(下島君の報告、続きです)
翌朝、あいにくの大雨で、仙台市内はところどころ水没し、南三陸のボランティアセンターも終日閉まっていた。結局、丸一日ホテルから動くことができず、昼食に名物牛タンを食べて鬱憤を晴らした。
夜になり、雨が止んだ。夕食にふらりと立ち寄ったラーメン屋の親父が、お笑いコンビのサンドウィッチマンの話を誇らしげに語った。曰く、高校生の頃からの常連なのだそうだ。地元のために奔走した彼らは、今や被災地のヒーローなのかもしれない。
仙台の街は、節電ムードの漂う東京よりむしろ明るく、震災の形跡はほとんど残っていなかった。しかし仙台東部道路から海にかけては、全て波をかぶり、家や防風林が根こそぎ流されたことで、二キロ先の海まで一望できるようになってしまっていた。あの暴力的な風景に、どのような言葉を当てていいものか、私にはわからない。
明るい街並みと、人の生活が消え去った沿岸部、その対比に困惑しながら、まぶしい光を放つドン・キホーテに蛾のように引き込まれ、ウェットティッシュや電池を買いこんでホテルに戻った。
翌朝、あいにくの大雨で、仙台市内はところどころ水没し、南三陸のボランティアセンターも終日閉まっていた。結局、丸一日ホテルから動くことができず、昼食に名物牛タンを食べて鬱憤を晴らした。
夜になり、雨が止んだ。夕食にふらりと立ち寄ったラーメン屋の親父が、お笑いコンビのサンドウィッチマンの話を誇らしげに語った。曰く、高校生の頃からの常連なのだそうだ。地元のために奔走した彼らは、今や被災地のヒーローなのかもしれない。
仙台の街は、節電ムードの漂う東京よりむしろ明るく、震災の形跡はほとんど残っていなかった。しかし仙台東部道路から海にかけては、全て波をかぶり、家や防風林が根こそぎ流されたことで、二キロ先の海まで一望できるようになってしまっていた。あの暴力的な風景に、どのような言葉を当てていいものか、私にはわからない。
明るい街並みと、人の生活が消え去った沿岸部、その対比に困惑しながら、まぶしい光を放つドン・キホーテに蛾のように引き込まれ、ウェットティッシュや電池を買いこんでホテルに戻った。