本の感想

本の感想など

柳橋新誌(成島柳北)を見る① 柳北は運のいい人か

2022-11-21 22:17:51 | 日記

 柳橋新誌(成島柳北)を見る① 柳北は運のいい人か

 荷風がほめたたえるのは、森鴎外の他には成島柳北である。岩波の新古典文学大系にあったので早速買ってきて読むことにした。江戸末期のヒトのエッセイで文体が古くて読むのにひどく時間がかかるうえよくわからないところが一杯ある。文章が分からないことの他に背景が分からない。しかし、わかったところはなかなか面白い。

 柳北は江戸末期の将軍侍講の職にあった。代々の家業だろう。将軍の家庭教師だから尊敬されるが社会的地位は思ったほど高くない。文官で学者のはずだが、幕末の混乱期に陸軍歩兵頭並まで出世する。これは本人に力があったせいか、他にふさわしいのがいたが幕府負けそうだから皆辞退したのでこの人成り上がったのじゃないかと思う。(ただしちゃんとフランスへ留学している。航西日乗というパリ留学の真面目な日記も残している。いずれ読みたいと思う。)

 それで幕府が瓦解したころに柳橋という遊里に遊んだときに書いたエッセイが柳橋新誌で、木版で出版して仲間内で見せて楽しんだようだ。遊里に遊ぶことを文章にするのは荷風さんで見たから驚かない。江戸時代にはこういうことを書いて楽しむ文化があったようだ。士農工商の各身分の中でそれぞれが陰惨な生活を強いられたと教わったような気がするが、実際はこんなことがあったのか、あの歴史教育は一体なんであるのかとツクヅク思う。嘘とまでは言わないが、大事な一面を完全に切り落として教えていないか。

 さて、成島柳北については次の二つの点を読み解きたいと思う。

  • 将軍侍講だから真面目な顔して論語を教えていたはずだ。であるのに遊里に遊んでこんな戯れ文を書くことにどう心の中で折り合いをつけていたのか。
  • 幕臣は大抵貧乏なはずだ。それがここに遊ぶカネはどこから出たのか。きっと幕府瓦解の時に渡されていた軍資金を返却するところがなくなったのを幸いポケットに入れたんじゃないか。しかしそれで新政府が出せと迫らなかったのはなぜか。どさくさで忘れていたのか。または使い切ったころに新政府が気が付いたということか。同じようなことは第二次大戦の日本軍で内地にいた部隊にはおこったと聞いたことがある。なら成島柳北は極めて運のいい人になる。

 二つ目のことは読み取れそうにないけど、一つ目は読んでいるうちにわかるかもしれない。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉚ ニューヨークのウォール街

2022-11-20 15:38:08 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉚ ニューヨークのウォール街

  ヒトとさるとの違いは、おカネを扱うのと美しいものを見て感激するかどうかにあるのだそうです。社会生活をするのにおカネはその手段としては欠くべからざるもので、美しいものは社会生活をなすのに緊張した神経を休め同朋意識を高めるのに必要なものだそうです。ある周波数の音を聞かせると神経が休まり仲間との連携がとりやすくなるとの研究をするところがあるらしい。そんなら戦場でその周波数の音を流したらどうなるのかとか、スーパーや百貨店でその音を流したら売り上げが上がるのかとか、劇場や映画館で流したらお客が増えるのかとか疑問は尽きない。

 おカネを上手に扱う能力と美しいものに感激しさらにはそれを作り出す能力両方を同一人物が持っていることもあれば、どっちか片方の場合もあれば両方ともダメという人もいるようです。ただ両方あるからと言って幸せとも言えないのではないかというのが、荷風さんのお父さんで官界で名をなし実業界でも名をなし漢詩文の世界でも名をなしたヒトのようです。しかし、息子には様々なコネを使って銀行員にしようとするも失敗。長男荷風さんはその家(来青閣)を大正7年12月5日に二万三千円(現在の価値で吉野俊彦さんの算定では2億円以上、私は一億数千万円と思います。)で売ってしまいます。そのほか書画や家具什器も今の値段で数千万円にはなったようです。これは弟と義絶したためいたたまれなくなったためでしょう。明治四十一年には、横浜正銀の頭取に談じ込んで息子を銀行員にねじ込むほどの力があったのにです。たった10年のことでこんなにも変わってしまうとはヒトの運命とはわからないものです。

 吉野俊彦さんの本によれば、荷風さんは銀行員をしていたからおカネの取り扱いはうまかったと書いておられたが、そうは絶対思えない。戦後財産税を払う段には40万円余り(今の価値で一億数千万円)になったのですから減らしてないじゃないかというかもしれないが、途中円本がバカ売れして年収が一億円の年がいくらもあったし、景気の良い時は配当金も沢山あったはずと考えられます。すべて現在価値で換算して生涯で数億円おそらくは十億円に近いくらいのおカネを散じていると考えられます。途中空襲に遭っていることを考えに入れても、今のサラリーマン三人分の年収を美の世界に投じたことになります。

 もっとも、ここから昭和34年4月に亡くなるまでに数億円増えているようですが、これは放蕩な生活から足が自然と抜けかつ印税が入ったからで、確かにおカネを運用はしているようですがそれで増えたのではないと考えられます。

 ニューヨークのウォール街で銀行員を数年したのはなんの役にも立ってない。もっともここは美の世界ひいては放蕩の世界はそれだけおカネを吸い取る世界であるとも言えます。荷風さんの日記を読んでそこかしこに江戸情緒を感じます。しかしここまでおカネをつぎ込むほどの値打ちが「美」にあったのか。おとなしく家庭を営む生活がなぜできなかったのか。不思議な人格の持ち主です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉙ 預金封鎖と財産税払う

2022-11-19 12:50:34 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉙ 預金封鎖と財産税払う

 昭和二十一年二十二年は、草稿だけが残っていてそれらは岩波版では最終の第七巻に付録のように扱われています。ここが一番読みたかったところですがホンの少ししかありません。順にみていきます。

  • 二十一年一月一日に「個人の恒産にも二割以上の税かかるという。」のうわさを書いています。実際は25%程度ですから、噂は正確であったようです。戦争中に刷りまくったおカネを何とかしないとインフレが止まらないということであったということでしょう。このころは会社の配当金も止まり68歳にして売文の仕事がうまくいくかどうか心細いと嘆いています。そんなら若いころ悪所に通わずに貯めておけよと言いたくなりますが、貯めておくと今度は財産税の対象になるばかりですから悪所通いをしておいた方が良かったと考えられます。記憶として残ってますから、小説のネタにはできるかもです。売れっ子作家と言えどもこんなもんかと思ってしまいます。
  • 二月十七日 「新貨幣発行銀行引き出し停止等の布令発せらる。」いきなりこれは無いだろうと思うが、突然であったと書いてある。利息狙いで手元のおカネを少ししか持たない方針の人は困っただろうな。
  • 二月二十一日「闇市の物価またさらに騰貴する。」市中に出回るおカネが少なくなったはずなのに物価騰貴おこるのか。ここは不思議なんですが実際を経験している荷風さんの言うとおりなんでしょう。
  • 二月二十六日「銀行閉鎖のため生活費の都合により中央公論社顧問嘱託となる。」荷風さんはそれで現金を貰えたかもしれないが他の人はどうしたんだろう。
  • 三月二日(多分土曜日)「紙幣通用本日限り。」銀行郵便局の前には多分入金のためだろう列ができた。飲食店は一つもなしという。そりゃそうでしょう、その日の売上金を入金できないですから。この日の飢えをどうやって人々はしのいだのか。知り合いのところからツケで買ったのか。
  • 三月五日「新円通用以来肴屋八百屋店を閉じ副食物なきに苦しむ。」荷風さんここで米国製缶詰などを書店からもらったりしています。こういう伝手のない人は苦しんだろうと思われます。放蕩してそれを文章にしてそれが困ったときの缶詰になったのですから、案外放蕩することは良いことなのかもしれないと思わせるところです。これに限らず芸が身を助けるという幸せな生き方を荷風さんはしたと考えられます。
  • 三月二十六日「印税新円にて金五千円」受け取る。もう新円がここまで出回っているようです。他の人はわからないが、荷風さんはここでもう大丈夫の地点に到達したと考えられます。闇市はあるでしょうからこれで生きていけます。
  • 四月一日封鎖預金払い出しが一人毎月三百円から百円に変わったことを皮肉っています。しかし一人一か月百円で生活できたのかを知りたいところです。インフレ退治にはこのようにかなりの犠牲が必要だった。
  • 八月二十日新紙幣封鎖のうわさ頻りなりとありますが、これは噂だけで終わったのではないか。
  • いよいよ知りたかった財産税は、昭和二十二年一月十五日に記載があります。宅地3万円株券29万円、貯金11万円に対する財産税10万円余り。たしかに噂通りの二割強の税率です。このころ郵便封書30銭とありますから、まあ今の物価当時の300倍ではないか。荷風さん3000万円くらい納税した感覚です。開戦当時の軍人や政治家に対する皮肉を言いそうなもんですが、何も書いていないので何とも思わなかったのかもしれません。すでに食べるに困らない立場にあったからかもしれません。この宅地は麻布市兵衛町ですからずーと持ってれば何億になったかわからない土地で、何とも言い難いものがあります。

このようにおカネに関して淡々と書いています。ここでうまく立ち回って土地を買い占めてる人や闇市での人情模様に興味が出そうなもんですがそれには関心を寄せないで江戸文化に関する本や外国の詩を読んだりしています。小説家でありながら他人に関する興味が薄い、その代わり美に対する興味が大きい。詩人であって小説家ではない。そんな人の小説が売れたのは、詩人の言葉を用いて自らの放蕩を描いてそれがうまい具合に時代の波に乗ったからと考えられます。

 そういえば、荷風さんの尊敬する森鴎外も小説家なんですけど小説の構成には歴史などを参照しており巨大なフィクションを構成したわけではありません。ただ言葉の用い方が極めて的確で小気味いいしよくわかる文章によって構成されています。おそらく荷風さんの値打ちは、書いてある内容よりもその詩的な言葉の用い方によるのだと思います。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉘ 日記の中身はなにもかも正直に書いているであろうと思います

2022-11-18 12:40:17 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉘ 日記の中身はなにもかも正直に書いているであろうと思います

 昭和二十二年一月二十二日に、「今の世を生きんとするには寒気を物ともせず重きものを背負う体力あらば足りるなり。つくづく学問道徳の無用なるを知る。」とあります。この前後には、この時代の世相を何度も繰り返し書いてあります。物価の高騰はもちろん停電で寒さに震えたとか炊事が困難であるとか、どこそこの戦争成金の家には強盗が押し入ったとかです。悪名高い財産税は一月十五日に記載があります。この記述の前半はなるほどそうだと言えますが後半には待ったをかける必要がある。

 「学問は必要ない」ここまではいいが「道徳は必要ない」とは荷風さんの口からは言ってはいけない言葉ではないか。お前が言うなと言いたくなるところです。今まで散々悪所へ通いこんなことしたあんなことしたこんな面白い話があったと日記に書き綴ってさらには小説に仕立てておいて道徳破りなことをしていて、(しかも道徳破りはこれからすぐ再開されるんです)それで今の世には「道徳は必要ない」とはちゃんとした人がいうならともかくあんたには言う資格ない、と思うところです。

 まず荷風さんが断腸亭とか日乗とかの言葉を使うところから、衒学的でマウント志向の人であることは間違いないでしょう。マウント志向の人は、勝つためには格好をつける傾向があると見ます。(ですからこういう人は学問に優れた賢い人であるかもしれませんがお付き合いはしたくない。)自分が道徳破りなことをしてそれを棚に上げて「今の世を生きるには道徳は必要ない」とはなんという言い草であるか、この人単にええ格好しいなだけではないのか。

 しかし、そう思うのは思ったほうがそういう時代に生きてきただけのことだとも言えます。多分こちらの方が本当のところでしょう。戦後世代は、ごくごく小さいころから悪所に近づくのはとても悪いことだと徹底した教育を受けてきた。もし近づいたのがいたらそういう輩とは交際を絶たねばいけない。行けばあの世に行ってから地獄に落ちて針の山の上を歩くことを強要されるぞ。(わたくしは特に名を秘すが今頃は針の山を歩いているはずの友人を知っています。)ありとあらゆる脅しを受けてきました。悪所へ行かないことがヒトとして最低限の道徳であると信じ込まされたのです。そういう人間からみると荷風さんは道徳心のかけらもない人間に見えます。

 しかし、荷風さんはまさか行くことを奨励される気風ではないでしょうが、昼ご飯をコンビニに買いに行くような感覚ではないかと想像されます。なかに頑固にいや自分は絶対自炊するというのがいたら「あいつけちん坊の変わりもんやな」と評価する時代に大きくなったと考えられます。もし今荷風さんにあんた一月二十二日のあの言い草はちょっとひどすぎやしませんかと言ったところで、きっと何言われているのか分からないでしょう。日記の他の記載から判断して、荷風さんは絶対本当のことを書こうと決心して、もし伝聞なら伝聞であると大きく断りを入れて書こうとしている節が見られます。書いてあることは全部本当でまぎれもない本心であるとみられます。

 散々こちらが説明してやっとお互いの立場が理解してもらえたとして、荷風さんはどんな秀抜な言葉を書き連ねるか。「のちの世の人は、何らの楽しみも無くて日を夜に継いでむつかしい仕事をし続けることができる、不思議な人々である。のちの世には生まれたくは無し。」くらいなことは言うだろうと推察します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉗ スペイン風邪

2022-11-17 12:32:39 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉗ スペイン風邪

 大正九年一月十二日スペイン風邪にかかって一か月余り闘病生活を送りました。その間でも毎日日記は書いています。ただし一行あるかないかで、これが二十日くらい続いてそれから回復したと見えてだんだん量が増えていきます。亡くなる前は一行あるかないかで、文字数がだんだん減っていきます。ここが亡くなる前と違うところです。元気を少し取り戻したところで「おかめ笹」を書いて二月二十六日に脱稿したとあります。

 この間の記載を見て異様に感じるのは、周囲への感謝が無いことなのです。普段傲慢な人でも病気中はしおらしく感謝の念を抱くと思うのですが、例えばこんな風です。「お房の姉おさくといへるもの、・・・・・・・四谷にて妓家を営める由。泊り掛けにて来たり余の病を看護す。」ここにあるお房とは、荷風さんの家の女中さんですが一人看護では難しいから呼びよせたのかそこは不明ですが、この人に対してこの書き方は無いだろう。さらにお房さんは、病気が移ったのでしょう三月三日「はしためお房病あり。暇を乞いて四谷の家に帰る。」とあります。ここにはしためとは、女へんに卑しいの字を書いています。今は使わない文字です。

 永井家は代々の旗本の家で、維新の頃にうまく立ち回ったのでしょう明治政府に潜り込みさらにいわゆる天下りをして栄えていったお家と見えます。これじゃもう庶民は牛猫の扱いじゃありませんか。明治維新から五十年以上よくこんな気風でやっていけたものだと呆れる。

ということは荷風さんの小説(私は一冊しか読んでませんがもう退屈で退屈で仕方なかった。)の中に出てくる疑似恋愛は、激しい蔑視感情を伴っているものではないかと想像できます。読みにくいのは、時代がちがうだけではないのです。そこに流れている感情が時代の変化以上の変化を遂げ全く今と異なるもであるからと考えられます。昔、源氏物語を読まされた時に感じた強い違和感と同じです。あれを日本語の文章のリズム、繊細な語感を勉強するためというならまだいいのですが、文章の中身は役に立たない阿呆なことの連続です。荒唐無稽なことならそのつもりで読みますが、高校生が源氏を読んでこのような気分でないといけないなんて思い込んだらなにもかもがダメになってしまいます。よくあんなものを教科書に採用するものだと感心します。

 どうやらごく小さいころに刷り込まれた人に対する見方は生涯抜けることが無いようです。戦後の小学校低学年の教育でやっとここが是正されたんじゃないか。しかし、その是正は社会階層を取り払ってみんなで競争させようという戦後政府の方針によるもので、蔑視はなくなっても今度は競争の結果に対する蔑視が始まっていそうなところがある。

わたくしは競争のない社会がいいなと思っていたが、社会が固定化されていて荷風さんのような他の人大衆を人と思わないような人が出てきたらちょっとやってられない。何事もほどほどにしてもらわないと。荷風さんが奇人変人と言われたのは、この身に着いたお殿様の態度にあったと想像される。本人はきっと死ぬまでなんでみんな俺のことを奇人変人と呼ぶんだろうと思っていたに相違ない。荷風さん時代にだんだん取り残されていたのに、いや俺は本場のフランスもアメリカも知ってるぞ、フランスからアメリカに渡ったときか愛人が追いかけてきたんだぞと思っているのだろう。本人にとっても周りにとっても迷惑な話である。本人はわからないだろうけど時代錯誤の人であった気がする。