枇杷

枇杷から今度は温州みかんを
無農薬で育てています。
アゲハ蝶を歓迎しながら
あおむしさんを見守っています。

670 庭の写真を撮影していると・・皆は喜んでくれていた

2021年06月10日 | 日々のできごと

2021/06/10 木曜日 卓球の日

薔薇の写真をとりに行きたいと思いつつ

もう10日になった。ほんのすぐ近くでも

なかなか行けない。アジサイが綺麗に咲いている。

 

その場所も車でちらっと・・見るだけ。

やはり心のゆとりが今は無いのかも。

 

先日の疲れは少しずつ回復。仕事の帰りは

眠くなったりで・・。コーヒーを飲み

美味しい”アイスクリーム”を頂く。

 

なるべく寄り道はしないで安全運転で帰った。

*心が安らぐのはやはり・・狭くても我が家の

庭で育っている植物であった。

 

*ニンニクも今朝は抜いて・・他の植物に

頑張って作った球根をお披露目・ピーマンさん

もイチジクさんも・・根っこに置いて

暫くはお喋りの時間。

病害虫の予防にはニンニクの臭いも効果がありそう。

 

*草を抜いていると・・やはり育たなかった!

アゲハの蛹が数か所にあった!。最近は

なぜか?蝶もあまり飛んでは来ない。

今日は新しい方のミカンの木の葉に小さめの

アゲハ?らしき蝶がいた。いつもの蝶の

半分ぐらいの大きさであった。

やはり環境の変化なのかも・でも

ニンニクを植えていた土壌には大きくは

ないけれど”ミミズは住んでいた。”

*このにんにくの土を乾燥?太陽に当ててから

追加の肥料などで今度は”つる紫を”植えてみよう。

きっとどんどん大きくなるのかも?。

ミネラルが豊富な植物である。

 

*それからあの”西洋朝顔”は大きめのプランタ?

に植えて。玄関のすぐ横の部屋の窓のカーテンに?。

 

*最近は供養の花は購入していない。すぐに

元気がなくなる。今年は5月頃からは

やはり庭の花を生けている。

 

*新しい仲間の”アリストロメリア”の花が咲いていた。

有難うね!とお礼を伝えて・・。アップで撮影。

球根が沢山増えたら・・。また違う場所にも

移植。以前は”水仙ばかり咲いていた。でも

球根は毒があるらしいので・・。好きな花ではあった

けれども・・。ある方が・・寂しい花?。と。

いう人も。なので増えすぎた球根はどんどん・

ごめんね!と。言いながら抜いていった。

 

**素敵だけれども・・毒があるのは。人間様も

植物も少しでいいのかも。自分にストレスを

与えそうな職場の方とも。私語はお話しないでと・

皆の前でお伝えした。職場で私語は良くない。

 

*ましてや人の良くないことを喋るのは?。

障害のある方々。に対して失礼な発言も。

*できないから職員もやはりどこかがオカシイのかも。

普通の事が・・。できない=仕事も=会話もできない・・。

病気なのである。普通になんでも行動ができれば

仕事も人間関係もどうにかなる。障害のある方々が

集う場所へ通所する必要もない。

 

*さりげない言葉*でも自分が何を喋ったのか?

覚えていない方。も。無駄なお喋りは避けた

方がいいのである。**それから・・欠点である

自分自身の喋りすぎ・・。も大いに反省。**

それでも脳のある場所の機能が少し歪んでいるから

余計に喋りすぎる。文章も同じである。

数行で思いを綴れる人は天才カモ。

 

*簡潔明瞭に話したり書いたりできるのは

病気ではないから?。なんでしょう。か。

 

**どんな人々もみんな同じであることをいつも

心に刻みながら・・。気持ちよくその場を。

時間を過ごしてゆく。日々。楽しく過ごそう。

枇杷:670

 


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669 アリストロメリアの花が咲く頃に思い出すのは・母 &・他界された友人の想い出

2021年06月10日 | 日々のできごと

2021/060/10 木曜日

春が来て 夏が来る頃には

 故郷を思い出す

今年のアリストロメリアの花・・茎が凄く長い!

玄関のミニ花壇・西側の蕗の手前・西北のミニ菜園?

3か所に球根を植えてある・・

 

その庭の花が元気に咲いている。数か所に

高松の実家からアリストロメリアの球根を

高速に乗り・・一緒に岐阜に・・。

 

*母が元気であった頃にはどんなお花も

かなり上手に育てていた。

母が病気で施設や最後には入院していた時にも

休みには月に1回は帰省して会いに行っていた。

 

*御盆に帰省した後で岐阜に帰る時に。母は

お別れの言葉を伝えた。いつもと違う言葉。

それが最後の言葉となった!。

 

もう少ししか時間がない事を知っていたのであった?。

*”もう帰ってこなくってもいいよ!”と。

その言葉がどんな意味をもっていたのかも

分かってはいたのだけれども・・。

 

*実家にそのまま滞在をすることはできなかった!。

後悔のない時間を過ごせていたので・・。

母も納得をしてくれていた。数日間での休暇。

今はもういない主人もいつも一緒に帰省。

 

*母が他界してからも実家の庭をいつも

母が生きていたころのようにできたらと。

帰るたびにお花の手入れなどをした。

*誰も住んでいない実家に交代しながら?

数か月ごとに弟も帰っていた。

仏壇に手をあわせて。。拝んでいた。

*姉も時間がある時にはお墓参りに。

それから法要などの連絡や準備なども・・。

弟や姉も他界した両親のことを忘れる事は

なかった。私は遠方からの帰省なので・・。

だんだんと・・月日が過ぎてゆくごとに

庭の手入れもできなくなっていた。

 

*朝早くからまた夕方・・暗くなるまで

真夏には空いている時間をみはからって

草抜きをしたりも・・。

*母が喜んでくれていると思いながらの

自己満足でもあった。

*とにかく彼も協力してくれていた。

でも脳梗塞になったり・・癌などの

病気などで帰省することが困難となった。

 

*もう彼はいない。。数年前にやっと自分自身も

元気になっての帰省。お参りは心が安らいだ。

 

*もう暫くは帰れない。ふと思う時がある。

せめて神戸くらいの距離であれば

いつでも帰れたのに。。とも。

 

*兵庫県のお友達もある時期に病気で

他界。熊本出身の彼女でした。

*なんでもできる心配りの優しい友であった。

*引っ越しの時には詩を色紙にかいて

下さった。すごく嬉しかった!

主人も喜んでくれた。

 

よき はるに 

あやなす にしき なおきよく

ようこそ ふくの こしや

☆★に・・

なおき ようこ ☆★ ☆★こ

 

錦 ☆★ 福 春 直 義 陽

かぞくのなまえを しあわせあれと

ゆくすえを あんじて うたって

くださった たいせつな ともは

いつも こころの なかに・・

かのじょの なまえは 幸子さま

 

彼女が元気な頃には短歌を詠まれていた

其のときに入選した歌を・・

お葬式の時には”テレフオンカード”にして

想い出にくださった。

*のいちごの***

 

お墓は神戸市内が見える高台にあった。

*彼女が生前に作られた陶芸品の

大きな素敵な壺が置かれていた。

立派なお墓であった。

 

*彼女が旅立たれる頃に夢をみた。

ドライブをしていた時に・・前方が霧で

前に進めない・・。そんな夢であった!

翌日?数日後に?彼女の娘さんから

連絡が・・。それは訃報の連絡であった!。

敬老の日?。

私はお母さまが元気になられた?のかも?の

かすかな期待はしていたのだけれども・・

 

*やっぱり・・素敵な友人は・・遥彼方へと

旅立ってゆかれたのでした。

やはり身内が亡くなるような悲しみであった。

翌日に主人と日帰りで彼女とのお別れに・・。

 

いろんな思い出を沢山・・有難う・・。

いつの日かあなたの生き方を見習いながら

貴方の分まで頑張りたいと思った日。

 

*神戸などでの震災で・・ご主人様は警察官。

殆ど家に帰ることなくお仕事を・・。

*その後・・私は腰が抜けたような・・。

ショックとは・・。こんなふうになるのかな?。

*わたくしたちの結婚記念日が偶然にも

彼女の誕生日?。

いろんな方との出会いとお別れ・・。

もう一度・・お墓参りに行きたい!。

いろんな思い出をお友達も作ってくださいました。

感謝ですね。

枇杷:669 


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