2016/05/14 土曜日 再投稿 22時半 室温25度
*いまは ひとりで生きているのではないから大丈夫です*
1 どうして いまは ひとりなの 朝 目覚めて、ふと、思った。
なぜって アナタ が いまは ここにいないから・・そう思ったのです。
あの日から ひとりで生きている。 朝がきても アナタはいない。
夜になっても 帰ってはこない。だからいまはひとりなのです。
わたくしは いまは ひとりで なぜか 慌ただしく いきている。
2 あの日 あなたが 静かに息を止めた その時から ひとりになった。
あの静寂な 穏やかな日から数えて 今日で77日が過ぎていった。
10月19日の月曜日 あの日 ”すい臓がんの末期”です。と、
言われた日。その日からもうすぐ7か月になる。
二人とも 黙って・・・何にも言えなかった。だからいつものように
何事も無かったかのように それからも 日々を穏やかに さりげなく
過ごしていた。自然に逆らうことなく すべてを受け入れて・・・。
あなたは、いきていった。心の中でのつぶやきは あったのだけれど・。
3 1月4日に入院をしてからも、いつも穏やかに 日々を過ごしていた。
殆ど食事は食べれなくても、怒る事もなく、日々を送っていた。
少しでも食べれそうな物がある時には、いつも美味しい!
美味しい!と、いいながら感謝をして摂取していた。
最後の頃には果物を好んで食べていた。それも少しづつ・・。
干し柿、苺、文旦、りんご、それから・・最後に口に入れたのは
”ステーキを数口” それから ”しじみ汁” ”お雑煮”少し
小豆島の”ソーメン”を数口食べて満足そうであった。
4 意識がなくなる前の数日間は、いよいよ最後の食事かも??
と、感じていたのかもしれない・・。いまから思うと・・。
家族の面会や友人そして兄姉の面会をとても喜んでいた。
ご迷惑を掛けることだけを気にしていた。だから・・・。
身内にさえも遠慮をしながら生きてもいた。だから
そんな性格だから・・・少しでも早く旅立ちたい!と、
思っていたようでもあった。でも神様はそう簡単に
思うようにはさせてくれなかった!その日が来るまでは・。
待つと、いうこと。それはかなり気が遠くなるほど
しんどかった!のかも知れない。人生は思うようには
ゆかない。死んでゆく事は怖くはない!と、
感じてはいたと思う。ただ、お迎えがなかなかきてくれない?
そのことが、彼にはかなりしんどかったのかも?。
5 わたくし達はただ、神様にすべてをゆだねている
”大切な大黒柱である、夫、であり父親でもあり、
御爺ちゃん!の命が少しでも長い方がいいと、願っていた
だけである。最後の最期まで、自分で出来る事は
自力で行っていた。ただ意識がなくなる前の
1週間位は、もうベッドに寝たきりの状態だった。
6 人間というものは、食べれなくても飲めなくても
そんなにも生きる事ができるのか・・?不思議であった。
これが神様から与えられた寿命というものだと理解できた。
7 あなたは 貴方らしく 最後まで生きた!生ききった。
”最後の時”の9時間前までは確かに意識はあった!
笑顔で手を振って何か・・ありがとう~お世話になりました・・。
などの声にはでない 感謝の ことば を 伝えたように感じた!
”もうひとりの☆☆ちゃん”に感謝の言葉を残して・・眼をとじた。
それから9時間後にかれは静かに永眠の”瞬間”を迎えた。
お疲れ様・・・ありがとう・・・静かに穏やかに旅立った!
感謝の涙が溢れてきた瞬間であった。
枇杷 *いまは ひとりで生きているのではないから
大丈夫です* 1~7
*人が いのちの灯を消す時には・・*
8~
* ・・・・・・・・ *
2017/12/25日 再投稿
一人で可児公園に行って・・。願望の薔薇に出会えて・・
嬉しかった!冬でしたから・・西側の入り口から入って・
少し歩くと数本だけでしたが”まだ美しいバラを咲かせますよ”
と私に話しかけてくれた。彼は外出はできそうになかったから・。
彼にどうしてもクリスマスの風景の温室での写真を写したいから
と、お願いをして自宅から
出掛けた。けれども久し振りに一人での運転??やや迷いながら。
カーナビがあってもなぜか分からないけれども迷ってしまった。
心配をかけるといけないので・・まずは喫茶店で休息をしてから。
コンビニに立ち寄って。仕切り直して。心を落ち着かせてから・
よっちゃんに電話をかけた。まだ公園には着いていない事を
伝えた。ゆっくりと公園の温室の中でクリスマスの飾りつけを
楽しみ。写真に。そして素敵な思い出の薔薇を・・。
ブログの居場所のいいところに・・。その写真は彼とはお出掛け
できなかったけれども。いつもわたくしの”心の支え”となっている
ように最近は感じるのでした。
真冬に咲いていた可児公園の素敵なバラの花 再投稿 12/25