2021/060/10 木曜日
春が来て 夏が来る頃には
今年のアリストロメリアの花・・茎が凄く長い!
玄関のミニ花壇・西側の蕗の手前・西北のミニ菜園?
3か所に球根を植えてある・・
その庭の花が元気に咲いている。数か所に
高松の実家からアリストロメリアの球根を
高速に乗り・・一緒に岐阜に・・。
*母が元気であった頃にはどんなお花も
かなり上手に育てていた。
母が病気で施設や最後には入院していた時にも
休みには月に1回は帰省して会いに行っていた。
*御盆に帰省した後で岐阜に帰る時に。母は
お別れの言葉を伝えた。いつもと違う言葉。
それが最後の言葉となった!。
もう少ししか時間がない事を知っていたのであった?。
*”もう帰ってこなくってもいいよ!”と。
その言葉がどんな意味をもっていたのかも
分かってはいたのだけれども・・。
*実家にそのまま滞在をすることはできなかった!。
後悔のない時間を過ごせていたので・・。
母も納得をしてくれていた。数日間での休暇。
今はもういない主人もいつも一緒に帰省。
*母が他界してからも実家の庭をいつも
母が生きていたころのようにできたらと。
帰るたびにお花の手入れなどをした。
*誰も住んでいない実家に交代しながら?
数か月ごとに弟も帰っていた。
仏壇に手をあわせて。。拝んでいた。
*姉も時間がある時にはお墓参りに。
それから法要などの連絡や準備なども・・。
弟や姉も他界した両親のことを忘れる事は
なかった。私は遠方からの帰省なので・・。
だんだんと・・月日が過ぎてゆくごとに
庭の手入れもできなくなっていた。
*朝早くからまた夕方・・暗くなるまで
真夏には空いている時間をみはからって
草抜きをしたりも・・。
*母が喜んでくれていると思いながらの
自己満足でもあった。
*とにかく彼も協力してくれていた。
でも脳梗塞になったり・・癌などの
病気などで帰省することが困難となった。
*もう彼はいない。。数年前にやっと自分自身も
元気になっての帰省。お参りは心が安らいだ。
*もう暫くは帰れない。ふと思う時がある。
せめて神戸くらいの距離であれば
いつでも帰れたのに。。とも。
*兵庫県のお友達もある時期に病気で
他界。熊本出身の彼女でした。
*なんでもできる心配りの優しい友であった。
*引っ越しの時には詩を色紙にかいて
下さった。すごく嬉しかった!
主人も喜んでくれた。
よき はるに
あやなす にしき なおきよく
ようこそ ふくの こしや
☆★に・・
なおき ようこ ☆★ ☆★こ
錦 ☆★ 福 春 直 義 陽
清
かぞくのなまえを しあわせあれと
ゆくすえを あんじて うたって
くださった たいせつな ともは
いつも こころの なかに・・
かのじょの なまえは 幸子さま
彼女が元気な頃には短歌を詠まれていた
其のときに入選した歌を・・
お葬式の時には”テレフオンカード”にして
想い出にくださった。
*のいちごの***
お墓は神戸市内が見える高台にあった。
*彼女が生前に作られた陶芸品の
大きな素敵な壺が置かれていた。
立派なお墓であった。
*彼女が旅立たれる頃に夢をみた。
ドライブをしていた時に・・前方が霧で
前に進めない・・。そんな夢であった!
翌日?数日後に?彼女の娘さんから
連絡が・・。それは訃報の連絡であった!。
敬老の日?。
私はお母さまが元気になられた?のかも?の
かすかな期待はしていたのだけれども・・
*やっぱり・・素敵な友人は・・遥彼方へと
旅立ってゆかれたのでした。
やはり身内が亡くなるような悲しみであった。
翌日に主人と日帰りで彼女とのお別れに・・。
いろんな思い出を沢山・・有難う・・。
いつの日かあなたの生き方を見習いながら
貴方の分まで頑張りたいと思った日。
*神戸などでの震災で・・ご主人様は警察官。
殆ど家に帰ることなくお仕事を・・。
*その後・・私は腰が抜けたような・・。
ショックとは・・。こんなふうになるのかな?。
*わたくしたちの結婚記念日が偶然にも
彼女の誕生日?。
いろんな方との出会いとお別れ・・。
もう一度・・お墓参りに行きたい!。
いろんな思い出をお友達も作ってくださいました。
感謝ですね。