このSさんを私は”唯一の友”と思っており、ブログでも数回投稿しています。私より約2歳年上で93歳の道を歩いて見え、住宅型老人施設に住んでみえます。このSさんとの出会いは、私と同じ町のTさん、現役時代はほとんど交流がなかったですが、私が70代になってから郷土史編纂などで親しくお付き合いするようになりました。そのTさんが病で倒れ身体が不自由になられて、同じ老人施設に入居されました。私が月1回か2回Tさんを訪問するようになると、Tさんの紹介でSさんを紹介されました。その理由ですが、二人とも写真やパソコンが出来て性が合うのではないか?Tさん(1936年生まれ)の思いだったようです。
確かに、最初から意気投合した感じでした。趣味一緒だったこともありますが、若い時代が戦争中に育ったという事、それにSさんは京都府舞鶴が故郷で・・・、息子さんが優秀で名古屋地方で活躍してみえる関係から”親父も一人になって不自由だから・・・”と息子さんの意見をとりいれて、日本海側から太平洋側の異郷の地にみえた訳です。が 要介護か要支援の人が入る老人施設ですから・・・交流がままならづ天蓋孤独だったようです。
老人施設「太郎と花子」へは、5年前から行くようになり、自動車を止めてから3年になりますが、自転車・バス・電車・タクシーを乗り継いて(10K余)月1回訪問するようになりました。勿論Tさんにもお会いしますが、Sさんとは、2時間ぐらいしゃべってきます。発言は半半ぐらい、話題は趣味や身近な問題で会話が途切れることはありません。私が来るのを待って見える感じ・・・私も2歩前を歩いて見えるSさんから学ぶものがあります。
先月2月は、10日日曜日にお邪魔しました。着くと直ぐ1枚の紙を渡されました。
手紙を出そうと思いましたが、先月は9日に来訪して頂きましたので、明日ぐらいお見えになると思いこの文を書く。初めて会って談笑したのが平成27年3月24日でもう47回も談笑したことになります・・・後半は私の転倒ブログを読んでの感想や意見でした。
私は文章を見て、私の来るのをいつも待って見えるんだ。47回にもなるんだ?そしてSさんは、こんなことまで記録して見えるんだ。しかも日記風でなく統計的に・・・若い時からそういう性格で、現在では日常身辺の事でも書きとめる・・・そうSさんはそうゆう人であらためて感心し・・・このブログ投稿も了解してもらいました。
Windows10を使ってみえます。(私はWindows7)書家と云うより書も嗜まれると感じですが、普通の人がメモにとるとか、記憶に留めるような問題を記録にとどめて保存する性格で、それが93歳の今も続いていることは素晴らしい事です。それでいて話は理窟ぽくなく・・・愚痴や自慢はほとんど出ません。
1月と2月に訪問した時に戴い書きもので紹介します。こればかりでなく多岐にわたっています。
1月に戴いた「謹賀新年」と2月にいただいた「祝九十二歳」の書です。
①謹賀新年は、壱代神武天皇から百二十五代平成天皇を列記して構成されています。前年は、1月1日から12月31日の日にちで
で構成されていました。今年は異色な発想・・・若い時は、歴代天皇を暗記した時代でしたから・・・と想像しています。
②祝九十二歳は、壱歳から九二歳を列記して構成されています。
企画から構成そして完成までSさんが一人でやって見えます。説明を受けてある程度私は理解できましたが、私には絶対出来ません。企画構成に日にちが掛かりますが、書きあげるには一日で一気に書き上げるとのことです。こういった書が、私だけではなく周囲の人に書いて差し上げてみえるようです。その数百を超える・・・?一度確認してみます。縁は異なものでいい友を得ました。健康である限り会いに行きます。Sさんの後をついて行くと目標まで到達出来るかもしれません。道は野菜作りの道ですけど・・・。