9月1日女房が「足が痛くて歩けない」と訴えてから、2ケ月になろうとしています。その間8回ほど、診察やレントゲン検査で病院へ通いました。が、足の痛みは、薬で和らげている程度で、本人も「手術をしてでも・・・」と、途中から言い始めました。
その由をお医者さんに話をして、「それでは、手術に耐えうる身体かどうか調べましょう・・・」という事になりました。
その結果が、10月23日の診察の日に言い渡されました。「身体の内臓のほうは問題ありません。ただ脊椎の一部が骨折しており、手術が危険と思われます」(MRIの写真を見せて・・・)「自分で出来る皮下注射で、先ず骨を丈夫にしてからにしましょう・・・」 「その期間は、2ヵ月から3ヵ月掛かります。本人は辛いでしょうけれど、辛抱してください・・・」でした。
本人、息子を含めて了承、、11月6日の診察を予約してきました。
かかっているのは、病床数は678床。血液病センター(46床)、循環器病センター(50床)、こども医療センター(63床)の三つの高機能センターと、救命救急病棟(30床)を有する、尾張北部の拠点病院です。
初め2回ほど私だけでしたが、嫁、息子達の送迎を含めた付き添をしてくれるようになって助かっています。その分私に余裕があって”目配り?” ”観察?”出来るようになり、特に老後の”病院世情”を感じるようになりました。
先ず感ずることは、地域の拠点病院だけに必ず知った人に会うという事です。そのすべての人が、私のような付き添い人でなく、本人がお医者さんにかかつてみえる人だと云うことで、しかも皆さん私よりも数年から十年以上年下の人でした。お会いするのも、数年から20~30年ぶりの人達が居て、病院が久しぶりの出会いの場になった状態で内心苦笑した次第です。特に複数の人が「娘が迎えにきてくれるのを待っている」と言われて・・・お互いに歳を重ねた年齢を自覚しました。自分が元気でいることが”ありがたい”と思っています。
上記は、病院の一般的な待合室かホールでの出会いですが、整形外科診察室前の出会いでこんなことがありました。診察室が5部屋あって待ち人(患者と付き添い人)が4~50人と云った感じですが、何時も皆さん無口で静かと云った印象です。この日は偶然ですが、車椅子を押した女性の横に座ることになりました。
しばらく静寂が続いて思い切って声をかけました。すると気軽に返事を頂き、途中から車椅子のご主人も話に加わって・・・長い時間ではないですが(10分余)話が弾みました、小さな声で・・・。
● お父さんが、一ヶ月前ですが足が痛くって歩けなくなりました。
● 今のところ、原因が解らなくて今日もこれから検査があります。
● 今は、痛み止めを使っていますと・・・笑顔、見た目は元気そう・・・。
● 年金を貰える歳になって(65歳?)、こんなことになつて・・・、私も(奥さん)足腰が悪いんですよ!。
● 聞くと、「お酒が好きなんです」でした。
勿論女房の容態もはなしましたが、要約するとこんな状態で、若いのに大変・・・の思いを持ちました。
今一つは、MRIの廊下での待ち時間の時でした。数メートル先をベットに横たわった人がほんの1~2秒通り過ぎました。「あー〇〇さん!」 すぐ立ち上がって行ってみると、本人はすでにMRI室へ、奥さんが僅かに遅れてみえました。(私の娘と同年代で1年ほど前から親しく話をするようになった)廊下で腰を下ろして話を聞きました。
● 朝畑仕事をして、汗をかいたのでシャワーを浴びて出てきたら、突然記憶喪失?のような状態になった。
● 相談をして、「病院で見てもらった方が良い」と云う事になって救急車で来たと・・・。
● 診察の結果、MRIで調べる事になった。
● 「年金を貰える歳になって・・・」と奥さん・・・、とすると私よりも約20歳下・・・。
● 聞くと、娘が心配するほどお酒が好きなようです。
全く偶然ですが、二つの事例に出会う事になりました。今の医学では、必ず原因を突き止めて回復されると思いますが、以後摂生に努めて自立できる老後を送っていただきたいと願っています。余生は、まだ20年ありますよ!!
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