かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

内密にというコメントを何人かの方にいただきました

2018-12-14 16:28:16 | ブログ記事
いずれも私のことを心配くださるコメントでしたから、
ありがたく拝読させていただきました。

家に閉じこもり勝ちの私には、こうしたコメントが大きな励ましになります。

器質的に鬱に傾きやすいところがありますから、常に死にたい死にたいと書いています。

が、本人は、本当に死にたいと思って書いているのですが、
読まれた方にはご心配をかけさせてしまいますね。

死にたければ、今日も病院に行かなければよかったのですが、しかし、
生きているのなら、なるべく痛みなく生きていたいです。

死ぬのは全然かまわないのですが、
生きている以上、痛い思いをしながら生きていたくないのです。

それから、
私がこうして病院にすぐに行くようになったのは、心臓弁膜症で死にかけてからでした。

子育ての最中は、風邪を引いても病院に行くことはありませんでした。

自分にお金がかけられなかったことと、それより大きな理由は、大病が見つかって、
家族に迷惑をかけたくないというのが大きかったです。

が、そこは神様もよくしてくださって、心臓弁膜症が見つかったのも、
次男を大学に入学させた次の年でした。

その四年後に、今度は大腸癌が見つかり手術を受けました。

そこらあたりから、よく病院に行くようになりました。

が、すぐに行くようになった弊害で、うつ病になったときに精神科に駆け込んだことは
大きな失敗でした。

精神薬で、もう少しで廃人にさせられるところでした。

ネットで調べて、すぐに断薬したから元に戻れましたが、
精神科医の言う通りに飲み続けていたら、現在の私はありません。

が、一つだけよかったことは、精神薬で頭がボケかけたころ、
神様のことが心に入ってくるようになりましたし、感じられるようにもなりました。

そしてその後は、趣味の短歌以外にも、神様に興味を持つようになりまして、
そういうサイトもよく読ませていただきます。

それらを読ませていただいていますと、
天照大神の祖父にあたる豊受様なども、亡くなる時には、自ら洞窟に入って、
食を絶ち、死を待つのですね。

別のサイトでは、
卑弥呼も、亡くなる時は洞窟に入って岩でその入り口をふさいでもらったそうです。

現代人から見ると、自殺のように見える亡くなり方です。

が、古代から、高貴な人たちは、そういう死に方を選ばれることも多かったのですね。

まだまだ神様の話は勉強中ですが、これほど心を囚われるものは今は他にはないです。

これからも本で、あるいはネットで勉強させてもらいたいと思っています。

神様の勉強をさせてもらっていると、死ぬことは全然怖くなくなります。

また彼の世に逝った人たちとも繋がれるような気もします。

世間の人たちは、死ぬことをマイナスイメージで捉えられていると思いますが、
死ぬことは、ある意味、救いであるかもと思うときもあります。

以上が、私の最近の心境です。

いただいたコメントへのお返事になったかどうかわかりませんが、書いてみました。

びこ拝

病院に行ってきました

2018-12-14 13:31:59 | ブログ記事
昨日書いたオデキが帯状疱疹だったら大変なので、
病院の皮膚科に診てもらいに行ってきました。

幸い、帯状疱疹ではありませんでした。よかった!

ただのオデキらしいですが、先生は身体の免疫力が落ちているんでしょうと言われました。

先生は、優しい優しい女医さんでした。

年齢は私くらいかな。いやもっとお若いかも。

でも、おばちゃん、否、おばあちゃん先生でした。

ゆっくり丁寧にお話くださるので、聞き返すこともなく、楽に診察していただけました。

処方箋を出してくださったので、帰りに薬局で抗生物質の飲み薬と塗り薬をいただいてきました。

実は、今日も寒いから、行くの面倒だなと思っていましたが、
もし帯状疱疹で、後で痛みとか出ると困るので、思い切って行ってきたのです。

病院というところは、予約なしで行くとべらぼうに待たされることがあるから、
わざとにお昼前に行こうと、
朝はお風呂を沸かして入ったり、ブログ記事を書いたりしていました。

が、ブログ記事を書くのに思っていたより時間がかかって、
午前中の受付に間に合わないかもしれないくらいの時間になったから、
珍しく自転車に乗っていきました。

久しぶりに乗ったことと今日は向かい風がきつかったので、なかなか前に進みませんでした。

私の脚力もずいぶん衰えているようでした。

こんなところにも年齢を感じます。

身体の抵抗力が落ちて、できものができていたことも歳のせいかもしれませんが、
これは、私は子供の頃から、虫に刺されても、すぐに化膿するような子だったから、
必ずしも歳のせいでもないと思います。

それにしても仕事らしい仕事もしていないのに、抵抗力がなくて、できものができる私って?

もう老人ホームでも入ったほうがいいのかしら?

*

★体力も抵抗力もなきわれの身体これからだうなるだろう

★鍛えむとツアーに参加することが過労になるも考へられて

★来週もまた参加するツアーあり疲れぬ程度に歩いてこよう

★血糖値その他は改善するツアー疲れて過労になると言へども

『その時がきた』

2018-12-14 10:38:28 | ブログ記事
昔読んだ佐藤愛子の小説で
その時がきた』というのがありました。

大変おもしろく読ませたいただきましたが、
そのころの私は、まだ若かったので、「ああ面白かった」だけで終わりでした。

が、この小説の主題の年齢になって、しきりにあの小説のことが思い出されるのですね。

まあ私の独断で、大まかに内容を説明させていただきますと、

女性は、あるときから、突然に?男性に女性として見られなくなる、そのときを

「その時がきた」と佐藤愛子先生は小説の主題にされたのですね。

ユーモア小説なのですが、しかし、大半の女性にとってはユーモアばかりではないと思います。

現に、私など、現在のように夫に家を出ていかれますと、
私の何がわるかったのか?と真剣に考えたりするのです。

今朝も、早朝に目覚めまして、
なにげなく昨年生まれた次男の子の成長記録写真などを見ておりましたら、
ところどころに私めも出てくるのでございます。

その私の姿ときたら、自分が自分で思っている以上にお婆さんなのですね。

「え、え、え、え」というような写真ばかり。

若いお嫁さんの、きれいでかわいいのと比較するから、その差は歴然としています。

それで思ったのですね。

夫が家を出たのも、私が老化したことも一因じゃないかと。

これは私も反省しないといけないところなのでしょうね。

一方の夫は、頭髪こそ薄く(無くなって?笑)いますが、
顔だけ見ますと、非常に若々しい。

同年配の女性から見て魅力的に見えると思います。

で、私が老けた理由を考えてみましたが、それは肥満したことですね。

私も大腸癌の手術をしたあとなどは痩せてスマートでした。

それでそのころ夫と家電量販店に入って、
その喫茶コーナーのようなところでジュースを飲んでいたとき、
夫が席を立ったのを見計らって、横に座っていたお婆さんが
「あなた方、どういうご関係?」と尋ねてきたのです。

それは、その尋ね方で、
夫婦にしては年が離れているように見えるし、親子でもなさそうだしという
ニュアンスだったのです。

そのころは、私もそのくらい若く見えていたのです。

その当時は、短歌の結社の全国大会などでも、お世辞でしょうが、
年齢よりずっと若いと言われたりもしましたから。

が、時は移ろい、今年イギリスに行ったときは、ツアー仲間だったお爺さんに、
夫が「お母さんと一緒に来られているのですか?」と尋ねられていました。

「え、お母さんって?」

その方は、私のことを夫のお母さんだと思って観ていたのです。

これはショックでした。

が、今朝、孫の写真を見ていて、それも仕方ないかもと思えました。

そのくらい最近の私は老けてしまったのです。

「その時がきた」

なのですが、でも、吉永小百合さんなんか、私より年上なのに、あんなにお若くて綺麗。
(実は私も昔、夫に吉永小百合に似ていると言われて・・・
嘘ではないけど、夫の目がどうかしていたことはありうる?)


私も努力しなくっちゃあ?

それとも、やはり「その時がきた」とあきらめなければならない?

*

★七十になりしはわれも知りゐしがまさか写真の人がわれとは

★肥満せし人を己と思へずに見ている写真孫と一緒の

★愛らしき赤子見つめる婆さんがわれとはわれは認めがたかり

★女には見えぬ女になりにけり同じ女がかくも変はれば

★老い母を老いさらばえて可哀さうなどと見ていた人はわたくし

★老い母を失くししわれをわが子らは思ふや今やわれが老い母と