幼い頃、小学生の低学年の頃だったでしょうか。東京の都心から少し外れて、井の頭線の吉祥寺寄りのところに住んでいました。当時は、まだ田んぼと栗林ばかりで、沼でザリガニ釣りをしたり、線路を渡って井の頭公園から流れ出る川で水浴びをしたりしていました。夏にはその田んぼにたくさんのホタルが飛び交っていました。それを採ってきて、蚊帳(かや)の中で放して眺めたり(このような話は学生さんにはわからないかな~)
ところで、ある秋のこと、民家から遠く離れた、その田んぼの脇にある小さな小屋のようなところにお年寄りが一人で住んでいました。台風だったのでしょうか。田んぼも埋まるほどの水があふれて、その小屋のような家も床下から床上へと浸水しそうになっていたんです。そこに板を担架代わりにして大勢の男手の人たちが助け出していたのを、はらはらしながら、遠目に見ていたことを今でも覚えています。ふだん、人付き合いもないような人でしたが、その時には大勢の方が救い出すのに声を掛け合っていたと思います。映像は浮かび上がるのですが、どのようないきさつで、どのような会話があったかは、わかりません。
当時、その地域で洪水になることはあまりなかったように記憶しています。雪は今より降ることが多く雪遊びをしていたことは思い出しますが・・・。でも、普段の関わりは薄くても、その時は、皆、命を守るという自然な行動で助け出したと思います。
今日では、災害対策というとシステムや事柄によっては分野別に専門性を発揮して稼働させようとしていると思います。当大学もそうしたことで、動いていると思います。よいことです。しかし、ふと寂しい思いもよぎります。社会の中で人間が自然に助け合い、守り合うという姿勢が欠けていないだろうか・・・と。災害ケアって、人間の自然な行為として皆の心の中に植え付けられていてほしいです。
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地域連携災害ケア研究センター幹事