2021/07/21 水曜日 猛暑が続き大変な梅雨明け・・
出来るだけ、気温が上昇する時間帯はお出かけは禁止!
**検査のために病院へお出かけ・・
**自分の健康を維持するためには**それでも検査は必要!。
11時前の診察ではあったが昨日は1時間前の行動をした日。
採血をしてからは・ゆっくり・のんびり・結果を待つ。
*病院はコロナの感染対策で入り口には体温の測定。
36,6度。マスクもして消毒もする。
*結果を聞いてから・紹介状をすぐに受け取れた。
もうすでに準備をして書かれていた紹介状。
昨年の肝機能が異常な値の数字が書かれていた!かも。
数か月間は・・特に薬を飲むこともなく・CTで造影剤を
使っての検査・数か月後には肝臓の超音波検査・
数か月ごとの血液の検査。どこも痒くも痛くもない。
*膵臓や肝臓もその他も内蔵は余程でないと
症状は出ない時もあり。原因が果糖の多量の摂取?。
*考えてみたらまるで実験台で・・みずから
果物を食事の様に摂取していたらどうなるのか?。
体験をしたようなものである。
*これでやっと・・わざわざ高価な?ブドウやら西瓜・
等を。購入する事はしなくなって・食費も少しは節約?。
*ゆで卵はできれば半熟でたべればよかったかも。
本には卵はゆで卵がカロリーが少ないのでベスト。
もう一度、本を読みなおしてこれからも
健康の維持のためには・歩くこともスクワットも
無理のない程度に実行してゆきたい。
**部屋の移動で快適な生活を・・
*数日前から今年は異常な気温の上昇!。で
ある時期からは2階での部屋は使わず。
やはり1階での生活となった!。
*人間は体感温度を感知してなのか?快適な環境を好む・
テレビも大型で冬や秋などは楽しみながらの
2階での生活。1階へ降りると。もうベッドの部屋は
テレビは置いてない。ので小型のラジオを聴く日々である。
*ラジオを聴きながら懐かしい音楽で昔を回想する。
本も読んだり。この部屋にはパソコンも置いてある。
*隣の部屋が厄介な部屋。ソフアーを置いてテレビも見れるが。
でも湿度がどんどん溜まる場所?。畳から床にして
断熱材も・・。おそらくは・壁紙を選んだときに。
*除湿とカビ予防などのを。貼って頂いた。
それからベッドがあるほうの南西の部屋には
欅の家具が置いてある。クローゼットにするには
お金がかかりそうなのでやめた。
*2階の南西と1階は快適な部屋をと。考えて
”珪藻土の壁をわざわざ塗って頂いた。
*おそらくは?夏が過ぎて?秋や春。冬には
快適カモの実感ができるのかは??。
*秋には2階のまだ使っていない方の部屋を
片づけて活用する。予定である。
*家族が離れて生活をするようになる。なった!
外国では広い家の持ち主では・・。
部屋を貸すようである。なかなか日本では考えられない事。
**ロンドンでの生活の日々はどうでしたか?息子の話より・・。**
*息子はある時期には語学の為にイギリスのロンドンで
住んでいた。そんなに広い部屋ではないようで
あったが。写真を見る限りでは下宿風?。生活のような
スタイル。でもやはり学生の頃のような部屋代。
*数日間はホテルで過ごしてからすぐに
住まいを見つけたようであった。
2年間はそこでの生活。
*その前はカナダのバンクーバで暫くいた。
その下宿先は大学の教師?
食事の後でお皿を洗う条件・で英語も教えて頂いた
とか?料理は肉が多いらしい。お皿が多かった!
ので洗うのが大変だったとか?。
一人暮らしの教授。
すべて語学の勉強のためにアルバイトをしながら
質素な生活。それでもある時期に。宗教の関係で
友人に?知り合いの方とランチを食べにいった!
特別な日?だったのか?ランチは豪華な?
料理で・・1万五千円も支払ったとか。
*人生での1度だけの高級なランチ。それも
良い体験談かも・それからアルバイトもしていた。
働きながらの勉強が条件。日本のお寿司屋さんで
アルバイト。お店の広告をつくったら
店主に喜んでもらえたとか。
*すべてカナダもロンドンもオリンピックが開催される
前の年での留学?。こちらに。。日本に帰国した。する頃は
あの東日本の大震災の後の4月10日頃?。
2年間の条件なのでビザが切れる前には出国して
フランスやらその周辺を旅行しながら
2年ぶりにやっと帰国。まずは東京での
友人たちとのお喋り??で我が家に戻ったのは
数日後であった!。とにかく無事に帰ってこれて
安堵したのを覚えている。
その数日後には‥息子と一緒に。被災にあった
南相馬市の友人宅へ車で昼過ぎに出かけた。
彼女の家に着いたのは12時過ぎてから・・
真夜中の訪問であった。どこかは?位置が
ゴールはこの辺?。で同じような建物。
*地震のおこる前の年にたまたま
友人と一緒に出掛けて場所は分かっていた。
*彼女の大好きな!韓国の俳優の大きな
写真が貼られていたので。。夜中でも
すぐに見つけられてよかった!
*南相馬市は東北の湘南?。朝は早く日が昇り・
海が少し車で走れば見れる場所。
数時間。荷物を渡したりお喋り。
心の籠った大根の生姜煮物。を頂いて・
うっすらと明るくなったころに彼女の
家を後にした。危険な圏内には入れないので
かなり大回りをしながら・・**途中は
猪苗代湖に立ち寄ったり・想い出の
松本に立ち寄って美味しいラーメン屋さんへ。
*これも懐かしい思い出になった!。**
*近くの海岸の道路には船が乗り上げていた。
橋も?壊れて?本当に悲惨な状況をみながら
息子はやや放射能が気になっていたようでもあった。
*彼女の家は避難場所の21Kmくらいの境界?。
20Km 圏内であれば非難が必要?。
*彼女は潔癖症でもあり?非難での生活はしていなかった!
*すべて自力で生活しながらの10年間。友人たちが
心配して?それから新聞配達?牛乳配達の方に
買い物はお願いしていたとか。1度お願いする時には
5千円はお礼に支払う方であった。感謝のお礼?。
そうこうしながらの気を付けながらの日々の生活を
されていた‥。彼女はいつも気配りができる方...。
電話で元気な声を毎日聞かせて下さったので
こちらが反対に元気をもらっていた!
*いつも頼りにしていた9歳年上のお姉さまであった。
3月の11日の被災した日がなんと!お誕生日であった。
あれからもう10年?。
2011年の3月11日 テレビを何気なく見ていたら
東北の地震の映像が・・海では‥車が‥家が・
大きな船も・あらゆるものが・・
流されてゆく・・まるで夢の様な現実の映像!
数時間は連絡がとれなかった!でも
翌日には。。彼女は大丈夫!との声。
ゆれたのは食器棚?でお茶碗が少し壊れた?。
**意外とその場所は岩盤?家も大丈夫であったようで
安心したのであった。
オリンピックが終わったら秋には会えると
楽しみにしていたのに・
延期・コロナの感染予防で旅行もできない!
お互いに日々を元気に過ごす事。体力を
つけて・そのうちに会いに行きたい願望である。
**枇杷*711
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