3文豪の生まれ
金沢の生んだ3人の文豪について学んだ。
この前も高砂大学大学院で「徳田秋声」について学んだが会場は広いので話の内容が良く聞き取れず、耳を悪くした亀はもう講演を聞くのは無理かと思たが、今回は会場が狭いので、外の騒音が気になるが、案外聞き取れた。
会場は広いより狭い方がいいのか。
スクリーンも近いので大きく見え写真に収めることが出来た。ただスクリーンが低いので見えるのは頭ばかり、椅子に腰かけていては見えないので人に迷惑かけないように最後列で立っての撮影。それでも頭は邪魔。
上の写真は3文豪の生まれた場所を分かり易く図したもの。
金沢には犀川と浅野川と言う大して大きくはないが一応大きな川が流れている。
この中に金沢の城下町がある。
今日の講師は卯辰山のすぐ下にある徳田秋声記念館の学芸員だ。秋声は加賀八家(はっか)の横山家の家臣の子孫だった。
尾崎紅葉の慰霊の前で
真ん中にいるのは泉鏡花、右にいるのは徳田秋声。秋声は和服が気に入らずいつも洋服だったという。
鏡花と秋声の間に距離があるのは仲が悪かったから・・・。と女性学芸員は勝手に解釈。
秋声は鏡花を嫌っていた訳ではないが、鏡花は秋声の作風が気に入らず嫌っていたとのこと。
鏡花と秋声は生まれとところが1キロも離れておらず、学校も同じだった。
鏡花は秋声より2歳年下だが先に紅葉の弟子になっていた。
鏡花は小説というのは人が考えつかないような、すばらしい事を書くべきだと言ったのに対して、秋声は思ったことをそのまま書く現実主義(自然主義)。
室生犀星は秋声より20年程後に出てきており3人はお互いに交流があったらしい。
秋声と犀星は文学の上での関係より庭造りとしての親交がったとのこと。
犀星と鏡花は交流があったらしいが記録があまり残っていないとのこと。
資料を貰ったが、見慣れない漢字が多く、しかも講師の先生が早口の性か、読み方がさっぱり分からない、いつも録音を取ってくるのだが、再生してもあっと言う間に先に進んでいくのでどこを読んでいるのか探すのに時間がかかって、気が付いたら読めない字のずっと先に進んでいて何度戻ってもその場所が分からない。辞書を繰っても分からず、結局分からずじまい。
若い講師はこれだから困る。今どこを朗読しているのか分かるように読み方を工夫してほしいと思う。
会場は近江町市場の近くのちっちゃな老舗交流館。しきりに観光客が通り中を覗いて行く。普段は昔の絵画やちょっとした小道具が展示してあり観光客が気軽に立ち寄れるようになっている。その展示室の真ん中に大きなテーブルを置いてありそこで観光客が腰を下ろして休憩が出来るようにしてある。そこを、月に一度だけ観光客を締め出して、いや、その日だけちょと遠慮してもらって、講演会を開いている。