私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

奈良・興福寺散策

2019年11月14日 | 旅行

 10月後半の2週間は京都の娘の所に退避していた訳ですが、私達はもっぱら部屋の中で過ごすことが多く・・・、私が外の庭の手入れで4日ほど(2~3時間の作業)をした程度でした。二人とも90代に入っている訳で転ばない・風邪を引かないが最優先の生活でした。
 帰る1日前の30日、娘達の休日と好天気に恵まれて・・・奈良興福寺の参拝に連れて行ってもらいました。「要支援2」の女房が行ってみたいという気持ちもあって実現した訳ですが、結果は広い境内を歩くと足が痛くて駄目という事で・・・娘たちはもう来たことがあるという事で・・・おおかた腰を下ろしては休む状態で、私一人が散策してくるという結果になってしまいました。

 実は興福寺は、数年前「仏像阿修羅」が話題になっていた時期で・・・私一人で来ています。その時参詣者多かった事と、広い境内の中に寺院が点在するという印象で・・・確か投稿しています。中金堂も仮堂で近く再建されることをそのとき知り、そして中金堂は2018年10月再建落慶したことをテレビでしりました。一度来たかった訳です。

 興福寺は、飛鳥時代和銅3年(710)創建とさる藤原家所縁の古い寺と云えます。創建以来、度々火災に見舞われ、その都度再建を繰り返してきました。2018年に再建された中金堂は兵火や落雷により七度焼失しています。中でも治承4年(1180年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた平重衡南都焼討による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失しました。 現存の興福寺の建物は全てこの火災以後のものです。
 江戸時代享保2年(1717年)の火災の時は、時代背景の変化もあって大規模な復興はなされず、この時に焼けた西金堂、講堂南大門などはいまだ再建されていません。慶応4年(1868年)に出された神仏分離令は、興福寺も廃仏毀釈を引き起こし、一時は廃寺同然となり境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった歴史があるようです。

 おそらく京都・奈良の社寺の散策もこれが最後になるとの想いで写真を撮ってきました。数年前の事をおもうとアジア系でない外国の人が多く、しかも家族で・・・が目に留まりました。 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 


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3 コメント

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Unknown (fuyu325)
2019-11-29 23:09:35
急に寒くなりましたね。
いかがお過ごしでしょうか(^^)
冬野菜のお世話でお忙しいかなと
思っています。
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ありがとうございました! (fuyu325)
2019-12-01 12:54:52
コメント嬉しかったです(^^)
また冬野菜の写真と、色付いたみかんの写真
も見せて欲しいです(#^.^#)
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Unknown (omachi)
2020-02-11 23:28:51
あなたの知らない日本史をどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
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