残照亭の日日

日常の腹立たしいことなど、自分のストレス解消に書いてます。

故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書こうかな。

危うし日本、人が居なくなる😒

2024-02-14 | 日記

明治初め、日本の人口は「3000万人」くらいだっらしい

イギリス、ドイツと同じくらいだったのだそうだ

今や「一億三千万人」・・・、お~、増えたもんだ

だが、しかし、でもちなみにこの三つの単語は、相手を否定することが

多いのでコミュニケーションでは使わない方が良い(老婆心ながら)

後30年ほどで、働き手が半減するらしいのだ

つまり生産年齢と言われる、15歳から64歳の人口が、減っていくという事

かつて生産年齢としてカウントされていた、15歳~18歳は中学・高校が

ほとんどだから、働き手(生産年齢)には入れられない・・・となると

ざっくり言うと、少子化はかなり日本全体を窮地に立たせていくことになる

まぁ、ほとんどの人は気づいている事なのだが、政治家よ

小金を貯めこむ頭を、もう少し日本の将来を真剣に考えろよ


「不労所得」に憧れるけれど

2024-02-13 | 日記

この年になると、勤め人のようにして働こうという意欲は、もうない

妻「あのね・・、どこも雇ってくれないから安心して」

働かないで、所得を得る方法は「不労所得」を考えるしかない

例えば、「ブログ」で広告収入を得る方法・・、OCNの無料ブログだから✖

「株の配当」・・そもそもその株を買う資金がない

ネットで物を売る・・友人は不要になったものを売りに出したら、売れた

  我が家にも「不用品」は有る・・、妻「あなたもよ」😂

ポイントを稼ぐ・・70歳になったとき「カード」類は整理した

その後付き合いで「Dカード」を作った。マイナポイントが残っている

懸賞に応募・・何回か挑戦してみた・当たらない⇒飽きた⇒辞めた

株取引・・私のボケ防止トレードでは、とても無理・・ちなみに

本日の利益「300円

自給自足・・仕方ない「プランター農園」しかないな

妻「いつになったら、プランターの掃除するの。私は触らないわよ」

食わしてやらないからな・・、「プランター農園」は私が働くんだから

不労所得とは言わないよな

「不労所得」を得るのは、以外と難しいのか😒


自民党よ、悲しすぎるぞ

2024-02-12 | 日記

ここでは政治に、あまり触れないようにしているが

自民党議員のあまりの厚顔さに、テレビを消してしまう

国民の税金は「政治家の貯金箱」かよ

旧統一の関係だって「今は有りません」で良いじゃないか

覚えてません、なんて、そんな記憶力悪いやつが大臣務まるのか

と言ってみても、一庶民の私には、なにも出来ないけど

ただ、腹立たしいだけ・・・、おしまい


月15万円の老人ホーム暮らし

2024-02-11 | 日記

青森で勤務したとき同い年で知り合い、家族ぐるみで

長く付き合う事になった知人T氏が、3年半前に亡くなった

子供は娘一人で、長男と結婚し義母と同居

T氏は30代後半でマイホームを持ったが、家自体が建て替えを

要するほどになっていたため、2年前更地にしたという

T氏夫人は、思い切って市中から離れた「老人ホーム」に入居した

転居届が届いたのを機に、電話してみた

「病院や付き合いが、市中の人たちのため不便なのよ」という

昨年末、再び転居届けが来た

退去後、今の所に決まるまで、一時的に別の所で一月ほど

待機入居したという

その一か月分が「30万」という

そうして現在の所「個室・月15万」だというのだ

それほど高いという事でもなく、一般的な入居価格らしい

「もう少し安いところに引越ししたいのだけど・・」という

 

それを聞いた妻「ふ~ん、私一人分は何とかなるから、あなたは

可哀想だけど、ホームレスね」

お~い、どっからそんな考えになるんだ!!!!🤣


半世紀たっても続いている「同期の付き合い」

2024-02-10 | 日記

初めて社会人になった時、「入社式」には、70人ほどいたと思う

私にとっては、全員初対面だから、小さく映っている記念の集合写真を

見ても、誰一人思い出せない(写真良く残っていたな)

一か月の研修期間を終えて、みんなバラバラになった

その後、専門職グループの私たちは更に半年の研修と現場で実地研修

最初の赴任地は、東北を代表する地方都市・仙台

一緒になったのは、六人(男4人・女2人)

2年いて、男闘呼組はあちこちに転勤、女組はほとんど

移動しなかったらしい

転勤後も、数年に一度は同期会みたいにして、会っていたが

皆さん結婚したりで、疎遠になった

入社から30年ほどして、男一人が退社、以後連絡が取れなくなり

いまだに消息不明

35年目頃、もう一人の男・・、「なんとかガン」で逝去

その二年後、女子一人が「なんとかガン」で逝去

亡くなる一年くらい前に、見舞った

亡くなったとの知らせは、遠くに赴任中だったので、お葬式には

出られなかった

もう一人の女子は、定年退職後音信不通になったという

私とW氏だけは、年賀状のやりとりが続いていたので、辛うじて

繋がっていた

そのW氏から、10年ぶり(?)に電話が来た

「いつ会えるかわからないから、お茶でもしようヨ」と

彼も転勤族、二人で勤務地が同じになったのは、最初の二年

勤務した仙台だけ

その後は、勤務地が一緒になることはなかったが、会議などで

会う事は、数少ないが有った

同時期に退職してからは、彼は「退職会の役員」についた

私は、現職の時とはまったく縁のない「団体」に入った

退職して17年、会ったのは数えるほどしかない

「退職会」とは別に「仙台会」というのがあって、これに

数度顔出したことが有る

彼は、我儘な私と、ずっと付き合ってくれている

今となっては、もっとも古くからの友人である

3月に会う事にした。今から、楽しみでしょうがない

春の慶事一番である