本の感想

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断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉖ ラジウム治療

2022-11-16 15:21:28 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉖ ラジウム治療

 大正十二年三月五日にラジウム治療(なんだか怪しそうな治療で、大丈夫かと思ってしまいます。これに限らずかなりのエロ爺のくせしてしょっちゅう医者通いをしています。エロ爺は元気なものと相場が決まってそうなものなのに。)に日本橋高砂町の医者に行っています。そこの待合室で、見ず知らずの芸者さんと出会って狂言などの話をしたとあります。その芸者さんは荷風さんの本を愛読していたそうです。私の女性の読者はいるはずがないとした説は誤りだったようです。

 この項を読んでやっと知ったことですが、芸者さんはきれいで愛想よく座持ちをするだけではなく荷風さんと話ができるほど江戸文化そのほかに造詣が深かったことです。天下の貴顕と会話をするのですからかなりの教養を必要としたのでしょう。ここで思い出した。山本夏彦さんは「銀座のホステスは芸者の子孫だと思っているようだがとんでもないあれは芸ができない。」といって芸者は芸もでき教養もある、ホステスさんは教養だけだと暗に格下だと言っていた。両方とも見たこともない私は山本説に従うほかない。

 お話かわって、お猿さんはボスの座を争って勝ったあと今度はハーレムのトップのメス猿のところへお伺いに行くらしい。そこで承認されて初めてボスになることができるという。もし承認されなかったらせっかく権力闘争に勝ったのにボスになれない。その場合はもう一回別の猿が権力闘争するのかどうか心配になるが、どうもハーレムのトップは男の値打ちを測って評価する権限があるようである。

 ということは、人間はおさるさんの子孫であるから芸者さんの集団がハーレムに相当し各界の貴顕は高いおカネを払っていい気持になりに行くのではなく、自分の値打ちを値踏みされに行くのではないか。毎夜の入学試験みたいなもんである。昼間は仕事または権力闘争夜は値踏みされにいくでは気の休まるときが無いではないかと他人事ながら心配になる。

 荷風さんは文学界の貴顕であってもちろんおカネもある。そこでいったんは芸者さんを奥さんにすることができたのであるから、ボスであることを承認されたようなもんではないのか。競争とか闘争が大嫌いな荷風さんも案外競争社会の中に生きていたことにならないのか、など興味は尽きない。

 さらに、芸者さんは皆ではないでしょうが金欠の人が多い。荷風さんも関根うたさんそのほかにはずいぶんおカネを払ってやっている。こんだけおカネが飛び交っている業界に身を置いてなぜそこに働いている人が金欠になるのか不思議である。ここに搾取とか金利とか言うことがあったのか。日記のどこにもその中にまで踏み込んだことは記載していない。当たり前のことだから書く必要が無いとされていたのでしょうが、今の読者にはわかりづらい。だれか花柳界の経済事情を書いてくれないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉕ やっと理解した。なぜ小説が面白くないのか。

2022-11-15 13:34:18 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉕ やっと理解した。なぜ小説が面白くないのか。

 むかし山岡荘八の描く豊臣秀吉と司馬遼太郎の描く秀吉の違いに驚いたことがある。前者は何もないところから領土を切り取り家来を作っていくように描かれ、後者は上司や同僚の間をうまく立ち回り次第に出世をしていくように描かれています。これは作者の生きていた時代と想定される読者の違いがあるからでしょう。山岡さんは昭和20,30年代焼け跡世代の人が裸一貫自分の工場お店を作りそれを大きくしていった世代を読者にし、司馬さんは大きくなった組織の中でいかに敵を仲良くしてるふりをしながら蹴落としまたはゴマをすりまくって出世していくかに腐心する人を読者にした。

 してみると時代も変わったことだし、新しい太閤記が新しい筆者によって書かれないといけない時代が来ているような気がする。今度は情報をうまく集めスマートに周囲とぎくしゃくしないで領土を広げていく、それでじたばたして滅んでいく敵は「自己責任」と冷たく言い放つ秀吉像になるだろう。本当の秀吉像はどこにもない、時代の作った秀吉像がその時代時代にあるだけである。時代小説でもコンテンポラリーは必要である。落語でも何でもその場に居て参加しないで録画録音だと面白さが半減どころか五分の一十分の一にも減ってしまうのは、時代と場の共有ができていないからと考えられる。

 荷風さんの小説がわたしにとって面白くないのは時代を共有しないからであり、日記が面白いのは単に事実や経験をそのまま正直に記載し解釈は読者にゆだねているからだろう。読者は自分のこと例えば低金利下の生活はどうなるのかの興味あることに引き寄せて日記を読むからである。全体の八割は占めるであろう遊里の話はこういう爺さん居そうだなとか、ひょっとしてあの難しい顔してる爺さんも案外こんなことしてるのかなとか、こんなことすると孤独に陥るという教訓として我がことに引き付けて読むことができる。

 大正八年四月六日に「感興年とともに衰へ、創作の意気今は全く消摩したり。………天下の人心に日に日に兇悪となり富貴を羨み革命の乱を好むものの如し。……」とあります。前段は荷風さん創作の井戸が枯れてきたと嘆いているのであり、後段はこういう時代の雰囲気を理解しないとあんたわたしの小説はおもしろくないよと言っていると考えられます。なぜこの殺伐とした時代に荷風さんの軟文学がもてはやされたのかは興味があります。戦争近しの時代に軟文学が好まれたのか、だったら平和で駘蕩とした時代には戦争文学が好まれるのか。(それはきっとないと思う。しかしバブルのころ「一杯の掛けそば」がもてはやされたことがある。)

 貧しい時代には領土拡張の武将の物語、大企業の時代には立身出世物語が好まれた。戦乱の時代には平和の物語が好まれる。平和の物語とは、今の自分たちにとってはうまいものをたらふく食って珍しいものを拝見し気の置けない仲間と冗談をいいあうことだと思い込んでいるけど、この時代の平和の物語は遊里に行って疑似恋愛を楽しむことであったのだとやっと理解できた。理解したけど同じ感性にはなれそうにないからやっぱり荷風さんの小説は面白くないとするべきだろう。

 人間の感性とは決して普遍なものではなく、このように各時代によってまた個人によっても違うもののようである。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉔ 暴戻なる軍人政府

2022-11-14 09:50:11 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉔ 暴戻なる軍人政府

 昭和十九年九月二十日に荷風さんの花柳小説「拙著」腕くらべを出征軍人の慰問のために五千部重版する注文があったとあります。十九年の春には歌舞伎と花柳界の営業禁止をしながら自分の花柳小説の重版を要求する軍部に「何等の滑稽ぞや。」と笑い飛ばしています。断ったとは書いてないから快諾したのでしょう、いくばくかの印税も入るしなにより自分の小説が売れるのは嬉しかったはずと推察します。ただ昭和十九年にも確定申告があって二千円程度の収入だったようです。(わたしは荷風さんに限りません気難しそうに見えるアーテストもみな自分の作品の高く評価されるのが何よりうれしいはずだとみています。気難しそうにするのは振りです。にこにこしてこれ買ってくださいでは作品に重みがなくなります。易者さんは厳しい顔してお告げをしないとお告げに重みがなくなります。それと同じです。)

 わたしは腕くらべは持っていて読もうと試みるんですが退屈ですぐあきらめてしまいました。あの当時はこれが慰問になったのでしょう。戦地でこれを読みながら早く故郷に帰って遊里に行ってこういうことをしたいもんだと思ったのか、しかしその遊里は軍部によってすでに営業停止になっているんです。荷風さんの小説を配ることは、無いよりはましかもしれないが残酷な慰問の仕方ではないのか。

ここから読み取れることは、昭和十九年九月にまだ戦争を続ける気があった様子であったことです。あと半年で東京大阪名古屋そのほかの大空襲の時です。慰問本の選定なんかしてないで講和の交渉するべき時だったと(現在からなら)考えるところです。

 日本軍は(出来合いの)花柳小説を慰問にし、アメリカ軍は月刊プレイボーイ(当時あったのかどうか知りませんがベトナム戦争時は確実にあった。)を慰問にしたのではないか。遺憾ながら慰問品ではアメリカの勝ちとせざるを得ない。どうもアメリカ軍は慰問専用にこの月刊誌を作った節が見られる。それが証拠にベトナム戦争までが徴兵制であって、徴兵された兵士には軍部もいろいろ気を使わざるを得ない。それ以降の戦争はプロ兵士であるから必要があれば自分で手配せよ慰問はしないという趣旨だろう、この月刊誌は廃刊になった。どうやらベトナム以降アメリカは戦争の仕方を根本的に改めたように見える。

 徴兵制などの代償に選挙権や年金などの福祉の制度を作るのが国民国家で、ナポレオンがヨーロッパで覇を唱えて騒動を起こしたころに完成した国家運営の原理という話を聞いたことがある。そのうち徴兵が緩んでくると残るは納税であるから果たしてこの国民国家の原理がこのまま続くのかどうか疑わしいとこの昭和十九年九月の荷風さんの小説慰問品になるの記事を読んで連想した。

 荷風さん日記を書いた時には後の時代にそこまで妄想を逞しくして読む読者は想定していなかっただろうと思う。しかし書かれた後の作品はすでに読者のものである。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉓ 読者はこんなヒトじゃないかと思う

2022-11-13 10:18:40 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉓ 読者はこんなヒトじゃないかと思う

 最近はだいぶん違うようになったが日本の企業社会は、実に上手に設計されていて少しずつ出世をしていく。わずかに差がつくが挽回可能と思わせておいて定年まで引っ張る。さらには自分の上司や社長人事は、縄のれんの向こう側では最高の酒の肴にするという娯楽まで提供する。時々は辞めたらひどい目に合うと脅しをかけておく。こうして忠誠心を保ち会社は利益をだす。

 「男にして立身出世を願わぬものは男に非ず、女にして簪を競わぬものは女に非ず。」は多分江戸時代の戯作者が史記あたりを下敷きにして思いついた言葉であろうが、この言葉を実に有効に用いて戦後の日本は会社を運営して大成功をおさめた。しかし社員はいくばくかの満足や生活の資を得るが同時に人生を失っているんじゃないかとの虞も感じる。この虞を持つ人または持ったまま定年を迎えた人が読者である。ただし、同じような立場にあったとしても女性は読者にならない。

 自分には生きられた別の人生があるんじゃないか、いやあったはずだとの強い思いが会社員またはもと会社員にはある。まず放蕩三昧の生活を送りたかった。しかし荷風さんそれで長男ながら家を追い出され同様になったし、山路さん子さん事件では悪い男に脅迫されたりしている。のみならず時々病気の心配をして検査に行っている。多くの遺産と作家としての収入(特に円本ブームの時)があったからこそできた放蕩三昧である。自分にはそのチャンスは無いとあきらめる。(ブームの時には、2万円以上の収入があった。吉野俊彦さんは当時の一円は今の一万円とおっしゃるが私は五千円くらいじゃないかと思う。それでも年収一億円以上である。)そのうえそういう生活を送るとおカネはあっても老後は孤独に襲われるようだ。それはご免こうむりたい。

 それが無理なら美的なものに沈み込む生活を送りたかった。これは、たとえその才豊にあっても美はおカネにならないところがあるので、万に一人十万に一人の自分の作り出した美が売れる人でないと無理である。ではせめて気の合う友人と銀座で歓談する生活を送りたかった。そのくらいができたぎりぎりのところじゃないかと思われる。この日記を読んでだいたいここまで来てやっと読者は自分の人生に納得するんじゃないかと思われる。

 日乗第一巻には、荷風さんの小さいころの写真が載っている。ちょっと気の弱そうで利発そうな親の言いつけを良く守りそうな少年である。袴を着けて漢文塾へ通ったそうである。読者は、漢文塾へは行かなかったが代わりに学習塾へ行った同じような人々ではないかと想像する。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉒ 残したかったのは文体ではないのか

2022-11-12 10:53:12 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉒ 残したかったのは文体ではないのか

 荷風さんは、奇人変人けちん坊として知られている。けちん坊は別にして世間の人は、これをアートに生きる人はこう人が多いとしてしているようだけどそうではない気がする。この時代は商品を芸能人を用いて売ることが無かったので、芸能界というものが無いに等しく、ごくわずかの目立つ集団でのゴシップが今の週刊誌やテレビでのゴシップと同じ働きになっていたと考えられる。かろうじて作家の書く小説が全国に読まれたので、これが全国版のゴシップの提供になった。作家は今のゴシップ提供の芸能人を兼ねていた。そこでこの人、自分の文名を盛り上げるためにこういう自作自演の挙に出たのではないか。自分の仲間内でも変人ぶりを発揮し、日記にもこれを書く。人々はゴシップを読む楽しみのためにその本や日記を読む。

 それが世間から付き合いを拒まれるほどになってはいけないから、適当なところで抑える必要はあるけど、こうすると自分の日記が売れる。さらに後世の読者をもつかむことができる。後世多くの荷風研究家が出てそれぞれ本を書いてまたそれが読まれているところを見ると荷風の狙いはあたったとすべきである。アートに生きる人は自分の人生を賭けて、たとえ芳しくないうわさが流れようとも自分のアートを遺そうとするもので人生そのものがアートになるとはこのことかと思う。奇人変人ぶり(日記)と華麗な恋愛のオトコブリ(小説)をアートにしようしたと考えられる。(ただしそれはそうしないと読んでもらえないからであって、本当に読んでもらいたいのは自分の文章または自分が開発した文体であったと思われる。)制作も監督も役者も撮影も編集もみな一人でやっているようなもんである。ただ相手役になる役者さんの好みが激しくてよいヒトに巡り合わないと、気分が落ち込んで遺言を書いたりする。正直にそれを書いてまたそれが良いことと評価されたりする。しかし荷風さんのやりたかったことは、その内容ではなく自分の文章または文体が残ることであったと思う。

 紫式部は、道長の権力闘争の一翼を担わされるために文章を書いたと想像される。(式部は中宮彰子のブレイン。)闘争の一翼を担うために書いていることは十分理解してそれでもなお書いたのは自分の開発した文章文体を世に広めたい残したいの気持ちからではないか。(この意味では、源氏物語を現代語訳で読むのは式部さんの気持ちには沿わないことで、式部さんは中身は読むな文章を読めとおっしゃるかもしれない。)

 長谷川等伯は、秀吉の権力を荘厳するための障壁画を描いたと想像される。それを引き受けたのは、自分や弟子や家族を食わすということではなく、自分の開発した画風を世に問て長く残したいがためではないか。

 してみると、荷風さんの小説や日記も中身を読まずに文章を読むべきであろう。しかし、そんな器用なことはできないから、わたしは日記はともかく小説の方はとても読めないのである。