私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

唯一の友 (Sさんの人柄)

2019年03月10日 | 随想

 このSさんを私は”唯一の友”と思っており、ブログでも数回投稿しています。私より約2歳年上で93歳の道を歩いて見え、住宅型老人施設に住んでみえます。このSさんとの出会いは、私と同じ町のTさん、現役時代はほとんど交流がなかったですが、私が70代になってから郷土史編纂などで親しくお付き合いするようになりました。そのTさんが病で倒れ身体が不自由になられて、同じ老人施設に入居されました。私が月1回か2回Tさんを訪問するようになると、Tさんの紹介でSさんを紹介されました。その理由ですが、二人とも写真やパソコンが出来て性が合うのではないか?Tさん(1936年生まれ)の思いだったようです。

 確かに、最初から意気投合した感じでした。趣味一緒だったこともありますが、若い時代が戦争中に育ったという事、それにSさんは京都府舞鶴が故郷で・・・、息子さんが優秀で名古屋地方で活躍してみえる関係から”親父も一人になって不自由だから・・・”と息子さんの意見をとりいれて、日本海側から太平洋側の異郷の地にみえた訳です。が 要介護か要支援の人が入る老人施設ですから・・・交流がままならづ天蓋孤独だったようです。
 老人施設「太郎と花子」へは、5年前から行くようになり、自動車を止めてから3年になりますが、自転車・バス・電車・タクシーを乗り継いて(10K余)月1回訪問するようになりました。勿論Tさんにもお会いしますが、Sさんとは、2時間ぐらいしゃべってきます。発言は半半ぐらい、話題は趣味や身近な問題で会話が途切れることはありません。私が来るのを待って見える感じ・・・私も2歩前を歩いて見えるSさんから学ぶものがあります。

 先月2月は、10日日曜日にお邪魔しました。着くと直ぐ1枚の紙を渡されました。
 手紙を出そうと思いましたが、先月は9日に来訪して頂きましたので、明日ぐらいお見えになると思いこの文を書く。初めて会って談笑したのが平成27年3月24日でもう47回も談笑したことになります・・・後半は私の転倒ブログを読んでの感想や意見でした。
 私は文章を見て、私の来るのをいつも待って見えるんだ。47回にもなるんだ?そしてSさんは、こんなことまで記録して見えるんだ。しかも日記風でなく統計的に・・・若い時からそういう性格で、現在では日常身辺の事でも書きとめる・・・そうSさんはそうゆう人であらためて感心し・・・このブログ投稿も了解してもらいました。

                             
 Windows10を使ってみえます。(私はWindows7)書家と云うより書も嗜まれると感じですが、普通の人がメモにとるとか、記憶に留めるような問題を記録にとどめて保存する性格で、それが93歳の今も続いていることは素晴らしい事です。それでいて話は理窟ぽくなく・・・愚痴や自慢はほとんど出ません。
 1月と2月に訪問した時に戴い書きもので紹介します。こればかりでなく多岐にわたっています。

                         
                        1月に戴いた「謹賀新年」と2月にいただいた「祝九十二歳」の書です。

          

 ①謹賀新年は、壱代神武天皇から百二十五代平成天皇を列記して構成されています。前年は、1月1日から12月31日の日にちで
   で構成されてい
ました。今年は異色な発想・・・若い時は、歴代天皇を暗記した時代でしたから・・・と想像しています。
 
②祝九十二歳は、壱歳から九二歳を列記して構成されています。
 
 企画から構成そして完成までSさんが一人でやって見えます。説明を受けてある程度私は理解できましたが、私には絶対出来ません。企画構成に日にちが掛かりますが、書きあげるには一日で一気に書き上げるとのことです。こういった書が、私だけではなく周囲の人に書いて差し上げてみえるようです。その数百を超える・・・?一度確認してみます。縁は異なものでいい友を得ました。健康である限り会いに行きます。Sさんの後をついて行くと目標まで到達出来るかもしれません。道は野菜作りの道ですけど・・・。

 


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1 コメント

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随想の返事 (齊藤直一)
2019-03-13 20:41:01
3月10日の随想を読まして頂いて、小生との会話、何時も楽しくして頂いて居る上に、書に対するお褒めの言葉を戴き、光栄です。若いからもの覚えが悪いので、ツイ 忘れない様にと思い、メモしたことが、記録として残ったのみで、途中から項目別に整理をしたのみで、今さら褒めて頂く程でもない様です。話は変わりますが、3月13日の朝7時からの散歩。昨日の天気予報で、大口町地方は朝7時 曇り 9時晴れと出ている、当名古屋地方は弱雨と出ていてもなかなか雨にならない。今朝も7時曇りだが、だんだんと晴れて来ると思い、老人車を押して出発しました。でも東西南北見ても曇り、南方に少し明るみが見えるので、その内晴れるだろうと安易な気持ちで、頸椎軟骨症なので下を向いて、昨日の小雨の雨溜まりを避けながら歩きました。五条川に沿ってスーパーアピタの点前 平和橋まで雨に合わず何とか散歩が出来、良かったと思いながら帰りかけました。7時40分頃、雨が降ると判るようにと思い、業と帽子をカブラズニ歩いていると、五条川からの別れ道辺りで、急に 土砂降りの雨、コリャーシマッタと思ったが、雨宿りする場所が無い、カッパを着用する間もない、如何せん。下を向いている顔を無理して前方を見ると、神の情けか、1メートル程のヒサシ軒先が見える。見つけたと思わず、小躍りして軒下に逃げ込んで入る。サー此処で一休み、と言っても、如何する  ただただ小降りになるのを待つのみ。今日は曇りを甘く見ておったなと後悔するのみ。10分ほど経過したかな、女子中学生が雨合羽を着用し自転車で通った、フト見ると、雨が止んでいるようだ、シメタと思い、休んでいる間に老人車に合羽を掛け、自分も雨合羽を着用しているので、散歩の疲れが吹き飛んで、嬉しいので歩き始めました。何時雨になるかも判らない、一度はアピタで買い物をして、帰ろうと玄関を出た処で大雨になり「太郎と花子」に携帯で電話をして 迎えに来て頂いた経緯があるが、今朝は何処と言う場所が判らないので、電話することが出来ない。晴れるのを待つのみだった。神の恵みで帰ることが出来て良かった。何時もは60分の散歩、今日は70分だった。でも部屋に着いてから、雨の小粒が付いたナイロンの雨合羽、どうして干そうかと、玄関に入る前に 手で合羽の端 湯上げタオルを敷き、カッパを吊るしました、朝食が配膳されているが、雨合羽の処置が大事なので、朝食は二の次 雨合羽の処置をヘルバーさんにお願いしようと思ったが、自分で出来た。92歳の身体、ヤル気はあっても、身体が動かない、今日は老人になったことが ヨクヨク判りました、これかfら雨模様の日には散歩は中止と決めました。以上報告。
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