悪人正機
2013-05-17 | 学問
以前、亀の川登で「親鸞」 の事を記事にしたところ、御三方から早速コメントを頂いましてありがとうございました。
私の浅智慧で失礼なことを書いてしまい大いに反省しているところです。
今月の光明寺寸言(月参りのお寺さんが毎月持ってくるB4用紙の機関誌のような物)に同じような記事が載っていたので今一度取り上げてみました。
人間はどんなにきれいごとを言って正直に生きようとしても悪いことをせずには生きてはいけない。
敗戦直後、有る検察官が、法を守る身の者が自ら法を破って何とすると、買い出しにもいかず、闇市にもいかずひたすら配給品にたよっていて遂に栄養失調になって餓死に至った。という話を聞いたことがある。
いくら正しいことをやっていても人間は生きてはいけない。悪人正機とは阿弥陀仏の本願は悪人を救うことが目的であり、悪人こそ往生するにふさわしい機根であると辞書に書いてある。
親鸞聖人はそのことについて説いていたのですね。
私は、ただ単純に、人間界で言う善と悪しか頭になかった。彼の頭の中はそんな次元の低いものではなかったのだときづきました。
人は、一歩あゆむごとに何億という微生物を潰しています。お腹の中では無数の善玉菌悪玉菌が戦って我々の健康を守ってくれます。自然界の動物、植物を食べなければ人間生きては行けない。そんな愚かな私たちを阿弥陀さまは救ってくださる。
ということで、人間界の善悪にこだわってはいなかったのですね。
善悪とは人間様が勝手に決めつけていることで、自然界では何の意味も持たないのですね。
光明寺さんでは6月には、笑福亭仁鶴の一番弟子の仁智さんが創作落語「親鸞」の口演が予定されています。
ぜひ参加したいと思っています。