九万坊さん
その昔高岡で修業していた修験者の枕元に菩薩さまが立たれ「お前は加賀の国にある窪というところにある萬願寺山で修業し当地に住む民の助けになるがよい」と言われこの地に移り住んできた。初めは気ちがい扱いされ誰も相手にいませんでした。ところが彼の予言がよくあたり、病も治ったと評判になりっその修験者を頼ってくるものが多くなった。その修験者が創立したのがこの久万坊大権現である。
その謂れを教えてくれた人が金沢市の野町にあるその名も知られた忍者寺のすぐ前にある大きな寺「西方寺の前住職」だった。かれは現職を離れここで管理人を務めていた。
それを聞いたのは大分前だったので今はもういないかもしれない。その人が住んでいた家がここに写っているこじんまりした建物。手入れしている様子がないのでもう住んでいないのかもしれない。ここから67段の石段を登った所に九満坊さんと言われている社殿がある。
以前は簡単には入れた拝殿にはかぎがかかっていては入れなかった。
ご縁がありますようにと5円玉と50円玉が何故かさい銭箱の中に落ちずに上に乗っかっていた。
手水所
手水所の天上には竜が描かれていて、そのすぐ下にちっちゃな竜の顔を出している。
拝殿の脇から本殿まで16段の石段。そして本殿の脇から長い上り階段がある。
数えたら380段あった。
この階段を近くの高校にある野球部員たちが足腰を鍛えるために時々頂上までジョギングしていると管理人の奥さんから聞いた。
階段を上り切った所が萬願寺山のてっぺん。176.6mと書いてある。
ここに九満坊さんの奥殿があり中に御神体(長さ1mほどの木の切れ端)が入っているという。
明治に入るまでは神仏混淆といってお寺と神社は一緒にあった。
ところが、明治政府は日本は神国であるといってお寺と神社を分ける政策を始めた。
ところが、何を勘違いしたのか、国民の中にはお寺を破壊する者が現れた。
神主たちは布教というものをしたことがない。何をしたらいいのか分からないのである。
結局またお寺に頼ることになった。
萬願寺
ここもその名残のお寺がある。目立たないように神社のすぐ横にあった。
九満坊信仰は全国に広がっていて、高知県からも来る信者がいるという。
富樫家が滅んだ時、この山頂で自害をした富樫家の侍がいたという。
ここで花を摘むと祟りがあると恐れられているとのこと。
熊も出てくるよと脅かされる。