昨日の続き、モリッシー最新インタビューの翻訳を進めます!
★私はあなたのライブを、ネブラスカ、オマハのオーフィウム劇場で
見ました。ホールフーズ・マーケットであなたのバンドのベーシストと
偶然会って、彼が私をゲストリストで入れてくれたんですよ。
あのライブで、あなたには80年代と同じくらいエネルギーがあるように
見えました。今さらながらお聞きしますが、どうやってそのエネルギーを
保っているのでしょう?
あぁ!なんだ、君はゲストリストにのせられてなければ、わざわざライブに
来なかったわけか!これは私の人生だ。何もかも、音楽以外のすべてを
犠牲にしてきた、我が人生。私は「パフォーマー」ではない。ミュージシャン役を
演じてるわけでもない。職業で音楽をやっている訳じゃないんだ。
★若い頃、あなたはNMEに手紙を書いていたと読みました。そして今やNMEは
あなたのことを「史上で最も影響力のあるアーティストのひとり」と言っています。
それがあなたがパフォーマンスする上で何らかのプレッシャーを与えていたりは
しませんか?そうであれば、またそうでなくても、その理由を教えてください。
私に期待されていることをするのに、プレッシャーを感じたことは一度も
ないね。そしてNMEや他の誰に対しても、彼らをどうやって喜ばそうかなんて考えた
こともない。私がNME中毒だった時、NMEは「ニュー・ミュージック・エクスプレス」と
呼ばれていて、1970年から1980年まで、ただの1号も買いそびれたことはなかった。
今じゃ音楽雑誌へのそんな深い愛情はまったくもって失ってしまった。昔は心から
好きだった。
★あなたの歌詞や、人間に対するじっくりと深い考察から、あなたは人生の早い時期から本物の
眼力を身に着けていたのだと感じます。少年期に、人間の真実に対してあなたの目を開かせた
ものは何だったのでしょう?
私には学がない。2つのおぞましい学校を出ただけだ。その学校生活は、残りの人生において
まで、本当に頭をたたきのめすものだ。主に、どんなに暴力的で不愉快な人間がいるかと
いうことを知ること、それこそが私が初めて知った「世界」だったのだから。
学校生活において、ほっとできた経験はただの1日たりともなかった。
そしてそんな学校生活の経験は、永遠に私をおびやかすものとなった。
…おっと、出ましたよ、学校への呪詛!!
2013年3月、ハリウッド高校のライブでも、「高校」というロケーションでいろいろいろいろ
イヤ~な学校記憶が呼び起こされたのか、散々学校への恨みつらみをぼやいていました。
絶対絶対絶対に、学校ってものからは逃げられない
いくつになっても ずっとついてくるんだよ…
永遠に。
そしてギリギリ!ギリギリギリ!ギリギリギリ!
君たちをぶっ潰していくんだよ
ともかく私はぶっ潰されたんだ…
…そして、“You have killed me”の前奏が始まり、
ところがまだ生きている!
かろうじてだけど‼
…と叫んでいました。
打ちのめされても、それは過去なわけで、
「あれはいいんじゃ~過ぎたことじゃ~」とか、
縁側茶飲み話になりそうですが、この人はならさない…
モリッシーが過去の話をする時、過去の体験を歌う時、
それはリアルで鮮明です。
いまだにダメージの傷からダラダラ血を流しつつ立ち向か
っているのは、時に「しつこい…」と思わないでもないけど、
ここまで極めていると、圧倒されてしまいます。
インタビューであったように、
パフォーマンスしている訳でも、与えられた役を演じている
わけでもない。食うために職業としてミュージシャンをやっている
のでもない。
それこそが自分の、人生。不可避。
生きてきた、生きていく、そのために今生きて歌を歌うしかないという
一貫とした姿勢が、ほんのライブでのMCやインタビューでの一言、
断片にまですべてぶれなく通されているところが、年齢や体調にも
左右されない「エネルギー」の原点だよなあ、とこのインタビューを読んで
いてもつくづく思うのでした。
そして、このインタビューは、その後ニュースサイトでもとりあげられて
いた「職業」ミュージシャン(その人たちには失礼すぎますが…)ディスり
につながります。彼ら自身よりも、音楽産業に対する怒り(これもず~~っと
同じ)なんですが。。。
そこまで訳せるかと思ったけどまた量が多くなりそうだから
続く…w