久しぶりの抜けるような晴天に誘われて野田山の方まで散策に行く。
日露戦争で捕慮になったロシア人墓地があるというので探していたら、ロシア人墓地より先に立派な記念碑が見つかった。
石碑に韓国語がビッシリ詰まっていた。
尹奉吉義士殉国記念碑 解説
細かい字でびっしりと書かれていて読むのも煩わしい。
1932年上海で天長節の祝典をやっていたところ、韓国人の革命家がいきなり爆弾を投げつけて日本軍の偉い人が何人か死んだらしい。
その韓国の革命家の名は尹奉吉 (ユンボンギル)という。
彼はすぐ捕らえられ野田山のすぐ隣にある三小牛山(みつこうじやま)で処刑された。
その遺体は長い間、この野田山に埋められ表示もなくどこに埋められているかも分らず参拝者に踏みつけられていた。
戦後悪戦苦闘の末遺体を掘り出し韓国に送った。
ソウルでは盛大に国民葬が行われたうんぬんと書かれている。
遺体があるわけでもないのに何で日本語を交えてまで記念碑をここに作らなければならなかったのだろう。
日本人の私にはちょと面白くない。
ここばかりではない、更にここから100メートルばかり離れたところにもう一つ同じ尹奉吉義士の記念碑が建っている。
ここにも日本語の説明文があった。
日本人への当て付けとも思えてしょうがない。
そればかりか今年の4月29日に合わせて金沢で尹奉吉の記念館を開館するらしい。
どうやら日本の自治体は関わっていないらしいが・・・
いかに日本が悪いからといって一寸やりすぎではないか。
すぐ隣は石川県戦没者墓苑がありその一隅に日露戦争で捕虜になったロシア人墓地があった。
ロシア人墓地
激寒の地、シベリアに送られた日本人は惨たらしい待遇を受けたらしいが、日本人は外国人の捕虜に対しては決してそのようなことはしなかった。
韓国の記念碑から見ると随分見劣りはするが、これはロシア人捕虜に対する日本人としての責めもての思いやりと言う物だろう。