いずれも私のことを心配くださるコメントでしたから、
ありがたく拝読させていただきました。
家に閉じこもり勝ちの私には、こうしたコメントが大きな励ましになります。
器質的に鬱に傾きやすいところがありますから、常に死にたい死にたいと書いています。
が、本人は、本当に死にたいと思って書いているのですが、
読まれた方にはご心配をかけさせてしまいますね。
死にたければ、今日も病院に行かなければよかったのですが、しかし、
生きているのなら、なるべく痛みなく生きていたいです。
死ぬのは全然かまわないのですが、
生きている以上、痛い思いをしながら生きていたくないのです。
それから、
私がこうして病院にすぐに行くようになったのは、心臓弁膜症で死にかけてからでした。
子育ての最中は、風邪を引いても病院に行くことはありませんでした。
自分にお金がかけられなかったことと、それより大きな理由は、大病が見つかって、
家族に迷惑をかけたくないというのが大きかったです。
が、そこは神様もよくしてくださって、心臓弁膜症が見つかったのも、
次男を大学に入学させた次の年でした。
その四年後に、今度は大腸癌が見つかり手術を受けました。
そこらあたりから、よく病院に行くようになりました。
が、すぐに行くようになった弊害で、うつ病になったときに精神科に駆け込んだことは
大きな失敗でした。
精神薬で、もう少しで廃人にさせられるところでした。
ネットで調べて、すぐに断薬したから元に戻れましたが、
精神科医の言う通りに飲み続けていたら、現在の私はありません。
が、一つだけよかったことは、精神薬で頭がボケかけたころ、
神様のことが心に入ってくるようになりましたし、感じられるようにもなりました。
そしてその後は、趣味の短歌以外にも、神様に興味を持つようになりまして、
そういうサイトもよく読ませていただきます。
それらを読ませていただいていますと、
天照大神の祖父にあたる豊受様なども、亡くなる時には、自ら洞窟に入って、
食を絶ち、死を待つのですね。
別のサイトでは、
卑弥呼も、亡くなる時は洞窟に入って岩でその入り口をふさいでもらったそうです。
現代人から見ると、自殺のように見える亡くなり方です。
が、古代から、高貴な人たちは、そういう死に方を選ばれることも多かったのですね。
まだまだ神様の話は勉強中ですが、これほど心を囚われるものは今は他にはないです。
これからも本で、あるいはネットで勉強させてもらいたいと思っています。
神様の勉強をさせてもらっていると、死ぬことは全然怖くなくなります。
また彼の世に逝った人たちとも繋がれるような気もします。
世間の人たちは、死ぬことをマイナスイメージで捉えられていると思いますが、
死ぬことは、ある意味、救いであるかもと思うときもあります。
以上が、私の最近の心境です。
いただいたコメントへのお返事になったかどうかわかりませんが、書いてみました。
びこ拝
ありがたく拝読させていただきました。
家に閉じこもり勝ちの私には、こうしたコメントが大きな励ましになります。
器質的に鬱に傾きやすいところがありますから、常に死にたい死にたいと書いています。
が、本人は、本当に死にたいと思って書いているのですが、
読まれた方にはご心配をかけさせてしまいますね。
死にたければ、今日も病院に行かなければよかったのですが、しかし、
生きているのなら、なるべく痛みなく生きていたいです。
死ぬのは全然かまわないのですが、
生きている以上、痛い思いをしながら生きていたくないのです。
それから、
私がこうして病院にすぐに行くようになったのは、心臓弁膜症で死にかけてからでした。
子育ての最中は、風邪を引いても病院に行くことはありませんでした。
自分にお金がかけられなかったことと、それより大きな理由は、大病が見つかって、
家族に迷惑をかけたくないというのが大きかったです。
が、そこは神様もよくしてくださって、心臓弁膜症が見つかったのも、
次男を大学に入学させた次の年でした。
その四年後に、今度は大腸癌が見つかり手術を受けました。
そこらあたりから、よく病院に行くようになりました。
が、すぐに行くようになった弊害で、うつ病になったときに精神科に駆け込んだことは
大きな失敗でした。
精神薬で、もう少しで廃人にさせられるところでした。
ネットで調べて、すぐに断薬したから元に戻れましたが、
精神科医の言う通りに飲み続けていたら、現在の私はありません。
が、一つだけよかったことは、精神薬で頭がボケかけたころ、
神様のことが心に入ってくるようになりましたし、感じられるようにもなりました。
そしてその後は、趣味の短歌以外にも、神様に興味を持つようになりまして、
そういうサイトもよく読ませていただきます。
それらを読ませていただいていますと、
天照大神の祖父にあたる豊受様なども、亡くなる時には、自ら洞窟に入って、
食を絶ち、死を待つのですね。
別のサイトでは、
卑弥呼も、亡くなる時は洞窟に入って岩でその入り口をふさいでもらったそうです。
現代人から見ると、自殺のように見える亡くなり方です。
が、古代から、高貴な人たちは、そういう死に方を選ばれることも多かったのですね。
まだまだ神様の話は勉強中ですが、これほど心を囚われるものは今は他にはないです。
これからも本で、あるいはネットで勉強させてもらいたいと思っています。
神様の勉強をさせてもらっていると、死ぬことは全然怖くなくなります。
また彼の世に逝った人たちとも繋がれるような気もします。
世間の人たちは、死ぬことをマイナスイメージで捉えられていると思いますが、
死ぬことは、ある意味、救いであるかもと思うときもあります。
以上が、私の最近の心境です。
いただいたコメントへのお返事になったかどうかわかりませんが、書いてみました。
びこ拝