東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

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キツネつり

2018-11-05 19:40:25 | 河内國の昔話
こんばんは。
久しぶりに河内國の昔話です。




「キツネつり」

千年以上間にこの地に移り住んだといわれる、加納の人々の墓は、村落の東方の小高い丘にあります。
 その墓の北側は、深い竹やぶになっていて、クスノキやエノキの大木も多く、昼なおうす暗く気味悪いところでした。
 竹やぶにはたくさんのキツネやタヌキが住んでいたので、村人は稲荷祭の日や彼岸会には、赤飯と油揚げなどを施していました。キツネの魔力に敬いと共に恐れを感じる人が多かったのです。しかし、うどん屋が害を受けたり、折り詰めを取られたり、野つぼにはめられたり。コイが泳いでいるように見せられて、冬の冷たい川に入って寝込むなど、キツネの害が多くなりました。
 人をだますキツネを退治しようという声があがり、村でいろいろ協議した末、生け捕りにして日下の山へ連れていくことになりました。大好物であるネズミの天ぷらでキツネをつりよせ、傷つけないように捕らえるのが一番だと考えたのです。
 夕方、墓の前に舟を浮かべ、かんてきで火をおこしネズミの天ぷらを揚げました。香ばしいにおいがあたりに流れました。コンコン、という声を聞いたように思いました。ざわっと音がして、はっと緊張させられる一瞬もありました。でも、キツネは一向に現れないのです。舟の舳(へさき)と艫(とも)に吊るしたちょうちんが、ジジーと音を立ててまたたいています。
 「ほっ」と、だれかが大きな息を吐いたので、みんなの緊張が崩れたその時です。西の闇から、がやがやという声と共に、かすりの胴着や、荒い縞の着物を着た人影が近づいてきました。月が沈んだ闇の中なのに着ているものだけが浮かんで見える異様さにはだれも気づきません。その人たちは村の重兵衛、忠吉、茂助さんらで、みんな親しい人ばかりだったからです。
 「ご苦労さんだんな」
 「どんなようすでっか」
 など声をかけてきます。
 それに、二言三言応対しながら、舟上の人たちは「夜も更けてきたし、この考えも骨折り損に終わったか」との思いが強くなり、ぼつぼつ帰り支度にとりかかりました。
 と、一人の若い衆が、びっくりした声をあげました。今まで十五、六匹もあったネズミの天ぷらは一つ残らず無くなっていたからです。いつのまにか、重兵衛、忠吉さんらの姿が消えていたのです。村人は、いちようにじだんだを踏んでくやしがりました。
 それからは、キツネを捕らえようとだれも言わなくなったということです。

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