亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

からくり記念館へ行って来た

2018-07-06 | 日記・エッセイ・コラム

トイレを使うにも入場券がいるのかな?

からくり記念館

大野弁吉(1801~1870)科学者、中村屋弁吉とも言う。

 京都五条通り羽細工師の子として生まれ、20歳の頃長崎に行き理化学、医学、天文、暦数、鉱山、写真、航海学を習得した後、突然対馬に赴き朝鮮にも渡ったといわれています。帰国後、京都に帰り中村屋右衛門の長女うた(加賀国大野村生まれ)の婿となり、1831(天保2年)石川郡大野村(現金沢市大野町)に来て永住しました。金石の回船問屋銭谷五兵衛の助言者となり、藩主が弁吉の博学を聞き20人扶持で召し抱えようとしましたがそれに応じず、生涯清貧のうちに過ごしました。当時としては最先端の科学知識を駆使した発明品の数々は、元東芝の創業者で「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の技術に匹敵するといわれています。また、一東、鶴寿軒と号し木彫り、ガラス細工、塗り物、蒔絵などのほか、からくり人形には優れた名作を多く残しました。 ~からくり記念館パンフレットより。

金沢港 

目の前に見えるのは日本海。でも、とても海には見えない。大きな川のよう。向こうに見えるのは石油基地。

38豪雪で物資が不足し、困った金沢市は大野川の河口を利用して港を造った。

左に見える大きな建物は小松製作所の工場。重機を造って陸路で名古屋の港まで運ばなくても良くなった。

金沢港に石油タンクを設けることで金沢の人たちは安いガソリンが手に入るようになった。

約束の時間より1時間早く到着した私は、記念館の周りをウロチョロしていたら「高砂大学の人ですね。聞いています。暑いから中に入ってお休みください」と記念館の人に言われ一足先に中に入らせてもらった。一通り見学してもまだ時間が余ったのでひとまず外へ。出たり入ったりしても怒られることはなかった。田舎の記念館はのんびりしているのだ。ショーがあるというので、どんな出し物かと楽しみにしていたが、お茶くみ人形の仕掛けの話だった。

お茶を運んでくる人形の茶碗を取ると人形はそこでストップする。そして茶碗を人形の手に乗せるとまた動き出す。その仕組みを教わった。

昔は設計図なんてなかったから、人形を徹底的に分解してその仕組を探ったという。私だったら元に戻せなくなって仕組みを探るどころではないだろう。

向こうには大きな船が見える。さてこの看板は何を意味しているのかな。

最近は大きな豪華客船が停泊するようになった。そんなスペースがあるのかなって感じなのだけど。

昨日今日とテレビは大雨の報道で終始している。が、我々の住んでいる所は何故かそんなに雨も降らず風も吹かない。

同じ石川県でも加賀南部は大変な豪雨だそうだ。

関東地方は梅雨明けしたと報道があったが本当なのだろうか、「天気予報と3回言うと食あたりをしないという」とはまだ生きているような気がする。


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1 コメント

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Unknown (みゆきん)
2018-07-07 13:25:12
雨は大丈夫?
凄過ぎよね
次はこっちかも(◎_◎;)
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