かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

忘れやう(短歌です)

2018-12-28 09:18:19 | ブログ記事
★忘れやう悔しきこともありしかど今年のことは今年で終はり

★去年今年ことしが去年になるときに今年のことは今年で忘る

★人うらむことも今年のことなれば忘れて待たむわれの来年

★好意にてしたことわかつてもらへずに此の世に悔しきことは多かり

★親切はしつぱなしこそよろしくてよく思はれむと思ふは愚か

★親切を仇(あだ)で返せる人もゐる此の世に生きてゐるも幸せ

★誰にでも不調はありて不調こそ学ぶ機会であると思へる

★もし人を軽くみなして扱へば必ず神の仕返しやある

★仕返しは人がするにはあらざれば神のし返す仕返し怖し

★神の子であるを忘れて分け隔てする人達に天罰くだる

★人はただたんたんたんとゐればよし後の仕事は神に任せて

★自らの受けし屈辱苦にせずに神に任せて軽やかに生く

今年の死刑執行について&赤穂浪士の切腹

2018-12-28 07:48:37 | ブログ記事
昨日、また死刑が執行されたようである。

どんな犯罪であったかも記憶にない事件だが、凶悪犯であったなら、仕方ないか。

が、私は、今年処刑されたオウム事件の死刑囚たちの処刑は、いまだに宜えないでいる。

なぜだろう?

彼らがまだ若かったということもあるかもしれない。

オウムに入信さえしていなければ、前途有為な青年たちだったと思うせいかもしれない。

さきほどブロ友さんの記事に井上嘉浩のことが書かれてあった。

彼は、処刑されたけれども、その両親によって、
浄土真宗大谷派で密かに葬儀が行われたそうだ。

井上の母校の京都洛南高校は確か真言宗系の学校だったと思うから、
別ルートからのご縁での葬儀であったのだろう。

赤の他人のことではあるが、私はよかったと嬉しく思った。

写真か映像でしか見ることができなかったが、私には彼らが極悪人とは到底思えなかった。

しかし、してしまった犯罪のせいで死刑になるのは仕方なかったか。

年末になると、現代でも繰り返し話題に上る赤穂浪士達の切腹も、
義のためとはいえ、国の法に反することをしたのだから仕方なかったのだろう。

私は中でも痛々しく思うのは大石内蔵助の長男の切腹である。

まだ16歳だった主税は、若かったこともあり、
他の大人たちと比べても、その切腹で大量の血を流したと聞けば、
遠い昔の話なのに、私などはつい涙してしまう。

いつの時代のことであっても、あたら若い人を死なせるのは忍びない。

一方、

世の中には法に触れていなくても、
もっと悪いことをしている、または、した人はいっぱいいると思う。

表に出ない苛めなどは、人を苦しめるという点では極悪の部類に入ると思う。

たとえ虐められている人が死ななくても、殺すに匹敵するほどの重罪である。