大勢の人が出演する。小謡の(花咲かば告げんといひし)が載っているページ。
一人の山伏が花見の宴があると聞きつけ、見物に行く。子供たちを連れて花見に来ていた東谷の僧たちが怪しげな山伏を嫌ってさっさと引き上げてしまった。そこに一人残った子供にわけを聞いた。あの者たちは平家の御曹司たちで自分は先ほどの戦で打ち滅ぼされた源義朝の子遮那王だという。山伏がかわいそうに思って桜の名所をあっちこっち案内して周った。あまりに詳しいので気になった遮那王は山伏は何者だと尋ねた。山伏は我ぞ鞍馬の大天狗だと名乗って消えた。
大天狗に仕込まれた遮那王はやがて立派な青年になった。
平家を討ち滅ぼすなら共に闘おうと多くの天狗たちが集まった。
大天狗は遮那王に中国の話をした。
何故か能にはよく中国の話が登場する。
弁慶と牛若丸
牛若丸について色々調べていたら、面白い記事があった。
京へ入った弁慶は千本の太刀の収集という悲願をおこす。前年の冬から夜毎奪い集めた太刀は九百九十九本。彼は五条天神社の参拝者の中にふさわしい太刀の持ち主を探した。夜明け近くになって諦めかけた弁慶の耳に笛の音が聞こえてきた。見るとその人物の腰には黄金作(こがねつく)りの太刀が下がっているではないか。彼は飛び出した。「たやすくここは通さぬぞ。嫌ならその太刀をおいていけ」。
笛の主は平治の乱で父義朝を失い、母常盤や兄弟とも別れて鞍馬で育った源氏の御曹司、牛若その人であった。牛若は弁慶の脅しに怯(ひる)まなかった。弁慶は大太刀、牛若は小太刀。最初の一太刀をかわされて太刀が築地(ついじ)に刺さってしまった弁慶の隙(すき)をついて牛若はその胸を踏み付け、取り落とした相手の太刀を手に、九尺もある築地に飛び上がった。牛若は「以後乱暴はするなと諭し、太刀を投げ返す。弁慶は懲りずに牛若が飛び降りるのを狙って太刀を振るうが、牛若は空中で飛び返ってしまった。
翌日、弁慶は清水寺の総門の前で牛若を待ち受けていた。夜更けになって笛の音が聞こえてきた。牛若は、大太刀を帯び大長刀を持った弁慶の姿に気付いたが、構わず進んでいった。再び太刀を所望(しょもう)する弁慶。少しも動ぜぬ牛若。弁慶の振り下ろした大長刀を討ち流した牛若は、その腕をゆらりと飛び越えてしまった。弁慶は牛若の技量を知って「手に負えない」と仰天した。一方の牛若は心中「奇妙な奴だ。生け捕って家来にしてやろう」と思いつつ、その場を後に、参詣の歩みを進めるのだった。弁慶はなおも黄金作りの太刀に心引かれて境内に入っていくと、御堂から法華経が聞こえてきた。大勢の声の一つに誘われ、女房装束(そうぞく)をしたその声の主の背後に弁慶は立ち止った。牛若は全く動じない。弁慶もそれと気付いた。二人は声を合わせて法華経を読誦する。その尊さはたとえようもない。やがて帰ろうとする牛若に弁慶は三度太刀を所望し、勝負となった。被(かず)衣(き)を脱いだ牛若は腹巻鎧をつけていた。二人は清水寺の舞台を飛び降り、太刀を交える。やがて弁慶が打ち外したところを牛若は攻めたて、怯(ひる)んだ弁慶を散々に峰打ちし、組み伏せてしまった。弁慶は「これも前世の因縁」とついに降伏してしまう。その後、二人は主従の契約をなし、共に平家を狙うようになったのだった。
京の五条の橋の上で牛若丸と闘った弁慶はその場で家来になったのではないようで三度も闘っている。
世界最大のコロナ感染者がいる米国では新型コロナウイルスを信じない人がいるようだ。これではコロナ感染者はいつまでもなくならない。
貧乏耳
「あんた貧乏耳だ」と家内に言われた。
何でかと聞いたら「マスクをしてもすぐ外れる」。というのだ。耳が貧弱なのでマスクのひもが上手く引っかからないのだ。
「来月から謡曲教室を始めていいよと言われた。ただしマスクをするようにねと」。謡曲教室の先生から電話をもらった。やっと仲間と顔を合わせられる。
マスクを付けて謡をするとどうなるのだろう。