散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

「麒麟がくる」 明智光秀の死をもって戦国が終わるという考え方

2018年11月02日 | ドラマ
戦国時代のはじまりについて諸説があります。応仁の乱と言ってしまえば簡単ですが、そうなりません。諸説があるのです。

では「戦国時代の終わり」はいつでしょうか。いくつか説があり「信長が足利義昭を京から追放した1573年。」「足利義昭が秀吉の保護下になり最終的に将軍職を辞した1588年」「大坂城落城の1615年」などです。

では、こんな考え方はどうでしょうか。

「光秀の死とともに、ひとつの時代が終わる。戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代、一介の油商人山崎屋庄九朗が、美濃一国の主、斉藤道三となりえた時代、
尾張のうつけと呼ばれた悪童が、天下の権を握りえた時代、人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代は、ここに終わりをつげる。」

大河ドラマ「国盗り物語」の考え方です。小説の方にはこんな叙述はありません。大河ドラマ「国盗り物語」は「光秀の死をもって戦国時代は終わる」という発想を持って作られました。
つまりは「下克上の時代の終わり」ですね。「下剋上の終わり」とする考え方は同意ができます。

むろん異論はいくつでも出せます。秀吉の天下取りだって下剋上じゃないか、とか。

ただ秀吉の場合は、下剋上の相手がいません。織田信長も信忠も死んでいます。あえて言うなら清須会議で決まった三法師でしょうが、有名な三法師君はその後、豊臣政権下で織田秀信となり、岐阜中納言として他の大名とは別格の扱いを受けます。ただし関が原で西軍だった為に没落。織田秀信自身、秀吉が自分の天下を奪ったとは考えていなかったと思います。

なるほど秀吉は織田家を追い抜きました。しかし織田信孝以外に主だった織田家の人間を殺したりしません。織田信雄も生きのこりますし、織田有楽も生き残ります。市は織田家出身ですが柴田家の人間です。それに市が降伏すれば秀吉は喜んで許したでしょう。

それと、織田家の天下を奪ったというのもおかしな話で、本能寺の時点では織田家は天下をとってはいません。だから、下剋上のイメージが薄いのです。

では徳川の天下簒奪は?徳川は確かに豊臣に臣従しましたが、家格はもともと徳川が上です。徳川も氏素性は頼りないものですが、それでも秀吉よりは上です。

油売りとされた斎藤道三(最近は親子国盗り説が流行しています)が美濃を奪う。

尾張のたわけが「天下をめざす」

つまり「人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代」、それを戦国時代とするなら、光秀の死をもって戦国が終わるという考え方も、成り立つと思います。

「麒麟がくる」はおそらく「光秀の死を持って戦国が終わる。秀吉、徳川の時代は秩序を作る時代であり、もはや近世となっている」という思考で作られるのでしょう。明らかに「国盗り物語」がこの作品の土台となっています。設定がそっくりです。ただし「最近のつまらない学説に従う」そうなので、信長も道三も「かなりつまらない人間」として描かれることでしょう。おそらく、信長が従来の光秀のような人物になり、光秀が従来の信長のような革新的人物になる。つまり「キャラが入れ替わる」と思います。

さて、

「仁政をなす王の前に現れる聖獣である麒麟」が明智光秀の前に現れるというのは、単純に考えるならおかしな話です。王でもないし、自分の領地以外では仁政もしていません。

しかし、よく考えるなら、本能寺の変がなければ、あの秀吉による素早い天下統一はなかったし、秀吉の天下統一がなければ、徳川の平和も来なかったと考えられます。

信長があのまま「敵対勢力殲滅作戦」を続けていたら、あと15年はかかったでしょう。しかも天下統一後も各地で「反乱」も続く。つまり「南北朝時代」のような「悲惨な時代」が到来したとも考えられるのです。

「結果的に」という前提なら、明智光秀は戦国を終わらせ、秩序をもたらした。彼の前に「麒麟」があらわれても、そう考えるなら「理解はできる」発想です。

ただし、ドラマ「明智光秀、神に愛されなかった男」のように、光秀が「自分が討たれ、討った人間によって平和がくる」と「計画して行動」した。そんな設定をされてしまうとしたら「いくらなんでもトンデモでしょ」と苦笑するしかありません。

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」キャスト一覧・正確には「麒麟がくる」キャスト予想

2018年11月01日 | ドラマ

最後に「お知らせ」があります。光秀と信長を「盟友」としているのは、NHKがそう設定すると公表しているからです。
加筆版もあります→ここ

主人公 明智光秀関連

明智光秀・・・長谷川博己(早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)1528年生誕
明智煕子(あけちひろこ、光秀の妻)・・・吉岡里帆
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
明智牧子(史実では名前不詳、光秀の祖母・京都公家出身、教養が深い)・・・松坂慶子
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
明智光安(美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・大泉洋
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室)・・・広瀬アリス
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・東出昌大
齋藤利三(光秀腹心の部下、春日局の父)・・・佐々木蔵之介
細川藤孝(細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・星野源
上泉信綱(柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南する、13代将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー

齋藤道三関連

齋藤道三(斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・阿部寛
長井(斎藤)新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐頼芸の家臣となる)・・・遠藤憲一
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の祖母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・麻生久美子
小見の方(おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ10歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・松坂桃李
齋藤義龍(道三の子、実は土岐頼芸の子、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・城田優
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
猪子兵助(いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
土岐頼芸(ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・小日向文世
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

織田信長(初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・山田孝之 1534年生誕
☆信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
織田信秀(信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・渡辺謙
織田信定(清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
濃姫(斎藤帰蝶、信長正室、道三の娘、母は小見の方、叔母である山崎屋いろはと連携し、信長の京都制圧を補佐する、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・新垣結衣
お市(信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
土田御前(信長の母、信長の才能を実は見抜いていた、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・水野美紀
織田信忠(信長の嫡子、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、1547年生誕、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉、1537年生誕)・・・中村七之助
木下寧々(秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・斎藤工
前田まつ(前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(信長小姓、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明

戦国武将・その他
武田信玄(甲斐の戦国大名)・・・中井貴一
上杉謙信(越後の戦国大名)・・・野村萬斎
今川義元(駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・ムロツヨシ
浅井長政(北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・向井理
朝倉義景(あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・ユースケ・サンタマリア
本願寺顕如(一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・市川猿之助
荒木村重(信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・キングコング 西野亮廣
ルイスフロイス(1532年生誕、ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
松永久秀(畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。将軍義輝暗殺には関与していない)・・・稲垣吾郎
足利義輝(足利幕府13代将軍、幕府権力と権威の復活を目指した、のち三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、死の間際まで戦い多くの寄せ手を切り殺した)・・・中村獅童
足利義昭(足利幕府15代、最後の将軍、信長によって将軍に擁立される。のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・妻夫木聡
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
徳川家康(三河遠江の戦国大名)・・・高橋一生

最後にお知らせ

言うまでもなく「予想キャスト」です。見直すとイケメンと美女ばかりです。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。


NHKは大河ドラマで足利義満を主役にする計画を持っているのだろうか。

2018年10月31日 | ドラマ
足利義満をTVドラマで演じた俳優はネットで調べる限り一人です。一休さんの東山紀之さん。ドラマではなく歴史番組の再現シーンで「誰も知らない役者さんが演じている場面」は除きます。

「ヒストリア」で足利義満を妙に「持ち上げて」いました。もしかすると大河の主役にする計画があるのかな、とふと感じました。

義満は皇位簒奪を目指していたと言われます。皇位とは天皇位ではなく「治天の君という立場」です。室町時代ですから「天皇号の簒奪」はありえません。天皇号は使われていないからです。平安から江戸にかけて900年ぐらい、天皇号は使用されていませんでした。

「そんなことはない、皇位簒奪なぞ考えていなかった」と「ヒストリア」に出てきた学者さん、呉座さん(著書、応仁の乱が意外に売れている)、は言っていました。

国王を名乗ったのは貿易における便宜的使用。国内に向けてはそのことを吹聴していない。息子を皇太子にしようとはしていない。親王待遇にしただけである。

という説だったと思います。

足利義満は、大河ドラマはおろか歴史TVドラマ(一休さんは除く)においても「一回も登場したことすらない」のです。金閣寺を作ったし、教科書にも重要人物として載っているにもかかわらず。

大河ドラマは皇族を主人公にしません。藤原氏等の「生粋の公家」も主人公にしません。平安時代をほとんど扱いません。室町時代もほとんど扱いません。

室町初期では大河「太平記」、足利尊氏が主人公。後醍醐天皇が副主人公格です。画期的な作品とも言えます。あと「花の乱」では日野富子が主人公。さらに画期的で純粋に室町時代を扱いました。いい作品です。室町時代を扱うと視聴率がとれないという説の根拠はこの「花の乱」14%という数字だけです。1作品のみが根拠です。しかもこれは「実にいい作品」です。「鎌倉から南北朝時代」を扱った「足利尊氏もの」、つまり「太平記」は26%と高い視聴率を誇っています。

平安時代は「風と雲と虹と」が平将門。「炎立つ」では奥州藤原家。大河が平安時代を扱ったのはこの2作品、それと「源義経」「新平家物語」「義経」「草燃える」「平清盛」を加えて計7作品です。しかし「義経もの」「草燃える」は「鎌倉時代が主」、「清盛もの2作品」も「炎立つ」も平安最末期。純粋に平安時代を扱ったのは「風と雲と虹と」だけといえましょう。

ということで「源平時代を除く平安時代は扱わない」「室町時代も基本扱わない」(戦国時代は扱う)が大河の「やり方」です。

まあ足利義満大河主人公の実現は遠いかも知れません。皇位への「そんたく」もありますが、「義満以外の登場人物が全く知らない人物となる」こともそう考える要因です。「花の乱」もそうでした。富子、義政、山名宗全、細川勝元、一休宗純ぐらいが「有名人」であったにすぎず、そのせいもあって「いい作品」なのに14%です。

そもそも「足利義満は、一休さんで1回しかTVドラマに登場したことがない。当然主人公になったこともない。」「大河では1秒も登場したことがない」わけで「ご存知の名シーン」も全く存在しません。「太平記」の最終回に「やがて三代義満で南北朝が統一された」とナレーションが流れます。「よしみつ」という名が登場したのもおそらくこの1回だけです。とにかく「意地でも登場させない」がTV界の「やり方」みたいです。

足利尊氏、義詮、義満の「足利三代」を描けば、当然鎌倉幕府の滅亡、南北朝分裂、その統一、国王問題、皇位簒奪説の真偽も扱われるわけです。これほど勉強になる作品はないと思えるだけに残念です。

なお「ドラマはフィクションだから勉強にならない」は少し違うと思います。「ドラマを見て、史実との違いを調べる」「調べなくても誰かが調べてネットに書く」から、当然「勉強になる」のです。



「花神」ファンからみた「西郷どん」と大村益次郎

2018年10月31日 | ドラマ
小説「花神」の主人公は村田蔵六(大村益次郎)です。大河ドラマでは村田蔵六(大村益次郎)、吉田松陰、高杉晋作です。

「一人の男がいる。歴史が彼を必要とした時、忽然として現われ、その使命が終ると、大急ぎで去った。もし維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる事であった。中国では花咲爺いの事を花神という。彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六。後の大村益次郎である」

実におかしな話ですが、この一文をみただけでなんだか「時々泣きそうに」なります。それほど「花神」における村田蔵六(大村益次郎)は魅力的な男です。

そういう村田ファンから「西郷どん」の村田蔵六(大村益次郎)の描き方をみてみます。

「いやいや違うだろ。違い過ぎるだろ。」という点がいくつもあります。「違う」というのは「史実と違う」ではありません。

あくまで「私のイメージとは違う」ということです。「史実はこうなんだ」という解説ではありません。

以下いくつか並べてみます。

1、北越戦争に参加しろなんて村田蔵六(大村益次郎)は西郷に言ってはいない。

むしろ「行く必要はない」と言ったのです。そのことが後に村田の命を奪う結果となります。薩摩の海江田のはなった刺客によって暗殺されるのです。
薩摩は村田が戊辰戦争の総司令官として忽然とあらわれたことに憤慨していました。
しかし西郷に「近代戦争の知識」なんてありません。西郷は近代戦の戦略にも戦術にも「うとい」人でした。ただ「人望」は大きく、また「現場指揮官」ぐらいの能力はありました。
西郷は村田の出現によって「自分の歴史的使命は終わった」ことを悟ります。たぶん「北越戦争で死のう」と思ったのです。もともと斉彬の死に際し殉死を考え、その後実際に自殺も図った人間です。

村田はそれを止めました。「アンタが新潟につく頃には戦争は終わっている」という理由でした。実際ほぼ終わっていました。西郷は戊辰戦争を転戦し、歴史的役割を終え、薩摩に引きこもります。
ただ実際には「歴史的使命」は終わってはいませんでした。廃藩置県もそうですが、最後の大仕事、「西南戦争で薩摩武士とともに死に、武士の時代を完全に終わらせる」という使命は残っていました。

戦略において無能な西郷から軍権を奪うことは村田の立場であり、基本的には対立的関係でした。「北越戦争は勝てそうにないから、ぜひ西郷さんに薩摩兵をひきいて参加してほしい」、そんなこと言うわけありません。
もっとも「江戸から西郷を追い出す」という戦略に立ったなら、あるいはその意味で「言った」可能性は残ります。

2、上野戦争の黒門攻撃の指令をなぜ描かない。

これは「翔ぶが如く」の描き方から得た「イメージ」です。
上野戦争において薩摩は最も過酷な黒門の正面攻撃を命令されます。西郷は言います。「大村さーは薩摩人を皆殺しにするつもりか」

村田は平然と答えます。「花神」では「然り」とのみ答えたことになっています。ドラマでは違います。「長州は強いが、薩摩はさらに強い。もっとも強い兵に主戦場に出ていただきたい」

西郷は答えます。「わかりもした。光栄のかぎりでごわす。この西郷も前線に立ち、そこで死にもんそ(死にましょう)」

実にいいシーンです。なぜ「描かない」のか。1分で描けるシーンなのだから入れてほしかったと思います。

にもかかわらず「西郷どん」における西郷は、上野戦争の1分ぐらいのシーンにおいて、相変わらずのアホみたいな平和主義者であり、(平和主義は現代においては最も大切ですが、これは歴史ドラマのシーンですから現代の価値観に寄り添う必要はないのです)、「いつまでこの戦争が続くのだ」とか嘆いています。数話前までは「いくさの鬼」だったはずなのに、しらっとまた平和主義者に戻っています。「平和主義者だがそれを抑えて、泣く泣く戦の鬼になっていたのだ」ということでしょうが、それすら深く描いていないので、ご都合でキャラが変わっているとしか見えません。「大河ドラマにおける、つまり歴史ドラマにおける、特に意味もない平和主義の強調」は一体誰に対するアピールなのか。女性なのか、諸外国なのか。「歴史ドラマが現代的価値観に寄り添う必要はない」というのは小学生にも分かる道理だし、小学生だって「ドラマと現実の区別ぐらいつく」と思います。


3、これは描かなくて当然だが、村田は薩摩をこう見ていた。

維新が終わったが、やがて九州から足利尊氏がごときものが出てくる。東北は心配ない。九州に備えよ。足利尊氏は人望があった。西郷さんにも人望がありますな。

村田はそうみていました。ほどなく暗殺されますが、弟子の山田(日大の創設者)に、九州に備えて関西の兵器庫に銃を補強するよう指示して死にます。実際西南戦争ではその武器が使われました。

またこうも村田は考えていました。

長州は対外国戦争、対幕府戦争、倒幕戦争、戊辰戦争を経験した。それにより長州の持つ「エネルギー」はすでに枯れ果て、今は平安を望んでいる。
しかし薩摩は倒幕段階から戦争に参加した。しかも戊辰戦争が比較的短い期間で終了した。薩摩のエネルギーはまだまだ枯れはててなどいない。集団のもつ巨大なエネルギーはやがて行き場を失い、新政府に向かってそのエネルギーを向けざる得なくなるだろう。

「3」は蛇足ですが、村田は薩摩を警戒していました。ドラマ「西郷どん」のこぶ平ちゃんのような人物とは「全く違う」と私は思っています。





沢田研二とジュリー  誰のコンサートなら1万円を払うか 問わず語り

2018年10月31日 | ドラマ
沢田研二のコンサートは8千円のようです。それで7000名も集まる。「岩盤層的ファン」ですね。70歳。驚きです。彼がジュリーなのは当然覚えてますが、俳優の岸部一徳はリーダーで「サリー」だったようです。「サリーかよ!」ってつっこみを入れたくなります。

私が誰のコンサートなら「1万円を払うのか」

そんなことに興味を持っている方は、世界の75憶人のホモサピエンスのなかで「2名いるかいないか」だと思います。だから「問わず語り」と書きました。

高校ぐらいまでは、吉田拓郎、井上陽水、ユーミンを聴いていた。さだまさしは軟弱と思っていたが嫌いではなかった。そこに彗星のごとくサザンが現れた。さらに久保田早紀さん。松原みきさん。渡辺真知子さんが現れた。

そんな世代です。実際にはコンサートにいく習性は全くありません。

拓郎が初期のアルバム(明日に向かって走れ、までのアルバム)の歌だけ歌ってくれるなら、ギリで1万円は払います。

陽水さんの1980年までのアルバムの歌なら、やはり1万円は払います。

ユーミンが「ひこうき雲」から「オリーブ」ぐらいまでの曲を歌ってくれるなら2万は払います。

小田和正さんがオフコースの歌だけ歌ってくれるなら、やはり2万は払います。

松原みきさんは故人です。だからお金の話はしません。

久保田早紀さん、つまり久米小百合さんが「夢がたり」「天界」「サウダーデ」の歌を歌ってくれるなら3万は払います。メイクはなるべく久保田早紀風にしてほしいとは思います。

サザンのコンサートには行きません。80年代までの歌なら3万でも4万でも払いますが、「行きません」。「心が躍動しすぎて倒れる危険」があるからです。

最近の、僕にとって「最近の歌手」なら、中島美嘉さんに5千円。鬼束ちひろさんが初期の歌を歌ってくれるなら6千円は払います。

番外編としてサブちゃんが「まつり」「北の漁場」、細川たかしが「望郷じょんがら」、吉幾三が「雪国」「オラ東京さ行くだ」、新沼謙治が「津軽恋女」、石川さゆりが「天城越え」を歌う「合同コンサート」なら千五百円までは払います。

アイドルのコンサートには行きません。松田聖子に3千円とか思ってますが、「熱烈的岩盤層ファン」に殺されそうな気がします。実際は1万ちょっとみたいです。

ちなみに日本で「今も歌っている一番古いアイドル女性歌手」をご存知でしょうか。「女性アイドル歌手限定」です。天地真理さんは現役ではないので除外。小柳ルミ子さんはアイドル扱いではなかったので除外。南沙織さんは現役ではないので除外。

とするならアグネス・チャンさんと麻丘めぐみさんです。麻丘めぐみさんはたぶん歌ってはいないので、つまり正解は1972年デビューの「アグネス・チャン」さんということになります。ヒット曲沢山ありますが、今は歌われていないようです。「ひなげしの花」だけではないのです。「草原の輝き」「ポケットいっぱいの秘密」「星に願いを」など色々あるのです。「草原の輝き」以外は「最初にサビが来る」ことが特徴でした。小学生の私は彼女のファンで、部屋に写真を沢山貼っていました。今も現役であることを考えると、われながら先見の明?があった気もします(笑)

その次の年ぐらいに浅田美代子さん、山口百恵さん、桜田淳子さん、キャンデーズがデビューします。キャンディーズは当初は売れませんでした。「8時だよ全員集合」で体操コントをしたりしていました。

さらにちなみに日本最初の「女性アイドル」は誰か。岡崎友紀さんか天地真理さんかが微妙ですが、アイドルとしての「強烈な爆発力」を考えると天地真理さんです。岡崎友紀さんは歌より女優として活躍しました。「アイドル歌手」ではなかったと思います。天地真理さんは1週間通してTVに出ない日はなかったですし、冠番組も沢山持ってました。強烈な爆発力でした。吉田拓郎最大のヒット曲「旅の宿」が天地真理さんの曲にはばまれて、なかなかオリコン1位になれず、悔しい思いをしたので「天地真理さんの凄さ」はよく覚えています。

男性だと初代ジャニーズのデビューは1962年のようです。そしてザタイガース、つまりジュリーのデビューは1966年です。

誰も興味をもたない話をかいて申し訳ありません。

2020年の大河ドラマは「麒麟がくる」またの名を「国盗り物語」 明智光秀が主人公 キャストの予想を少しだけ

2018年10月30日 | ドラマ
2020年の大河ドラマは明智光秀を主人公に据えた「麒麟がくる」です。一応「オリジナル脚本」ということになっています。

分かっているのは「明智光秀を斎藤道三の家臣」という設定にすること。ただし斎藤道三は「二代で国盗りをした」とすること。

織田信長を明智光秀の「盟友」とすること。つまり「光秀はそもそも信長と同格意識を持っていた」とすること。

ぐらいですが、、、、

おそらく「光秀と信長は道三の弟子という共通点を持つ」と設定すると思います。同じ弟子なので「同格」「盟友」となるのだと思います。(ここらからは予想です)

とするなら、つまりは「国盗り物語」の「新解釈を加えたリメイク版」という形になるはずです。昔の大河に変更を加えて描く、それはとてもいいことだし、それしか「大河ドラマが生き残る道」はないように思います。

「西郷どん」も主題は「翔ぶが如く」と同じでしたが、原作者(脚本家)の力量の差があまりにありすぎて、「西郷どん」はみるも無残な作品となりました。オリジナルの形をとって「翔ぶが如く」に現代アレンジを加えて描けば、あんな駄作にはならなかったでしょう。

さて「麒麟がくる」ですが、「国盗り物語」のリメイク版だと予想する理由。それは「そもそも光秀を主人公にした名著は国盗り物語しかなく」、しかも今分かっている「ほんの少しの情報」をみただけでも「設定がそっくり」だからです。ただし「最近の学説を採用する」そうなので、かなりつまらない信長、道三が登場するような嫌な予感もします。

私が光秀を知ったのは小学校6年で読んだ「国盗り物語」で、「実にかっこいい男」なのです。だからその後の光秀の扱いにはいつも不満でした。そして私の中で光秀といえば若き日の近藤正臣さん。その妻、妻木煕子、かつての大河では「お槙」なんですが、妻は中野良子さんです。若い日の二人の姿を想像してみてください。そりゃかっこいい。そして美しいのです。

さて、話を設定に戻すと「光秀を斎藤道三の家臣、弟子」とする点も同じです。史実としては「不明」が正解です。

「斎藤道三が願った見果てぬ夢、天下統一。それを託した二人の弟子が光秀と信長」、これが「国盗り物語」のモチーフです。「麒麟がくる」はたぶんそんな作品となるのでしょう。

「国盗り物語では光秀と信長は盟友ではない」、と批判されれば、それは正解です。

が、「国盗り物語」においては「光秀はそもそも義昭を立てて天下を望んだ男であり、信長とは最後まで同格意識を持っていた」もまた正解です。

いろいろ「新解釈」も登場するのでしょう。

・斎藤道三は二代で美濃をとった。
・濃姫と信長は理想的な夫婦とは言えなかった。
・信長はみずからを「神」としようとした。

などが想像できます。まあ濃姫との関係とか「神としての信長」なんてのは「新解釈でもないでもない」ですが、現代ではそう描くことが主流となっています。

とするなら「それを超える新解釈」もでてくるでしょう。信長と光秀を「盟友とする」というのはそれだけですでに「新解釈」です。

が、どんな新解釈が加えられようと、土台となるのは「国盗り物語」である、と私はそう予想します。「国盗り物語」への「反発」を脚本家が表現するだろうな、という予感も含めて「土台になる」と私は言いたいわけです。

ただ、気がかりなのは「新しい学説にしたがう」との方針。

つまり
・信長を、保守的、中世的な人物として描く。経済面での手腕も強調する。
・道三についても、最近の「つまらない学説」に従う。

ということで、相当「つまらない人物」として描かれると思います。光秀についてはその逆で、特に学説もないので、「革新的」な人物として描くのでしょう。
信長と光秀のキャラが入れ替わるという描き方をする予感がします。

それにしても気になるのは「麒麟がくる」という題名です。「仁政を行う王の前に現るという伝説上の生物、それが麒麟」です。

(日本に王などいない。中国の冊封体制に組み込まれていないからだ。天皇ならいる、なんてくだらん批判をする人が出てくることが今から多少予想できます。天皇を王と呼ぶのは普通の話です。王朝文学という言葉があります。日本に関して王朝交代説という用語もあります)

麒麟は史実としては光秀の前には現れません。すると後半が「トンデモ」になる予想が発生します。

「麒麟は一体誰の前に現れるのか」とか言われても「そりゃたぶん徳川家康もしくは徳川家の誰かなんでしょ」ということになるでしょう。家康は仁政など行っているとは思いませんが、「王」となるのは家康だからです。家康か家康近い誰かの前に麒麟は現れると予想するのが通常の思考法だと思います。史実としては江戸幕府が「多少なりとも民衆のことを考え出した」=仁政を意識したのは「寛永の大飢饉の後」と言われています。すると徳川家光ということになりますが、ドラマはそうはならないでしょう。「徳川家光、実は光秀の隠し子」とすれば可能ですが、そんな説は歴史上存在したことはありません。

ここで話をずらして、史実として「麒麟は誰の前に現れたのか」をちょっと考えてみますと、「そりゃ保科正之の前でしょ」と私は考えます。二代秀忠の隠し子で家光の弟です。家光の子、4代徳川家綱を補佐し、実質的には大老格でした。江戸初期の最高の名君と言われています。会津藩の祖でもあります。

話を戻して。

麒麟は家康か家康に近い人物の前に現れるとしか考えようがない。でも元和偃武(大阪落城、幕府体制の成立)の「はるか以前」に明智光秀は「おぐるすの里」で「名もなき民」の竹槍によって死んでいます。本能寺の変のよりわずか10日ばかり後です。

元和偃武は1615年。本能寺の変は1582年です。

この30年間、主人公の光秀を「生きていた」とする「トンデモ設定」が出てくるという「いやな予感」がよぎります。

しかも都合のいいことに、いや悪いことに「天海」つまり江戸幕府を仁政関係でささえた謎の僧、「南光坊天海は実は明智光秀だった」という「怪しげ過ぎる伝説」が存在します。

麒麟は光秀の前に現れた。とするなら「天海は光秀だった」という嘘くさいにもほどがある伝説に乗っかることにより、そういうストーリーをくむことは一応はできます。でも「それだけはやめてほしい」と願うばかりです。だって「麒麟がくる」は「大河ドラマの原点回帰」と謳っているのです。なるほどはるか昔の大河ドラマ、特に山岡荘八ものなどは「家康も柳生宗矩も、とにかく江戸幕府創設者たちは誰でも彼でも聖人君子」というトンデモ設定がなされはいました。でも天海=光秀説に「乗っかる」ような、そこまでのトンデモは流石にありません。それだけは勘弁してほしいのですが、麒麟が光秀の前に現れるためには、そんな無理をするよりほかがありません。まあ、そこまではしないでしょうし、しないことを祈るしかありません。

では、どうやって「麒麟」が「光秀の前に現れる」ストーリーを組み立てるのか。脚本の池端俊策さんは比較的堅実な作品を書く人ですが、どんな裏技を使うのでしょうか。

かつて「天地人」という大河ドラマがありました。「天地人を備えた武将」は結局作品に登場しませんでした。直江兼続は「天地人」など備えていませんでしたし、他の武将もそうです。そんな作品もあったので、結局誰の前にも現れない、のかも知れません。

ところで、題名を「ネットで調べないと分からない難しいものとした」点を私は「高く評価」します。「麒麟」の意味を多くの人が調べるでしょう。あるいは「仁政」という言葉も検索されるかも知れません。難しい題名にした。これはいいことです。体験的に言えば、小学生時代、大河には「わからない言葉」が沢山でてきました。わからないから見ないのでなく、分からないから「分かろう」として、調べたり、親に意味を聞いたりしました。そうした体験があって、私には「難しい言葉があったほうがいい」と思えてならないのです。

最後に少しだけキャストの予想を述べます。当たるはずないけど。

信長、家康、秀吉は「予想できない」。若い俳優さんが分からない。まあ信長は綾野剛さんかな。あの暗い目と少し狂気じみた感じが必要だ。秀吉は松坂桃李さんかな。家康は、若い俳優ではないけど「若い時から老成していた」ことにして高橋一生さん。斎藤道三は、準主役なわけで、阿部寛さん。道三の父、長井新左衛門尉を市川海老蔵さん。かつて平幹二朗さんが道三を演じましたが、若き日の平幹次郎さんは相当な「ハンサム」です。「まむしみたいな道三」は必要ないと考えます。

光秀の妻は新鮮味を重視して吉岡里帆さん。この人髪を売って光秀を助けます。織田信秀は椎名桔平さん。

濃姫は新垣結衣さん。「本当に美しい濃姫」が見てみたい。ちなみに歴代最強の濃姫は「19歳の痩せていた松坂慶子さんが演じた濃姫」。ひっくり返るぐらい美しい。なにしろご本人が昔のビデオを見て、自分なのに「綺麗ねー」と言ったほどです。あまりに綺麗で、自分であることを忘れてしまったみたいです。

お市も「本当の美人」が欲しいところ。で、栗山千明さん。ガラシャは夏帆さん。足利義昭は「くせが強い人」だから堺雅人さん。生駒吉乃は満島ひかりさん。細川幽斎は若い人なんだろうな、すると岡田将生さん。

「若い信長と光秀に何か光るものを見出し、何故か助ける謎めいた美濃の油屋、どうやら武士らしい男」にオダギリジョーさん。道三の側室、深芳野に麻生久美子さん。小見の方に広末涼子さん。道三の京都の妻には井川遥さん。

「光秀は早くに両親を亡くし、祖父と祖母に育てられた」と設定し、光秀の祖父に近藤正臣さん、祖母に松坂慶子さん。これは古い大河ファンにとってはかなり嬉しいキャストです。
「京都の油屋、松波屋の女主人で、実は道三の妹、信長と光秀に対して恐れも抱かず穏やかに、でも堂々ともの申す、いわば京都における信長、光秀の指南役」に常盤貴子さん。

たぶん加筆しますが、今はそんなところです。

天下騒乱その1  原作者池宮彰一郎氏と司馬遼太郎さん

2018年10月30日 | ドラマ
テレビ東京の「再放送」で「天下騒乱 徳川三代の陰謀」が放映されています。古典的ないい作品です。少なくとも古い人間にとってはそうです。

原作者は池宮彰一郎さんの「天下騒乱 鍵谷の辻」のようです。

そういえばこの作品(TVの方)、後半はやたらと鍵谷の辻に時間が割かれて「面白くなくなり」ます。前半はおもしろいのですが。

さて原作者の池宮彰一郎氏。なにかと司馬遼太郎さんの作品との「かぶり」が指摘され、盗作とまで言われてしまったようです。

私は「島津奔る」しか読んだことがありませんが、司馬さんの「関ケ原」と「かぶっている」とは「ほとんど感じません」でした。

細かく調べれば、文章の酷似とかがあるのかも知れません。ただ司馬さんの作品は「ほとんど古典的名著」と言ってよいわけで、それを真似たからと言って盗作とまで言わなくてもいいように感じます。

NHKの大河だって、司馬さん原作でなくとも、「明らかに司馬作品からの流用」と思われるシーンがいくつもあります。

そもそも「小説とは以前に書かれた小説のとの対話」という性格をもっています。たいていは「批判的対話」ですが、「同意的対話」だってあるはずです。「同意的対話」も対話の一形態には違いありません。リスペクトと言ってもいいでしょう。

「そもそものそもそも」

司馬さんの作品だって全てがオリジナルではないのです。これは批判ではありません。私は司馬さんの大ファンです。

例えば「義経」。なぜ司馬さんは頼朝でも北条義時でもなく「義経」を描いたのでしょう。それは「義経記」という古典作品があるからです。

古典のもつ歴史に耐えて語り伝えられた力をご存知だったと思います。

司馬さんの「新史太閤記」は甫庵太閤記や川角太閤記の「盗作」でしょうか。違います。リスペクトです。

「国盗り物語後編信長編」は「信長公記」の「盗作」でしょうか。新選組ものは子母澤寛氏の作品の盗作でしょうか。

むろん「斎藤道三」を初めとして、司馬さんのオリジナル性が極めて高い作品もあります。龍馬だって司馬さんの「竜馬がゆく」が書かれるまでは、大人気のキャラではなかったのです。

坂本龍馬は司馬さんの力8割、武田鉄矢の力2割で有名になった気がします。

話を最初にもどしますが、小説とは他の作品との対話であり、池宮氏の作品を「盗作」と騒ぎ立てる必要はあまりないように思います。


西郷どん 江戸城無血開城  少しばかりの新しさ

2018年10月10日 | ドラマ
西郷どん  江戸城無血開城  少しばかりの新しさを書けば

1、徳川慶喜が戦術的には「勝てた」ということを勝海舟に言わせていた。

2、山岡鉄舟の働きをやや詳しく描いていた。

3、一応、村田蔵六(大村益次郎)の天才性に触れていた。

の3つぐらいかなと思います。

以下はたぶんすでに「常識」に近いと思うのですが、

江戸のもどってからも、徳川慶喜はその気になればいくらでも戦えました。箱根の関で官軍を迎え、そこを当時東洋最大の幕府海軍が砲撃する。もっと簡単に、官軍がいなくなったすきに大阪湾に幕府海軍を回し、士気が高く練度も高い兵士を「選抜」して大阪に上陸させる。そして京都を制圧する。

この作戦をとられたらどうにもならない。天皇をかついで逃げるしかない。官軍の作戦担当である村田蔵六ものちに、というより、江戸進軍の前に、その事態を想定し、「官軍はそれをやられたら勝てない」ことを認めています。

「勝てる戦をあえてしなかった」ということを、最近のドラマは描くことがありませんでした。それを描くと徳川慶喜の「偉さ」が際立ってしまうからです。「敵前逃亡をして会津を見捨てた卑怯な慶喜」というキャラと矛盾が生じてしまうためでしょう。

私はこのブログでも維新最大の功労者の一人は徳川慶喜そして村田蔵六と書いたことがあります。司馬遼太郎さんの「受け売り」ですが、僕自身実際にそう考えています。

「あ、少数意見でもないのだな」と、西郷どんを見ていて感じました。

それにしても「西郷どん」というドラマの「つまらなさ」は何なのでしょう。「西郷を偉い人と思え」と命令されているようで不快です。それは視聴者が考えることです。

村田蔵六も登場しました。が、いきなり「戦争を知らない君らに戦争を教えましょう」とか言ってました。まあそれぐらいのことは言いそうな人ですが、それでは「天才的な戦術家」というナレーションと矛盾してしまいます。なんでいきなり薩摩を敵に回すのか。ドラマでは何故か薩摩武士は怒りませんでしたが、「いくさを知らない」なんて言ったら、薩摩武士はその場で剣を抜くでしょう。「戦術の天才」なら「いきなり」そんなこと言うわけありません。

かつての大河「花神」でも同じようなセリフは言っています。ただし海江田(後に村田の暗殺を唆した人物)が、あまりに騒ぐので、「アンタはいくさを知らん」と制しただけです。「仕方なく」言ったのです。

西郷どんのこぶ平(正蔵)のように、部屋に入ってくるなり喧嘩を売り、しかも薩摩人が誰も怒らない、なんて非現実的なシーン見せられても、「そんなバカな」と思うだけです。それにしてもなんで村田役がこぶ平さんなんだろ。

いろいろ「新説」を採用しようとしたり、重要人物もそれなりに登場させてはいるのですが、全体として「残念」としか言いようがないドラマです。



ドラマ「The Good Fight」と「パーソンオブインタレスト」のエリズベスタシオニ

2018年10月10日 | ドラマ
「The Good Fight」は米国の法廷ドラマです。CBS制作。

おそらく最初は「女の戦い」を描くつもりで制作に着手されたと思います。ヒラリーが大統領になると考えていたからです。ところがトランプになってしまった。それで「余計に面白くなった」気がします。つまり「露骨な反トランプドラマ」になっているからです。シーズン1は金融詐欺がメインテーマですが、シーズン2の終わりでは、「いかにトランプを倒すか、しかも今度の中間選挙で倒すか」がメインテーマになっています。「それとなく匂わせている」というものではなく、完全にトランプ打倒がドラマのテーマになっているのです。

それでも偏向的な政治性を感じないのは、つまりは「常識的なドラマ」であるからでしょう。トランプ政権打倒は「世界の常識」だからそれほど違和感を感じません。法律ものですから暴力的に打倒しようとするわけでもありません。テロ賛美も当然全くありません。

もっとも主人公の女性ロックハートは、シーズン2の終わりでは随分と「過激」になって、「綺麗ごとではトランプは倒せない。むこうがウソをつくなら、こっちもウソで対抗しないといけない」と考えるにいたります。ちなみに直接トランプと戦うわけではありません。トランプ的勢力、考え方と戦うのです。

日本では絶対に作れないドラマですが、シーズン3の制作も決定したようです。たぶん反トランプドラマなんて多すぎて、政権もいちいち圧力をかけてもいられないのでしょう。

それにトランプには「キリスト教福音派」という「恐ろしい岩盤支持層」がいます。私はトランプ自身よりこっちの「福音派」のほうがずっと恐ろしいと思うのですが、それについてはまた他で書きます。4つの福音書は対立的な関係にあるとか、そもそも全部筆写だから聖書のオリジナルは絶対に確定できないとか、そういう「聖書学の常識」が全く通用しない人たちです。トランプ自身は、大統領になるまで、この「福音派」のことはあまり知らなかったようです。まあ4つが対立的というのは常識とは言えませんが、日本語版を読むだけでも、4つの福音書の内容に「大きな違い」があることは明確です。あの滅茶苦茶なトランプ政権がなかなか倒れないのはこの「キリスト教福音派」という人々の「責任」です。

さて

この「グッドファイト」はドラマ「グッドワイフ」のスピンオフということになっています。出演者も重なります。「グッドワイフ」も法廷もので、シーズン4ぐらいまでは面白かったのですが、だんだんと主人公のアリシアが嫌な女になっていき、主人公の一人が意味なく死んだり(ドラマ上です)とドラマも迷走して、シーズン7で終わります。誰も幸福にならないという変な終わり方をするドラマです。グッドワイフの後半に比べたら、「グッドファイト」は「戦う対象と意味」が明確なので、ずっと理解しやすく、面白いドラマになっていると感じます。

当初はエリズベスタシオニが主人公という情報もあったようですが、結局はロックハートとルッカが主人公になっています。あとマイヤ(影が薄い)。エリズベス・タシオニが主人公の一人だったら、さらに面白くなっていたでしょう。

エリズベス・タシオニなんて書いてもドラマを見ていない方は全く分からないでしょうが、見ている方はすぐに分かります。あの赤毛の「天才過ぎる変人」弁護士です。主人公ではないけれども、グッドワイフにもグッドファイトにも出ています。NCISのアビーシュートにも匹敵するようなキャラです。

お名前はキャーリープレストンという方のようです。で、調べると「パーソンオブインタレスト」にも出演しています。さぞ「面白い犯罪者」として登場しているとおもいきや、フィンチの「思い出の人」です。というわけで、シーズン5の最終話を確かめてみました。間違いなく出演しています。いつも絵を描いているあの静かな「フィンチが愛する想い出の人」です。最後の最後にフィンチが帰っていく女性でもあります。間違いなく彼女です。あの赤毛も同じです。エリズベス・タシオニ。実生活ではフィンチ役のエマーソンさんとは本当の夫婦のようです。いろいろ驚きです。



「根の深い木」とハングルと漢字廃止と

2018年08月26日 | ドラマ
韓国時代劇「根の深い木」の主人公はイドです。第四代王世宗。ハングルの創設者として有名です。というか朝鮮王朝最高の名君とされています。

で、このハングル創設をめぐるドラマが「根の深い木」なんですが、ほぼ全てフィクションです。が、フィクションの割には「考えさせられる」面も多く、僕などは大好きな作品です。

韓国では70年代あたりから、基本的には「漢字教育をしない」ようになりました。漢字廃止とか禁止ではないのです。「教育をしない」のです。でもそうなると、ハングルしか「読めない世代」が増えていきます。そうなると本や新聞もハングル化していきます。で、今は漢字廃止に近い状況にあるようです。

ハングルは表音文字ですから、つまりは「ひらがな」(カタカナ)です。「全てがひらがなの文章」なんて日本語では読めません。

記者が汽車のニュースを書き終えて、貴社を帰社した時間は何時ですか。

きしゃがきしゃのニュースをかきおえて、きしゃをきしゃしたじかんはなんじですか。

漢字がないと、記者、汽車、貴社、帰社の区別はつかないでしょう。韓国語は事情が違うということであり、文脈から区別がつく、らしいのですが、「全て区別がつく」とは思えません。

ということで韓国においても漢字復活論はあるようですが、なかなか復活しません。すると裕福な家庭などは「塾で漢字を学ばせる」ことになります。貧富の差が「漢字力」の違いになってしまうというのも「どうかな」と思う事態です。

もっとも他国のことですし、ナショナリズムとも密接な関係があるようなので、僕などが軽い気持ちで論じることではないのかも知れません。ただ、漢字を捨てるのはいかにも「惜しい」気がします。

日本語はもともと「難しい言語」です。その上、表記が、漢字、ひらがな、カタカナの3つ。英語を合わせると4つ。携帯発の国産文字といえる「絵文字」を合わせると5つです。実際メールなどではこの五つを使ってコミュニケーションをとっていると思います。しかもその「使い分け」に特に法則はありません。つまりは「いい加減」なんですが、それでも漢字廃止に向かうことはないでしょう。

だたし「日本の漢字」の将来像については、不確定要素が多い気がします。実際私なども「急速に漢字が書けなく」なっています。漢字を書く機会がないのです。パソコンの発達で「書く機会」がほとんどありません。日本の漢字は、今後「書けなくても読めればいい」という方向に向かっていくような気がします。

それでも教育現場において廃止される可能性は考えられません。廃止する「有力な理由がない」からです。日本における文字使用の法則はきわめて「いい加減」ですが、裏を返せばナショナリズム等に影響されない「良い加減」ともいえると思います。

「六龍が飛ぶ」「根の深い木」 チョンドジョンと李氏朝鮮

2018年08月26日 | ドラマ
李氏朝鮮は一般には朝鮮王朝と呼ばれます。1392年ですから、14世紀の末、に建国されました。日本は室町時代です。鎌倉幕府の滅亡は1333年です。

教科書的には李成桂という将軍が建国したことになっています。別にそれは間違いではありません。僕はずっと「りせいけい」と読んできましたが、最近は朝鮮王朝時代劇をよく見るので「りせいけい」とは言いません。「イソンゲ」です。この「イ」というのが朝鮮王家の名字です。

イソンゲ将軍が朝鮮王朝を作ったというのは、疑いようもない史実なんですが、「実質的に作ったのは誰か」となると少し変わってきます。

実質的に作った人物はおそらく二人いて、イソンゲの「参謀」「頭脳」であったチョンドジョン、そして父親であるイソンゲから王権を奪い、チョンドジョンを殺した五男のイバンオンです。

「六龍が飛ぶ」というドラマはエンターテインメント性の強いドラマですが、史実もふんだんに盛り込まれており、李氏朝鮮の建国事情がよく分かる仕組みになっています。

もちろん「よく分かる」ためには、「史実部分」と「脚色部分」を分けて考えないといけないのですが、比較的簡単に見抜けるような気がします。

「六龍」とはこのドラマの主役です。まずチョンドジョンが先頭にいます。続いてイバンオンです。それとイソンゲ。あとは架空の人物で「民」です。剣士であるイバンジ、ムヒュル、そして女性のプニ。どうやらこの六人が「六龍」らしいのですが、まあ「チョンドジョン」と「イバンオン」の二人が主役でしょう。

チョンドジョンはキムミョンミンという人が演じていて、男の僕から見ても非常に「いい男」です。ハンサムなだけでなく品もあり、ダンディーです。

イバンオンを演じているのは、ユアインという人です。韓国では人気があるのでしょう。でもまあなんというか「えなりかずきの最高形態」みたいな顔をしています。

ユアインのイバンオンは韓国でも賛否があったようです。日本史で言えば「織田信長」のような人物です。やたら人を殺します。「力の政治」を行います。それが「えなりかずきの最高形態」ではちょっと「線が細い」というわけでしょう。また、主人公ですからどうしても美化されます。イバンオンの美化を許さない、という韓国の方も多いようです。

イバンオンは朝鮮の実質建国者ですが、「あばれ者」で「冷血」で、まあ「儒教道徳」からみればひどい人物です。親父から王権を奪うさいにも、幼い弟を二人殺しています。王になってからも「権力のある家臣」を次々殺します。

もっとも「六龍が飛ぶ」は建国段階で終わってますから、「功臣を次々殺すさま」はあまり描かれません。それどころかプニという女性との「長い愛」が描かれたりしており、かなり人間味のあるイバンオンになっています。といっても史実通り、建国段階においても次々人を殺しますが。

最近の韓国ドラマではどうもイバンオンよりチョンドジョンが高く評価されているように思えます。「歴史的には敗者」なんですが、「弟や義理の弟を次々殺したイバンオン」より「信念を貫いて死んだチョンドジョン」のほうが「朝鮮の建国者としてふさわしい」と思われているのかも知れません。朝鮮における民主主義の先達みたいな扱いを受けることさえもあります。

イバンオンの「乱世をおさめた力の政治」もそれなりに評価されてはいますが、「弟殺し」はどうも「いただけない」ようで、イバンオンの最高の功績は「三男を次の王にした」こととされることが多いようです。

ちなみにその三男とは「イド」で「世宗」です。朝鮮王朝最高の君主とされており「ハングルを作った」王様です。ドラマ「根の深い木」の主人公でもあります。





長州出身有名人のイメージというか、単なる好き嫌い。

2018年08月12日 | ドラマ
単なる自分の好悪のお話です。

長州というのは今のまあ山口県です。毛利氏でした。毛利元就の時にインフレーション的拡大をした藩ですが、関ケ原で「色々あって、40万石以下の大名」になりました。

幕末は産業振興その他で、その実力は100万石に迫ったとどっかに書いてあったと思います。

「薩長」の長州ですから「有名人、有名政治家」が沢山います。

たとえば佐藤栄作。高度成長期に6年ぐらい総理をしてました。私は幼年だったので「日本の総理は佐藤栄作がずっとやる」もんだと思っていました。それぐらい長くやっていたのです。

安倍総理は「なんちゃって長州」です。本籍と選挙区は山口ですが、「東京生まれの東京育ち」、ずっと成蹊大学系の学校に行ってました。東京人ですが、何かというと「長州出身」というウソをつきます。吉田松陰の名をやたらと出しますが、多くの日本人は吉田松陰にさほどの興味はないと思います。僕もあまりありません。爺さんの岸は元A級戦犯で、佐藤栄作の兄貴です。

吉田松陰とか高杉晋作を「尊敬する」のは無理な話だと思います。なぜなら彼らが活躍した時、彼らは20代の「若造」だったのです。そして若造のまま早死にしています。20代の青年を尊敬するってのは、少なくとも僕にとっては無理な話です。

明治になって、一番出世したのは「伊藤博文」と「山縣有朋」でしょう。長く生きました。並んで有名なのは桂小五郎ですが、結核を患っており、明治になってからは精力的に活動はしていません。

桂は過激な若者ばかりの長州にあっては「大人」の風貌を備えた人で、僕なぞも嫌いではありません。特に好きでもないですが。

山縣有朋は嫌われ者で、まああまり話題になることはありません。

伊藤博文は松下村塾出身者では一番出世しましたし、ものの見方もバランスがよく、優れた政治家でしたが、なぜか「小者感」が強く、ドラマの主役とかにはならない人です。

韓国では日本より有名です。ただし「侵略者。極悪人」として有名です。ただ極悪人なら、他にもっといるような気がします。

それから上野戦争を終結した村田蔵六がいます。僕は大好きですが、知名度はほとんどありません。大村益次郎としても多少有名ですが、僕は大村益次郎は好きになれません。(同じ人物ですから論理的にはおかしいですが、日本史好きの方なら多少理解してくれると思います)

「英雄たちの選択、上野戦争」で、西郷が何かを決断したように言ってましたが、なんじゃそりゃ、という感じがします。上野戦争では西郷は指揮官の一人に過ぎません。村田蔵六が仕切ったのです。その後の戊辰戦争でも作戦をしきったのは村田で、西郷はほぼ何もやっていません。

乃木将軍も長州ですが、それが日露戦争での不幸を呼びました。彼の場合、参謀も無能だったので、兵隊の被害はとめどもなく拡大しました。収拾したのは児玉大将ですが、知名度はほとんどありません。

長州人は「地元山口への利権誘導」をあまりしませんでした。安倍総理は色々やっている気がしますが、昔の長州人は山口を特別視したりしません。

山陽新幹線にも佐藤栄作は大反対でした。あれは田中角栄がやりました。「佐藤総理の地元の山口にも新幹線ができるのですよ」という田中角栄に佐藤栄作はこう答えました。

「誰が乗るんだ。タヌキでも乗せるのか」

佐藤栄作の評価は様々でしょうが、こういう逸話など聞くと、昔の政治家はそれなりの見識を持っていたのだなと思います。角栄さんあたりから、どうも変なことになっていった気がします。


道徳教育とツルの恩返し

2018年08月12日 | ドラマ
最初に書いておきますが「くだらない話」です。オチ話みたいなもんです。

学生時代に道徳教育のシンポジウムというのか「道徳教育を考える会」みたいのに一回だけ参加したことがあります。

模擬授業の教材が「鶴の恩返し」でした。

「おじいさん、おばあさんは、見るなというツルとの約束を破ったから不幸になった」というのです。

約束は守ろう、とかいうことになっていました。

僕は「マジか」と思い、笑いをこらえるのが大変で、周りをみたのですが、意外にも真剣な顔をしている学生も少なくありませんでした。むろん一部は僕と同じように笑いをこらえて奇妙な顔をしていました。

意見交換では戦闘的に否定をしました。昔ばなしというのは禁止事項があり、その禁止を破ることで展開する。ほぼ全てがそういう構造になっている。道徳の教材としてまったくふさわしくない。そもそもこの話の原型では、娘であるツルが衰弱していくから「覗いた」のである。おじいさん、おばあさんに何の非があるのか。心配して覗いたらツルが去ってしまった。むしろ被害者ではないか。

この話を教材にしようと発想すること自体、道徳教育を深く考えていない証拠である、まあよくは覚えていませんが、僕はまだ若かったので、とにかく全否定をしました。

それ以来、道徳教育というものを真剣に「人と議論した」ことはありません。「真面目で頭の固い先生たち」が何を考えているのか理解できず「だめだこりゃ」と思っていたのです。

考えてみれば、僕のそのような「不遜な態度」もまた「だめだこりゃ」でした。

でも考えてみると、小学校時代の「道徳の時間」とか、意外と影響力があったなと思うこともあるのです。

小学校の時、「日本人は音をたてて食べ物を食べるから、西洋人から馬鹿にされる」というビデオを見たのです。

これ、意外すぎるほどの影響力がありました。

それ以来、僕は「そばをすする」ことができないのです。音がたつからです。今もできません。これがこの話のくだらないオチです。

競技スポーツについて  金メダルはいらないのだが

2018年08月12日 | ドラマ
TVで水泳をやっています。競技水泳です。涼し気でいい感じです。

それに比べると高校野球は暑そうで、汗臭い感じで、まあ見る気になりません。

学芸大という教育学部しか「なかった」大学の出身です。今は多様になっているようです。

「体育科教育学」という授業がありました。

僕は怠惰な学生だったので、授業とか真面目に受けていませんでしたが、この体育科教育学はよく覚えています。

教授の第一声が「競技スポーツは健康に悪い」ということだったからです。

そこから「部活批判」「現場の体育教師批判」がはじまりました。「なるほど」と納得できる内容でした。

難しいところです。

30年前に既に「教育学レベル」では「競技スポーツは否定」されていたのに、現場は今もそのようにはなっていません。

会社などは競争主義が基本ですから、「体育系出身者」は重宝されるなんて話もあります。

教師は「競争の功罪」を真剣に考えなくてはいけないし、実際真剣に考えている教師は多いと思います。

それでも競技スポーツは否定されませんし、オリンピックなどでメダルが少ないと、協会は散々に否定されます。

つまりは「スポーツは別に健康のためだけにやってるわけではない」ということでしょうか。

僕などは頭では競争的なスポーツのあり方を根底から「否定」しています。

それでも池江さんが金メダルをとったりすると「凄いな」と思います。

頭で考えていることと、気分が「合っていない」のです。

競技スポーツは一部の才能ある者だけがやればよく、基本的には「健康スポーツ」が主流であるべきだとは思いますが、それではたぶん「生徒たち」が納得しないでしょう。

難しい問題だと思います。

角川映画、獄門島、悪魔が来たりて笛を吹く

2018年08月02日 | ドラマ
NHKで「悪魔が来りて笛をふく」が放送されていました。録画はしましたが、まだ見ていません。

横溝正史さんの著作をよく読んだのは、ブームであった高校時代でした。

それまでの僕の読書傾向は非常に偏向していて、星新一、司馬遼太郎さん、小松左京、筒井康隆、芥川龍之介。この五名の作品だけを読み、他はほとんど読んだことがありませんでした。

他の作家は全くといっていいほど読みませんでしたが、横溝正史さんは「犬神家の一族」以来、大ブームでしかたから、何作かは読みました。

日本のスポーツ協会の状況などを知ると「いまだに因習的世界」であることを感じます。

しかし僕の住んでいる東京都大田区は、僕が生まれた段階においてもう既に都市であり、「日本の古い因習的なもの」は極めて少なかったと思います。

あるいは僕が知らなかっただけかも知れません。

だから横溝正史が描く「事件の背景となる古い日本の因習的世界」は「一種新鮮であった」ように思います。

映画では市川崑版の「獄門島」が一番好きです。調べてみると原作は1947年ですから、昭和22年に書かれています。

キャストが豪華です。

石坂浩二、大原麗子、佐分利信、司葉子、大地喜和子、ピーター、加藤武、大滝秀治とここまででもかなり豪華ですが、さらに

三木のり平、上条恒彦、松村達夫、浅野ゆう子、坂口良子、小林昭二、、、と素晴らしいキャストが揃っています。

大原麗子さんが驚くほど美しく、坂口良子さんはかわいい。

が、お二人とも故人です。惜しいことだと思います。それに他のキャストも故人となった方が多い。当時において年齢が高かったから仕方ありませんが、これもまた惜しいことだと思います。