生まれくる子が男児であったなら、是非とも聖人のお弟子の末席に加えていただきたいのです」
「安心されよ。確かにお約束いたしましたぞ」
吉隆は最後の力を振り絞ると体を起こし、合掌すると安らかな表情でお題目を唱えはじめた。
「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経………」
十数編。やがて唱題の声が止まったとき吉隆の目は再び開くことはなかった。

 日蓮は工藤吉隆を僧禮の儀でおくった。出家者つまり僧侶としての扱いであった。妙隆院日玉聖人。吉隆の奥方はやがて男児を出産する。10年後、あの日の約束通り日蓮の弟子となり、長栄房日隆上人と号し、法難より17年後の弘安4年(1281)3月15日、当地において一寺を建立し教線拡大につとめた。今日の小松原山・鏡忍寺である。開祖日蓮大聖人。二祖鏡忍房日暁聖人。第三祖妙隆院日玉聖人。そして第四祖が長栄房日隆上人。

 また落馬した東条景信はその場を逃れたが、その後体調が芳しくないままだったという。
鏡忍寺は法難の地に建つ宗門霊跡寺院であり、境内には大聖人が東条景信に斬りつけられた折、奇瑞を発したと言われる降神槇の巨木が今も偉観を呈している。





小説 小松原法難 ③

2017-11-23 00:00:18 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
こんばんは。
今夜は雨です。明日は上がると良いですね。
喘息の咳き込みが、まだ治らないので、ちょっと苦しんでます。

風邪はひきはじめが肝心です。
お気をつけください



小説 小松原法難 3



目がかすむ。肺腑がのどから飛び出しそうだった。包囲の陣は段々縮まってきている。受けた傷は大したことはない。ただ体力はすでに限界を超えていた。
(師の御坊は?)
鏡忍房は日蓮を見やった。合掌の姿のままじっと東条景信と対峙している。何とか師の近くに辿り着きたいが後方の新手が次々に押し出してくる。どこかに隙を見いだしたかった。数を頼む連中には必ず驕りと油断が出てくるものだ。

 左。申し分ない位置が弱い。ここを崩せば日蓮の側に辿り着く。躊躇はなかった。松の太枝はとうに折れてしまっている。倒した敵の槍を奪いとった。走る。影が割れた。そこに向かって一気につっこんだ。弦のきしむ音。左肩に冷たい衝撃が走った。右大腿部に同じ衝撃。渾身の力を込めて弓手に突き進んだ。
「いかん。鏡忍房、そこは罠じゃ!」
鏡忍房が搦め手と判断し突き進んだと同時に日蓮は大声で叫んだ。景信がゆがんだ笑みを浮かべたのが目に映った。次の瞬間太刀が振り下ろされてきた。

この時代の太刀は古太刀と言って兜を叩き割るか、或いは騎馬武者を倒すために馬の足を払うために作られている。現在のわれわれが想像する太刀とは少々違いがある。
一太刀。かわした。
「景信殿、念仏を捨てよ。一乗法華経に帰依するのじゃ」
「くそ坊主が、この期に及んで何を言う」
「弥陀にすがるのではない。己の心に佛の姿を見よ。景信」
「問答無用。今日の景信は景信ではない。閻魔の使いじゃ!」
景信の二の太刀が振り下ろされてきた。かわせない。思わず手鉾でうける。

 
立っているのがやっとだった。弓手のはなった矢の大方はうち払ったが深手を負った。意識が遠のく。景信の二の太刀が聖人を襲うのが見えた。
「師の御坊!」
声にならない声をあげ、鏡忍房は景信に槍を投げつけようとした。背後にわずかな気配を感じた。衝撃。何が起こったのか瞬時には分からなかった。ただ槍の穂先が胸から突き出ていたのが見えた。
「ま、まだ、まだ」
倒れるわけにはいかない、そんな思いと大聖人との出会いから今に至るまでの思い出が駆けめぐった。
(吉隆公は、左近殿はまだ来ぬか)
初めて弱気がはしったその瞬間だった。
声が聞こえる。
「聖人、聖人はいずこぞ」
賊の背後で騒ぎが起こった。工藤左近吉隆だった。地面が急に迫ってきた。薄れゆく意識の中で師の御坊は必ず助かる、鏡忍房はそう確信した。

小説 小松原法難 ⑵

2017-11-15 16:20:50 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
こんにちは。
小説の続きです。

気温の変化が大きいので呼吸器に障害のあるわたしには辛い季節です。
風邪が流行ってます。インフルエンザの予防もお早めに。



小説 小松原法難 2



工藤館では当主吉隆が日蓮の来着の遅れを気にしていた。領地の境界まで出迎えようと郎党からの報告を待ったが、遂に居ても立ってもいられなくなって日蓮を迎えに出かけることにした。身重の妻が門前まで出てきたのを気遣いながら、吉隆は振り返ると笑顔で声をかけた。
「奥よ、生まれくる子が男の子であったならば聖人のお弟子にしてもらおう」
「まぁ、お気の早いこと」
利発で慎ましやかな女性であった。一族郎党の誰もがこの妻を大切にしてくれる。馬上の吉隆は天を仰ぐと大きく息を吸い込み「参る」と言うと数名の郎党と共に走り出した。
(そう決めた。男児ならば必ず聖人のお弟子に加えてもらおう)
しばらく進むと先行していた郎党の熊十が血相を変えて駆けてきた。
「御屋形様、一大事。一大事にございまする」
「どうした。何があったのじゃ」
馬から下りた吉隆は倒れ込む熊十を抱き起こすと、腰に付けた水筒の水を与え事情を訊いた。
「と、東条景信、郎党や念仏信者を引き連れて聖人を襲撃とのこと聞き及び、急ぎ引き返して参りました。よ、与次郎は詳細を調べると言って東条屋敷に張り付いております」
天地が動転した。何が何でも日蓮を窮地から救わねばならない。
「与兵衛、与兵衛はおるか」
与兵衛と呼ばれた壮年の郎党が吉隆の側に駆け寄った。
「はっ、与兵衛にござる」
「うむ。そなたはこれより熊十を伴って館に戻れ」
「急を知らせよ、とのことですな」
「そうじゃ。館の守りはそなたの手の者と熊十で当たれ。残りは全て押し出せ。よいな」
「お断りいたしまする」
与兵衛はきっぱりと断った。
「な、何と申した」
吉隆は気色ばんだ。与兵衛は父の代から工藤家に仕える郎党であった。戦闘よりはむしろ家宰として家を取りまとめる役柄が向いていた。そんな与兵衛がこの一大事に首を縦に振らないのである。
「御屋形様、わしは自分の手柄が欲しいわけではありません。ただただ幼少の頃からお仕えいたしておりました御屋形様とお別れし、一人館に戻るなど……」
与兵衛はぼろぼろと泣き出してしまった。吉隆は与兵衛の方に手を置いて語りかけた。
「与兵衛。そなたの気持ちは有り難い。すまんとも思う。しかし今館に戻って指揮を執れるのはそなたしかおらぬのじゃ。わかってくれ。東条景信は老獪な男ゆえ、わしが駆けつけるを計算してすでに一手を館に差し向けて居るやもしれぬ。先陣するは部将の役目、館にて指揮するは都督の役目じゃ。ここは与兵衛、そなたでのうては務まらなぬ。よいか、これ以上無理を言うてはならぬ」
与兵衛は館に戻ることを了解した。吉隆は残りの数名の郎党に声高に宣言した。
「よいか、東条景信が日蓮聖人を襲撃した。日蓮聖人のお命はそのままこの工藤吉隆の命でもある。これより逆賊景信を討つ。皆の者われに続け!」
おう、と言う返事を残して駆けだした。
「与兵衛、奥にのう、聖人は必ずこの吉隆がお救いいたす故、心配いたすなと伝えてくれ」
吉隆は熊十を肩に担いでこちらを見送る与兵衛にそう叫ぶと一気に駆けていった。

小説 小松原法難 ⑴

2017-11-13 16:35:36 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
妙政寺では毎年11月11日の午後8時から小松原法難会を厳修いたします。

小松原法難とは日蓮聖人御生涯での四つの大法難の一つです。
いまから17年前、日蓮宗大阪市宗務所の団体参拝旅行で小松原山鏡忍寺に参拝いたしました。
その折の旅のしおりを一人で作成しました。これを載せたいがために!です。
完全に団参私物化!あはははは。
ま、ちゃんと当時の宗務所長さまにはご了解を得ておりましたけどね。



天津領主・工藤吉隆、祖師に教えを請い、景信宿年の怨みを雪がんと松原に潜む。殺気四面を蓋い、森々と剣槍を排ぶ。鏡忍房笑いて松枝を振るい、冷箭五矢その身に在り。祖師の御前に仁王立ちすること、かの弁慶が義経を護らんが如し。景信の一念祖師を襲うも法華行者の守護神これを護らんと欲して神力を現じ給う。吉隆急を聞きて駆け、景信不利をさとりて北る。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。一乗受持の決意なお篤し。我が名は工藤吉隆。釈尊を尊び、聖人を敬う。その想い主人よりも、朋輩よりも強し。
 


小説・小松原法難

今年も十一月十一日、安房国東条松原と申す大路にして申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあふものはわづかに三、四人也。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなづまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ、打れ、結句にて候し程にいかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。
~南条兵衛七郎殿御書~


東条景信は鎌倉の問注所における所領問題の訴訟で領家の尼に敗れたことが腹立たしくてたまらなかった。何よりも領家の尼をバックアップしたのがあの日蓮であったことが、彼の怒りを更に大きなものにしていた。しかもあろうことか、その日蓮が今や景信の勢力圏で好き放題に布教活動を展開している。もはや景信にとって日蓮は仇敵であり、彼は隙あらば日蓮の命を狙おうと画策していた。
そんな折の文永元年(1264)11月11日、日蓮は天津の領主工藤吉隆の請いを受け、その館を訪れることとなった。この知らせは東条景信を歓喜させた。
「うわはははは。ついにあのくそ坊主も年貢の納め時じゃ」
景信は一族・郎党を呼び集めると、近隣の念仏信仰の者達にも大悪人日蓮を討つべし、と煽動して回った。
(いや待てよ。この際工藤一族も討ってしまうか)
景信は頃合いを見計らって天津の工藤吉隆に日蓮襲撃の報が届くように手配した。景信の所領近辺から、安房の国から、いやこの世から法華信者を抹消したい。熱心な法華信者である工藤左近吉隆は極めて目障りな存在だったのだ。
吉隆め、急を聞いて必ず押っ取り刀で駆けつけるに違いない………。

そんな陰謀を露知らず日蓮は弟子、警護の者あわせて10名ほどで小松原にさしかかってきた。時すでに申酉の時。すでに日も沈みかけて、あたりは薄暗い。
弟子の一人鏡忍房は風が動くのを鋭く感じた。影。殺気が四面を蓋う。彼は師の前に立ちふさがった。
「不覚。申し訳ありません。気づきませなんだ」
振り向きもせずこう言うと、鏡忍房は側に落ちていた松の木の太枝をつかみ取り大上段に構えた。油断。東条勢にすっかり取り囲まれている。何のために師のお供をしてきたのか。後悔の念が涌くより早く、影が割れ一際大きな騎馬武者が現れた。
「景信!」
全身の血が逆上してきた。
東条景信は鏡忍房には見向きもせずに日蓮に大喝した。
「日蓮。このくそ坊主め。今日こそ思い知らせてくれるわ」
言うが早いか景信は太刀を振り下ろしてきた。
「慮外者!」
鏡忍房がそれをうち払う。
「邪魔だ、木偶!」
しかし鏡忍房は一歩も退かない。松の太枝を自在に振り回しながら、巧みに取り囲む東条一党や念仏信者たちを威嚇する。
「師の御坊にはこの隙にお逃げ下され」

御会式勤めました。

2017-11-05 22:36:46 | 妙政寺の年中行事
こんばんは。
またまた更新ができないまま放置してしまいました。
すみません。

妙政寺では毎年10月の第4土曜日に日蓮聖人御入滅報恩御会式法要を勤めています。
今年は10月28日でした。
午後2時開式です。




久しぶりにお題目の幟を立てました。
妙政寺は村中のしかもかなり入り組んだ場所にありますので、なかなか分かりにくいんです。




紅白の万灯は泉屋仏壇店さんからの協力です。



本堂の内陣を出来るだけ花で飾りたいのです。
桜の造花。いろんな種類を使ってます。




東側の庭に御会式提灯を。
もっともっと賑やかに、そして周知していく努力が必要です。