散文的で抒情的な、わたくしの意見

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織田信長との出会い 私的感慨

2017年12月11日 | ドラマ
私が織田信長という武将を、多少なりとも詳しく知ったのは小学校6年の頃だと思います。司馬さんの小説「国盗り物語」がきっかけです。

私は気に入った本を何度も読み返すという習慣があって、「国盗り物語」も何度も何度も読んだ記憶があります。ちなみに主人公は信長だけではなく、斎藤道三、明智光秀も主人公です。3人の主人公が存在する作品です。

3人とも「立派な人では」、少なくとも「道徳的に立派な人」ではありません。でも、私は今でもこの3名が大好きです。

小説ですからもちろん「架空」です。その架空の設定の中では「信長と光秀は道三が天下取りの夢を託した二人の弟子」ということになっています。

斎藤道三が倒すべき敵としたのは「中世という時代」です。ですから「信長は中世の破壊者にして近世の創造者」という風に描かれます。

光秀は中世的教養を持ちつつも、やはり天下取りを最初から考えている人物として描かれます。ただ信長に出会ってからはどちらかというと中世的教養人の側面が強く出ていますが。

さて

歴史的人物を「等身大」というか「世俗化」して描こうという姿勢が近年存在します。

「信長だって同じ人間じゃないか」という態度です。

それは好き好きですが、近年は行き過ぎです。等身大に描くというより、戯画化して描くようになっています。

信長にも光秀にも「彼らなりの立派さ」があるのですが、とにかく「立派な人間として描かない」ことが主流となっています。

なぜか坂本龍馬だけはその風潮を免れていて、私に言わせれば「必要以上に立派に描かれ」ます。(わたしはどうも龍馬が好きになれない。土方なんかも嫌いです)

さて信長。

比叡山焼き討ちなども、中世の破壊という側面から描かないと、単なる大量殺人になってしまう。単なる大量殺人者として描きたいならまあ仕方ないですが、比叡山というものが当時果たしていた軍事的機能を描かないと、また歴史的に果たしてきた権威的機能を描かないと、その「歴史的意義」は全く見えてきません。

家康も信長も「善人」ではありません。善人なら、わざわざドラマにして描く必要もありません。彼らも、また武士政治の実質的創始者である北条義時などもみな「悪党」です。

しかしそれはあくまで「現代的基準」に照らしてそうなる、だけです。彼らが迫ってくるのは現代的基準の相対化であり、そのような相対化のない歴史ドラマは、少なくとも時代に耐え、長く人の心に残ることはありません。