残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

半世紀たっても続いている「同期の付き合い」

2024-02-10 | 日記

初めて社会人になった時、「入社式」には、70人ほどいたと思う

私にとっては、全員初対面だから、小さく映っている記念の集合写真を

見ても、誰一人思い出せない(写真良く残っていたな)

一か月の研修期間を終えて、みんなバラバラになった

その後、専門職グループの私たちは更に半年の研修と現場で実地研修

最初の赴任地は、東北を代表する地方都市・仙台

一緒になったのは、六人(男4人・女2人)

2年いて、男闘呼組はあちこちに転勤、女組はほとんど

移動しなかったらしい

転勤後も、数年に一度は同期会みたいにして、会っていたが

皆さん結婚したりで、疎遠になった

入社から30年ほどして、男一人が退社、以後連絡が取れなくなり

いまだに消息不明

35年目頃、もう一人の男・・、「なんとかガン」で逝去

その二年後、女子一人が「なんとかガン」で逝去

亡くなる一年くらい前に、見舞った

亡くなったとの知らせは、遠くに赴任中だったので、お葬式には

出られなかった

もう一人の女子は、定年退職後音信不通になったという

私とW氏だけは、年賀状のやりとりが続いていたので、辛うじて

繋がっていた

そのW氏から、10年ぶり(?)に電話が来た

「いつ会えるかわからないから、お茶でもしようヨ」と

彼も転勤族、二人で勤務地が同じになったのは、最初の二年

勤務した仙台だけ

その後は、勤務地が一緒になることはなかったが、会議などで

会う事は、数少ないが有った

同時期に退職してからは、彼は「退職会の役員」についた

私は、現職の時とはまったく縁のない「団体」に入った

退職して17年、会ったのは数えるほどしかない

「退職会」とは別に「仙台会」というのがあって、これに

数度顔出したことが有る

彼は、我儘な私と、ずっと付き合ってくれている

今となっては、もっとも古くからの友人である

3月に会う事にした。今から、楽しみでしょうがない

春の慶事一番である