残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

「ラーメン」は亡母との繋がり・・多分

2024-02-07 | 日記

「山形県・ラーメン消費額日本一」だという

かく言う私も「麺類党」である

会社員時代の社食は、月曜日から「ラーメン・そば・うどん」の

繰り返しだった

退職してからは「行列の出来るラーメン屋巡り」を夫婦でしていた

もっとも、妻は私に付き合わされてだけど

有るとき「もう一人で行って。ラーメン太るから・・・」

 

私のラーメン好きは、多分今は亡き母との、唯一ともいえる外食の

思い出から‥、だと思う

5歳か6歳くらいの頃、どんな理由か思い出せないが、週一くらいで

病院に行く用事が有った

母と私の二人だけ、母も私も診察を受けるわけではなかった、と思う

毎回、帰りはお昼過ぎになったので、途中の「中華そば」店で

決まって「支那蕎麦」を食べた

いっぱいの「支那蕎麦」を注文し、私の分は小鉢に分けてくれた

母と二人だけの外食の思い出は、この「支那蕎麦」なのである

美味しさは、母と一緒に食べている、という幸福感だったのだろう

独身時代も今も長じての一人食事は、やはり「支那蕎麦」中心である

いまほど、ラーメンの種類が多くなかった頃からである

現在も「味噌味」「豚骨系」などなどあるけれど、初めての店では

決まって、シンプルな「醤油系ラーメン」・・大体一番安い

なにより"店の味"が分かりやすい

 

とどのつまり、私の食の原点は母と食べた「支那蕎麦」に尽きるだろう

母は、10年余一緒に住んで、91歳でなくなった

早い物で今年、13回忌を迎える