かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

人がどう思おうと私は私、唯我独尊である

2018-12-06 10:50:18 | ブログ記事
最近の私は四面楚歌かもしれない。

義妹だけでなく、夫にも出ていかれるし、

子供たちにも・・・。

子供たちは、それぞれ夫婦仲がよいので、私に頼ることもないし、
それはいいことなのだろう。

来年のお正月は、年明け早々、母の一周忌で帰省しないといけないから、
我が家での集まりはしないと言っておいた。

高知でまた集合したらいいと思ってのことだった。

が、今度の母の一周忌は子供たち家族は断ってきた。理由は三家族三様である。

で、それなら、地理的に皆の集まりやすい京都駅前のホテルの予約をして、
お正月が過ぎてから集まろうかと打診した。

すると、娘のところは家族でスキーに行くことにしたから行けません。

長男のところは障碍児がいるから、そのホテルのお風呂では泊まれません。

次男のところは返事がないが、たぶん一人っ子のお嫁さんの家に行くであろう。

昨日は、義妹が一人だったら来てもらおうと思っていたが、私が呼びたくなくなった。

夫はどうするだろう。

最近は、ほとんど大阪のマンション暮らしで、たまに我が家に帰ってくるくらいになった。

だから、お正月も帰ってこないかもしれない。

テニス仲間、同級生としょっちゅう集まっているから、
その人たちをマンションに呼ぶかもしれない。

来た人たちも、邪魔な妻の私がいるより、そのほうが寛げるだろう。特に女性たちは。

私は、昨年までなら、とにかく一にも二にも母のことがあったから考えることもなかった。

が、来年のお正月はどうするかなあ。

独りであるなら、それはそれでいい。

溜まった本を読めばいいし、手紙も書かなければならないのがある。

歌集もいただきっぱなしになっているのがあるから、感想を書いてブログアップするか。

やりたいこと、しなければならないことは山積している。

人に好かれよう、気に入られようと心をすり減らすのはやめにして、
これからは、
限られた人生、自分のために使うようにしよう。

もう今年をきっかけに、お正月に我が家に集まるのも一切やめてもいいとさえ思う。

私も七十歳になって皆を一人で接待する体力の自信もなくなったことだし。


*

★家族すらわれから離れゆく今は離れさせるさ一人で生きる

★孤独とは孤立にあらず頼らずに唯我独尊つらぬくだけさ

★生まるるも死ぬも一人であることを思へば一人正月もよし

★人に気を遣わず生きよと神様にいただきし時来たれりわれに

★あの人もこの人もゐぬ此の世にはもはや未練はなくて彼の世に

★彼の世からお迎えのくるときまでを此の世で好きなやうに生きなむ

小姑というものは嫁のあら探しをするのが仕事?

2018-12-06 05:41:43 | ブログ記事
嫁のことは、もうどんなことでも悪く言おうとするのが小姑というものなのだろう。

昨日も、さんざん言われた。

過去も言われてきた。

が、これは義妹に限らない。

親戚の誰彼を見ていても、そういう傾向がある。

私の叔母(母の妹)なども、信仰していて、人のことを悪く言ってはいけないはずなのに、
叔父の奥さんのことはずいぶんひどく言っていた。

私は客観的にみて、義叔母さんは、家の中を綺麗に整えて、子供も立派に育て上げ、
それだけで十分と思っていたが、

亡叔母に言わせれば料理が下手だと。

義叔母さんは料理も綺麗には作るが、確かに、祖母とか亡叔母のような
唸るような料理を作ることはできなかった。

が、人それぞれである。

実家の義姉も料理は得意でない。

作ってもあまりにも薄味に作るから、おいしくない。

それで兄が家で食事しなくなった。

そのため、兄嫁は料理をしなくなって一家で外食ばかりになった。

どちらが悪いかといえば、家でご飯を食べなくなった兄のほうが悪かったかもしれない。

とにかく人の欠点を言おうとすれば、どんな人にもあるのだから、言ってはいけない。

それが、どこの家でも、嫁の悪口は公認で言っていいことになっている、

と思えるほど、嫁いできた人に対する風当たりはきつい。

昨日は、義妹にさんざん悪態をつかれたが、私にすれば、「じゃ、あなたはどうなの?」
と言いたいところであるが、これを言うと、また大ごとになるから言えない。

しかしブログでこっそり書くが、義妹こそ何も満足にできるものはないではないかと思う。

まあ嫁というものは、どんなに頑張っても何か言われる存在なのだから、
どんなことを言われても耐えねばならないのだろう。


昨日も腹に据えかねたが、形だけは畳に手をついて、
「至らぬ嫁で申し訳ありません」と謝った。

すると義妹は、
「こうして格好だけ謝っておいて、また後でゴチャゴチャ言うんやろなあ」と言い放った。

「じゃ、この場で反論して喧嘩をせよと?」と言いたかったが、
言うと義妹が逆上するに決まっているから自分の心の中に収めた。

まこと理不尽の最たるものが嫁という立場だと思う。

今でも、そういう目に遭っている嫁さんは多いのではないだろうか。

*

★口ぎたなくののしる人が小姑で口惜しき心ためるが嫁で

★小姑の心の中はあれもしてこれもしてとぞ”して”ばかりなり

★甘えゐるにも関はらず上からの目線でものを言ふが小姑

★してもらひ物ももらひて礼言はぬ人が小姑ひと小ばかにし

★弱いのに強がりゐるが小姑と嫁は気づくが気づかぬふりを

★世間では通用をせぬ論理など振りかざしては威張る小姑

★あらさがしされるがままになる人を嫁と呼ぶなりこの日本では

★子の出来がよければ嫁ぎ先の功悪しくば嫁のせいとなるなり

★嫁といふ枕詞を冠すれば何言はれても我慢する人

★小姑といふ生き物は生き生きと嫁の悪口言ひて喜ぶ

★うつぷんはなべて嫁へと投げつけてうれしきかなや小姑なれは

*

昨日気づいたことの一つに、義妹も難聴になったのではないか。

私の言ったことを聞き間違うし、聞き返すことも多かった。

家に閉じこもってばかりいるから義妹自身も気づいていないかもしれないが、
年齢的にありうることだ。