2019/02/24 日曜日
再投稿 一部訂正 2月25日
誕生日でした。今も彼女は元気で・・いてくれる
ので感謝です!。
東日本での大震災で被害にあった人々や大切な物を
失ってしまった日々の記憶はいまだに癒されては
いないけれども。日々、前向きに未来に希望を
抱いて助け合って生きているのですね。
気仙沼の”地福寺”のお地蔵さまも無事にお寺にもどり?。
大切にされている。そのお寺の名前は記憶になかったの
ですが・・。掛け軸に小さい字で”地福☆☆?”と書かれて
ありました。宮城県の気仙沼市から遥々と・・・。
震災の数か月後に”犬山城”の城主様の
菩提寺となっている。お寺に・・お地蔵様も祀っている
”地福寺”の片山秀光和尚様(住職)が犬山市に。
お寺の住職様達が震災に遭遇した事で布教活動などに
来られていたのでした。
悲しみの中でも各地のあらゆる人々の支援も得ながら
住職様達も復興の為にあらゆる人々に支援をされている。
事等を。(ブログで知りました)震災前の年の10月に
お寺のご住職は節語り説教ユニットを結成されていた。
カッサパ・・(三迦葉) 等は・・・。
ブログを投稿した後で知りました。ので
一部内容を訂正することにしました。
コンサートの前に・。まず初めに★★のお寺の
住職様や副住職様などの癒しのお経が唱えられて・
その時に私はなぜか悲しみがこみあげてきて・・。
お経を唱え始めてから終わるまで涙が
止まらなかったのでした。
副住職の宮川様の弟の方のお経も感動した!。
あるときにふとした事からご縁があってたまに
”卓球”を数回だけ楽しんだ。
そして癒しの写経を数回、お寺に持参した。
お地蔵様がお庭に数体、微笑ましいお顔で置かれていた。
なぜか癒されるお寺だと感動した!。
写経などで少しでも・・。復興の支援をさせて
いただいておりました。
そのご縁で・・★★のお寺の住職様と気仙沼市の
ご住職様達の交流の場がお寺での癒しの
コンサートがありました。
その住職様が詠まれた歌を購入していました。
いつも仏壇の傍にミニ掛け軸。を掛けています。
23.6・6 に書かれたのか?。
その詩を見るたびに
いろんな出来事を思い出す日々でもある。
被いの寺に お地蔵さまが まごころ つんで
やってきた めげずに にげずに くじけずに
歩んでいきます この坂を 見守り下さい
お地蔵様 信じて 生きて 参ります
これを詠まれたご住職様はとても歌が
上手でした。ご親戚?ご兄弟のアーチストの方々
も来られていて・・。素晴らしい時間を・・。
津波の状況を歌にしながら語られていた事。
副住職様(弟の方は)は今は私の故郷の高松市内
のお寺にて(ご縁があって?活躍)過ごされて
いるとの事。☆☆家の菩提寺でこれまた格式の
あるお寺で日々の御勤めをこなしながら・・。
時には卓球をされているとか?。
(卓球の仲間からの情報) 風の便り・・。
南相馬の友人はなぜか避難をすることなく
いまだに・・・。
自宅で逞しく元気に生活されている。
時々。電話にてお互いに東京で過ごした
日々を懐かしみながら生きている。
感謝です!!。