亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

満願寺山に登る

2013-09-27 | 散歩道

               満願寺山九満坊

Photo_2
それは金沢市の郊外にある窪町にある満願寺山という山の中腹にある。

その昔富山県の高岡で修行していた修験者の枕元に菩薩様がたたれ「お前は加賀の国にある窪という所の山で修業し当地に住む民の助けとなるがよい」といわれこの地に移り住んできた。初めは気違い扱いにされ誰も相手にしませんでした。ところが彼が予言したことが悉く当たり、病も治ったと評判になりその修験者を頼ってくる者も多くなった。

その修験者が創立したのがこの九万坊大権現である。

Photo_3


これは竹の子の産地で良く知られている伏見川の上流にある「別所」というところにある天台宗の「黒壁山薬王寺」にある看板である。

前田利家が金沢城に入城したしたところそこには九万坊大権現が幅を利かせていた。その頃加賀の国は真宗王国で坊主共が何かとうるさく邪魔だったので利家は坊主たちをだまらすために九万坊大権現を使わぬ手はないと考えその勢力を利用した。江戸時代には前田藩の領下には至る所に九万坊大権現があった。明治になって神仏分離政策が発せられ、九万坊大権現も対象にされ整理され残ったのは満願寺山と伏見川を越えて対岸にある「黒壁山薬王寺」それに野田町にある「高徳山桃雲寺」の三か所だけ残った。

        拝殿の入り口にある張り紙

Photo_4


久万坊大権現の面倒を見ているのは天台宗の西方寺(忍者寺で知られる妙立寺の前にある)。お参りは南無阿弥陀仏ではない。難しい呪文のようなもの。お香をくべるのではなくではなく護摩を焚く。

                 天狗の面

Photo_5

能の世界にも天狗が出てくるが。天狗とは元々修験者をモデルにしたものだと思う。

昔の人は子供を躾けるために修験者をモデルに天狗という者を創造した。

本殿の後に長い階段がある。

Photo_6


数年前に起こった能登大地震で階段の一部が崩れ現在立ち入り禁止になっている。

九万坊大権現管理をしているというご夫人に出合ったので聞いてみた。

「立ち入り禁止になっているが皆さん登っているいるよ。ただし安全は保障しません」

それで思い切って登って見た。

            保護シートが敷かれている階段

Photo_7


階段の数は378段、別に危ないことなかった。

                   奥殿

Photo_8

山頂に着いた。建屋の中には目の形をした細長い木の御神体が祀られている。

                   三角点

Photo_9

頂上には三角点がある。今は鬱蒼としているがここは本来は見晴らしが良いところだという。

Photo_10


これは本殿の前にあった。右から読めばいいのか左から読めばいいのかは分からない。

その昔、一向一揆に攻立てられた富樫氏の家臣たちがここの山頂で腹を召したと言われている。

ここは富樫氏が信仰する山だったそうだ。

霊感のある人が登ると切腹した侍の姿が見えるという。山で花を摘んでいくとたたりがあるという。

遠く高知から参拝に来る熱心な信者がいるそうだ。

「蚊がいなかった」とおばさんがいう。

「蚊なんて何でもないけど熊が出るかと恐かったよ」

最近は山に入る人がめっきり減ってしまって人影が無く本当に怖い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする