宇喜多秀家の妻豪姫の墓
2代将軍秀忠の奥方〝おごう″ではなく、前田利家の娘〝豪姫″は子どもがいなかった秀吉の養女となり、たいそう可愛がられていた。同じころ備前の国から人質としてきていた宇喜田直家の次男秀家と結婚したが、秀吉の死後から悲しい運命をたどった。
豪姫の墓は金沢市の野田山の前田家墓地の一番高い所、利家の墓より上にある。そしてその野田山の続である大乗寺山(本来は野田山であるが曹洞宗のお寺、大乗寺があるから大乗寺山という)の森の中に人目を憚るように秀家、豪姫それに豪姫の母お松の方が詠んだ歌碑が建っている。
関ヶ原の合戦で敗れた秀家は八丈島に流された。秀家と引き離され、夫の身を案じて悲しい思いをしている豪姫を哀れに思って、弟で加賀藩三代藩主前田利常は将軍家に無理を言って、秀家に仕送りをすることを許してもらった。
本来なら認められないお願いだが、そこは加賀百万石大名の凄いところだ。
八丈島では秀家と豪姫の立派な像が建立されているそうだ。
備前の国(岡山)の方向はここ大乗寺山の真正面である。
歌碑がある大乗寺山の森
左側は芳春院(お松の方)の詩。
私には詩のことはさっぱり分からないが、秀家の故郷を想う心が何とか理解できる。
誰が歌碑を建立したか分からないが日本海を介して岡山に向けて秀家の心を届けかったのだろう。
援助は秀家や秀家の子孫に対して明治になるまで行われた。