かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

最近、お出かけすると、その後、2、3日休まないといけなくなった

2018-12-01 15:30:06 | ブログ記事
昨日は、夕方から頭痛がして、寒気がしたので、早々と休みましたが、

どうも最近は、一日出ると、翌日だけでなく、翌々日くらいまで疲れが残るようになりました。

やはり歳ですかねえ。

それで、昨日は、一昨日の疲れの上に、ショッキングなコメントを見たせいで、
一気に体調を崩してしまったようでした。

もう少しで風邪を引くところでした。

やはり風邪には寝るのが一番ですね。

今日は、もう大丈夫です。

さきほどコメントで心配してくださる方がありましたので、ご報告まで。

*

★出かけたら翌日だけでは足りなくて翌々日まで戻らぬ体調

★考へてお出かけせねば無理すればすぐに風邪ひく身体となりぬ

★七十は老化の見えてくる齢なにはなくともほしい体力

★ただでさへ体力衰えくる老いに喧嘩は一番体力うばふ

有名歌人であられる冬道麻子さんの作品のご紹介

2018-12-01 08:00:40 | ブログ記事
冬道麻子さんは、筋肉のご病気で寝たきりでいらっしゃいますが、
優れた歌をお作りになられるので、有名な歌人さんでいらっしゃいます。

現在は、私の歌友であり、親友と呼ばせていただいてもいいかと思うくらい、
メールでですが、親しくお付き合いさせていただいています。

その冬道麻子さんが、昨日は、そのお作の掲載された
『短歌往来』11月号と『日本歌人協会』会報・42をご恵送くださいましたので、
ご紹介させていただきたいと思います。

まず、『短歌往来』12月号に掲載されたお歌から、

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時代の中で  冬道麻子

写メに知る表玄関のたたずまい誰かれ来しや此処ゆわが部屋

ヘルパーの好みの清拭タオルなり干され乾きて和紙の如しも

*

カラオケを知らぬ病臥よ達者なら「踊り子」唄っていたであろうに

ATMを知らぬ病臥よ達者ならパネルに触れていたであろうに

カー・ナビを知らぬ病臥よ達者なら君を訪ねていたであろうに

*

しかすがに戦争体験なき病臥生まれた時代に恵まれていて


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これらのお作について、私はつぎのような感想を書き送らせてもらいました

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冬道麻子さま

「短歌往来」11月号と「日本短歌協会」会報・42を拝受いたしまして、さっそく拝読させていただきました。

「短歌往来」のお作品は、並み居る有名歌人の皆さんの中に、やはり有名歌人さんでいらっしゃる麻子様の作品がおかれてあることを眩しみて読ませていただきました。

一首目、ご自分の住まわれている家の玄関ですら、ご自分で確認できない現実がさりげなく詠われており、ハッとさせられます。

2首目は、清拭タオルが和紙のように薄くなるまで使いこまれた、その歳月が思われて、これも悲しいお歌です。

3番目から6番目までの「いたであろうに」の連作がユーモラスに見えながら、その実、隠された悲しみは、連作にされた効果で、畳みかけられて深く訴えてきます。

すべてご病気から来た悲しみなのですが、ふつうの人には、ごく当たり前のことばかりなので、よりその悲しみが強く伝わってまいります。

最後のお歌は、それらを締めくくるように、しかし、ご病体であられても、戦争体験のない幸運を歌われてあり、読者としては、ここで救われたような気がいたします。

「日本短歌協会」会報のエッセイは、よくこういうお母様のお話された昔の話を覚えていられたなと感心させられました。

語られている少年の様子が生き生き伝わってきて、笑いを誘いますが、しかし、最後にどんでん返しがあります。

そこまでの少年を描いた話が面白いだけに、最後の結末が悲しすぎます。

簡単でございますが、以上が私の感想でございます。


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上のエッセイは次のようなものでした。

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「少年の独り言」  冬道麻子(塔)

 八十五年前の母は小学生であった。神奈川県に住んでいた母は、知人宅を訪ねる母親について隣村に行った。一本杉が目印のようなお宅で、ごく普通の農家の佇まい。数人の子供のなかに母親の年齢の少年がいた。庭先で一人遊びをしていたこの少年が「ねえちゃん、死なないかなあ。葬式饅頭食いたいなあ」と、独り言を言っていた。第二次世界大戦前のまだ平和な日本の長閑な風景のなかでー。
 ほぼ団塊の世代生まれの子供の頃の私は、饅頭が食べたいと思ったら、親から戴いた小遣で食べることができたが、小判型で菊の葉模様の練飴のこの饅頭は、葬式の香典返しのなかの一つでもあり、私は買って食べたことはない。人様が亡くなると葬式饅頭を戴いたが、少年は空腹であったのか。姉ちゃんと喧嘩でもしたのだろうか。たわいない子供の独り言だが、突拍子もなくて、ブラックユーモアのようだ。
 子供の頃に母より聞いた遥か彼方の話で、目にしたわけでもないが、霞がかかったまま心に残っている。葬式饅頭の風習は、いつしかなくなった。
 この時の姉ちゃんは、やがて嫁いだ。
 この少年は、長じて戦士した。


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このブログの読者であられるハイジさんは、この冬道麻子さんの歌集をお住まいの彦根図書館で借りて読まれたと言われていました。

京都府立図書館などにもおかれてあるようですので、冬道麻子さんのお歌をお読みになられたい方は、お借りになってお読みください。

過去に出された歌集は、

『遠きはばたき』『森の向こう』『リラの風』などがあります。

わりあい最近のものとしては、2003年に上梓された『五官の束』があります。
これは私も贈呈されて持っております。


昨夜は体調が悪くなって早々と休みました

2018-12-01 03:13:34 | ブログ記事
頭痛がして寒気がして、起きていられなくなったので、
ぶどう酒を飲んで身体を暖めて寝ました。

いま少しましになっています。

その後も励ましのコメントをいただきましたが、アップするのは時間をおいてからにしますね。

仏壇の仏様(夫の両親ですが)に今後のことをよろしくとお願いしました。

私の母や祖母や叔母や大叔母にも心の中でお願いしました。

しばらく静養しようと思います。